引退した島田紳助の芸能界の素顔とは!礼儀にうるさく女好きでマメ
芸能界を引退した島田紳助。一時は芸能界復帰する計画も報じられましが、紳助の素顔はどんな人物だったのでしょうか。紳助ファミリーは結束させるために、集合をかけたら必ずかけつけないといけないルールがあったという。また、紳助といえば、上下関係や礼儀などにも厳しいことで有名でした。
芸能界での島田紳助の素顔とは
「逆らう?とんでもないです!嫌われたら最後、番組に呼んでもらえなくなる。紳助ファミリーと呼ばれるタレントたちは、彼の言うことに絶対服従です」(バラエティ番組関係者)
2011年の夏には、嫌いな芸能人1位に輝いてしまった紳助。なぜ彼はここまで嫌われてしまったのだろうか?
「以前、紳助さんから突然メールで呼び出しがありました。呼ばれた先は紳助さんのお店。そこには彼の番組に出演しているタレントや女子アナをはじめ、プロデューサーなど50名ほどいました。もう完全に紳助ファミリーの会です。会費は100円(笑)。紳助さんはフジテレビとTBSの女子アナの間に座ってご機嫌でしたよ」(同上)
この招集メールが来たのは、当日の23時過ぎ。
バラエティ関係者がこの会に出席した理由を話す。
「紳助さんは超が付くほどの寂しがり屋。たとえばメールを送った相手から返事がこないと不安になるようです。後で会ったときに怒るというか、オマエ冷たいやんみたいな。だからファミリー達は必ず返事をする。そういうことをおろそかにすると番組に呼んでもらえなくなります。だから深夜でも皆集まるんです」
紳助はプライベートの時でも、ファミリー達の忠誠心を細かくチェックしていたという。
「東日本大震災直後には、真っ先に西へ逃げたらしいです。放射能が心配だったようです。ファミリー達にも逃げろってメールを送って明日」(テレビ局関係者)
密接な連絡を取ることでファミリーを結束させていたようだ。
紳助はとにかく格下相手には切れまくる。
2010年4月に出演CMの企業イベントに出演した時にもトラブルを起こしている。
「紳助が乗っていた車のナンバーが、申請内容と違っていたようで、警備員が駐車場に通してくれなかったんです。それに対して島田紳助が大激怒し、何度も平謝りする警備員に15分以上も怒鳴り続けていました」(イベント関係者)
紳助は礼儀にうるさいって本当なのか?1991年、チームシンスケを率いて、鈴鹿8時間耐久に参加していた時のこと。
「紳助をよく知る別チーム関係者に連れられて挨拶に行きました。私がよろしくお願いしますと挨拶したところ、大股開きで座っていた彼が、下から見上げるように私をにらみつけ、あごをつきだし、おう!と。その直後にはソッポを向かれました」(モータースポーツ関係者)
初対面の相手には、まず威嚇の洗礼をするようだ。
紳助はあることを言われると怒っていた。
「行列のできる法律相談所で、オリラジのふたりが紳助のことを天才と持ち上げたんです。紳助は天才ちゃうわと流したが、その後もふたりはしつこく天才というので、紳助は腹を立て、途中から一切ふたりを相手にしなくなりました。天才と呼ばれることがよっぽど嫌だったようです」(テレビ局関係者)
番組の私物化も報じられたが、そこはどうなんだろうか?
「紳助さんは好きな女ができると、とてもかいがいしいです。口説き文句は、番組に出してやる。好きな女には手料理を振る舞い、お手製の弁当を作って持たせせるんです」
女が好きでマメのようだった。
男女関係なく、紳助に気に入ってもらえたら、ご自慢の自分の豪邸に呼ばれるそうです。サッカー場まで付いてる自宅だそうです。ヘキサゴンファミリーでも紳助のことを仕事だからしょうがなく付き合っていた芸能人もいたのかも。