萬田久子の事実婚夫・佐々木力との死別から遺産相続まで

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女優の萬田久子は1978年ミス・ユニバース日本代表に選出。1980年にNHK朝のドラマ小説「なっちゃんの写真館」で女優としてデビュー。1987年に交際が発覚した当時妻子のあった佐々木力との不倫の末に1児をもうけ、同年10月にニューヨークで男児を出産。佐々木の離婚成立以後も事実婚を貫いたが、2011年8月9日、佐々木がスキルス性胃がんにより60歳で死去しています。

萬田久子

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ユニクロ株で10億円のぼろ儲けをしていた

不倫出産をして当時、話題になっていた女優・萬田久子と不倫相手のS氏が2009年6月、ユニクロ株で大儲けしていたという。宝くじで一等をあてるより大きな金額!

「ミスユニバース日本代表になった翌年、芸能界入り。ドラマや時代劇で活躍をしていた中、20代後半の時に、妻子あるS氏との不倫が発覚したうえ、S氏の離婚が成立しないうちにカレの子供を身ごもり、渡米して出産。未婚の母の状態は快適発言で日本中が大論争になった。今から22年前の話です」(芸能レポーター)

育児を優先させながらも、女優やモデルとしての仕事をこなし地位を確立。
さらに50代になったいま、第二のブレイクともいえる活躍を見せている。
不倫出産という、女優生命を失いかねないスキャンダルから22年。
これだけでも十分すぎる成功といえそうだが、彼女には最近、プライベートで新たに手に入れたモノがある。

「萬田さんの事実婚のパートナー・S氏は(リンク・セオリー・ホールディングス)の社長であり大株主です」(経済ジャーナリスト)
セオリーといえば、シンプルならが質のいい作りで、女優やモデルにファンの多い人気ブランドだ!
4年前には、東証マザーズへの上場も果たした。

「2009年はじめに、ユニクロの母体である(ファーストリテイリング)との合併が決まったんです。買収ではあるんですが、もともと友好的な中での合併ですからね。1株の売却価格は17万円で、彼は3万4560株を保有していたので、ざっと計算しただけでも約59億円になりますね」(経済ジャーナリスト)

リンク社の広報によると、「S氏はすでに、すべての株を売却済みです」
つまり萬田は、ユニクロで59億円妻になっていたのだ。
「それだけではありません。4年前の株式上場の際には、パートナーの萬田も約1200株を保有しており、約10億円を手に入れたとされています。今回もどのくらい転がり込んできたのか気になりますね」(経済ジャーナリスト)

第二のブレイクと59億円の株式売却。
大きな節目を迎えた萬田の生活は、どう変わったのだろうか。
東京・目黒区の自宅を訪ねてみると、手入れの行き届いた玄関先の鮮やかなグリーンが迎えてくれた。

表札は相変わらずS氏と萬田の連名になっている。
「萬田さんなら、生花店で見かけますよ。ガーデニングがお好きなようで、よくいらしているみたい。話し方もしぐさもテレビのとおり気さくで、とっても親しみやすい方です」(近所の住民)
S氏との関係がというと、「夜に男性と一緒に愛犬の散歩をしているのを何度か見ました。ふたりとも背が高くて、黒いラブラドールレトリバーを連れています」(別の近所の住人)
ふたりは本当の夫婦以上にラブラブだった!

萬田久子

萬田久子がなぜ事実婚を選んだのか?25年間の事実婚!

未婚の母を選択し、事実婚状態を25年間も貫き通した萬田久子。恋の始まりは、不倫からでした。すでに相手の男性は妻と別居中でしたが、まだ籍がある状態の時に、萬田はこの男性との子供を授かる。さらに、亡くなった男性は、2011年7月に別の愛人との間に子供ができ認知してるということです。なぜ事実婚状態を貫いたのでしょうか?

萬田久子の事実婚の夫、リンク・セオリージャパン社長の佐々木力氏が体の不調を訴えたのは2011年5月だった。
「ある会食の席え、急に佐々木さんが苦しみだして、黙りこくってしまったそうです。その時は同席していた人から薬をもらって痛みは落ち着いたそうですが、その頃から癌の進行ははじまっていたんでしょうね」(アパレル関係者)
そして、その後も体調は一向に良くならないで診察を受けると、絶望的な診断が下された。
「検査で胃がんがみつかりました。しかもオペもできない状態。余命1ヶ月の末期癌状態でした。当初、萬田さんはその現実を受け入れることができず混乱したようです。萬田さんは佐々木さんに告知するかどうか悩んでいました。何度も病院に通って担当の医師に相談などをしたそうです。そして彼に余命を告知する決断をし、最後までふたりで闘い抜くことを決意しました」(萬田の知人) 

1986年に佐々木氏と出会う。
当時、香港のアパレルメーカーの社長だった彼には別居中の妻と3人の子供がおり、その中で、萬田は26歳の時に彼の子を妊娠する。
周囲から出産することで猛反対を受けた。
一度は中絶も考えたが、未婚のまま出産することを決意する。
そして、すべての仕事をキャンセルし1987年にニューヨークに渡り、出産をする。
「未婚の母の状態は快適。自信があるから産んだんです、好きな人との結婚を望まない女性はいません」などと発言し、世間の批判を浴びた。
そして1994年に佐々木氏は前妻と正式に離婚した。
しかし、萬田は籍を入れなかった。 

余命1ヶ月を過ぎた2011年8月に入ると、佐々木氏は他の病気も併発するなどさらにひどくなっていった。
つい数ヶ月前までは元気だった夫が・・・と、受け止められなかったのだろう。
亡くなる数日は病院に泊まり込んで付きっきりで看病をしていた。
そして最後の時、萬田に看取られて優しい表情で旅立った。
25年も佐々木氏のことを愛し続けた萬田。
そして佐々木氏も萬田のことを愛し続けたようです。
萬田と佐々木氏の間に生まれた子供は、佐々木氏が経営する会社の役員(取締役)に就任もさせているようです。
このことで、遺産相続問題が起きるのではないかと報じられてました。

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事実婚で浮上した遺産問題解決!遺産はいらない

略奪婚をし、未婚のママ子供を産み、約25年間も事実婚状態だった萬田久子と内縁の夫・佐々木力氏。
佐々木力氏が亡くなったことで、巨額な資産が発生し、前妻との間で遺産問題が発生と報じられましたが、問題は発生することなく解決したようです。お金目当てでの交際ではなく、本当にふたりは愛し合っていたようです。

「本当は私が先に逝くから、あなたが私を見送ってねと、言っていたんですよ。よし、わかったと、彼は言っていたんですけどね・・・」
萬田久子は悲しみを押し殺し、歯を食いしばり会見に応じた。
萬田久子は佐々木氏の葬儀では喪主を務めた。 

最後までふたりが入籍出来なかったのは、前妻と佐々木氏との間に条件があったからのようだ。
萬田の長男が認知されたのが1990年で、佐々木さんとA子さん(前妻)の離婚が成立したのが1994年だった。
「妻として最後の抵抗だったのでしょう。A子さんは離婚時、佐々木さんに、萬田とは入籍しないというのが条件だったそうです。晴れて夫婦になれると思っていた萬田さんも、その約束を受け入れ、事実婚を選びました」(ファッション誌関係者) 

そのため、A子さんと萬田さんとの間にはわだかまりが残った。
しかし、A子さんの子供3人と萬田との関係は、良好だったようだ。
「前妻の3人の子供の内、33歳の長女は結婚、28歳の次女と長男は都内のマンションで暮らしています。萬田さんの23歳の息子と前妻の長男は、年齢が近いこともあり仲がよかったです。佐々木さんの闘病中は、前妻の子供達と萬田さんの息子が一緒に見舞うこともあったようです」(萬田の知人) 

問題となってくるのが、佐々木さんの資産だ。
200億円とも言われている。
その資産を管理する会社を9年前に設立している。
役員には、前妻の3人の子供達と萬田の息子が名を連ねているが、萬田の名前はない。
「資産管理会社の出資比率を見ると、前妻の長男が37.5% 長女と次女が25%、萬田の息子が12.5%となっています」(証券会社関係者)
佐々木氏の死後、資産管理会社の社長には前妻の長男が就任するという。
「萬田さんの息子の比率が低いのは、前妻の子供達をたててのことでしょう。事実婚とはいえ、未入籍ですから。萬田さんには一銭も遺産は入らない。遺産はすべて子供達で分け合えるように考えたようです。遺産で揉めるなんてばからしいが萬田さんらしいですね」(萬田の知人) 

ところが、これで問題解決と思いきや、佐々木氏にはもうひとつの家族の存在が明らかになったのだ。
「佐々木さんには、元部下で41歳のM子さんとの間に、当時2歳の女の子がいて、認知もしていたそうです。M子さんは、語学堪能で実務能力も高く、モデル並のルックス。M子さんは佐々木社長の右腕でしたし、萬田さんとも何度も会っているはずです。萬田さんは2歳の子供の認知などについては何も聞かされてなかったようです」(芸能関係者)
M子さんは佐々木氏が昏睡状態の中、お見舞いに行こうとしたが、萬田はM子さんだけは佐々木さんに合わせなかったようだ。
知らない間柄ではなかっただけに、出産も認知も知らされなかった萬田のショックは大きかったのだろう。

萬田久子

事実婚夫・佐々木力氏の遺産相続問題がついに決着

事実婚だった萬田久子と佐々木力氏。佐々木氏は、総資産が200億円以上もあると報じられ、佐々木氏が亡くなってから萬田と前妻との間で遺産相続問題が起きるだろうと報じられていましたが、萬田は遺産を放棄すると報じられたので、一件落着かと思われましたが、佐々木氏には萬田の知らない愛人がいたことが発覚!
さらにその愛人との間にも子供がおり、遺産相続問題で3者で揉めていたようです。そして、ついに決着をしたと2012年6月に報じられました。

都心から車で約30分のとこにある室町時代に創建された築450年以上の古利。
そのお寺に一際目を引く大きなお墓がある。
1年中花が供えられ、絶えることがない。
そこにはいつもおしゃれだった夫への妻の願いが込められているようだった。
ここね眠るのは、2011年8月に胃がんのために亡くなった萬田久子の事実婚夫でアパレル会社社長の佐々木力氏だった。

彼の死後、総資産200億円とも言われている遺産の行方が注目されていた。
佐々木さんには5人の子供がいた。
離婚した前妻との間に3人。
事実婚である萬田との間に1人。
さらに愛人A子さんの間にもうけた1人だ。
遺言がない場合、内縁の妻で入籍していない萬田には法的に相続権はない。
25年連れ添ったが1円たりとも権利はないのだ。

相続となるのは、5人の子供達のみになる。
法律に詳しい弁護士は、「法的には、萬田さんの子とA子さんの娘さんはともに、非嫡出子(ひちゃくしゅつ)で、相続分は嫡出子である前妻の子供達の半分となります。つまり3人の子供達が1/4ずつで、萬田さんとA子さんの子は、その半分1/8になるんです」

しかし、実際にはこの法定相続分と異なる相続が行われていた。
高級住宅街にある、東京・自由が丘に200坪の土地。
ここは萬田と佐々木さんが20年にわたり共に過ごした思い出の場所だ。
佐々木さんが亡くなる直前、夫婦は家の老朽化と将来のことを考え、建て替えを計画し工事も始まっていたが、佐々木さんは完成をまたずしてこの世を去る。
工事はストップし、土地は更地になっている。
この土地が遺産相続の対象なのだが、今年6月に名義が佐々木さんから5人の子供達に書き換えられていた。
5人のうち、最も多い持ち分を得ていたのが、A子さんの娘だった。
前妻の2人の娘達が39/200ずつ。
息子は29/200。
そして萬田の長男が、33/200となっているが、A子さんの子だけ60/200と法定の相続より2.4倍も多いのだ。

この土地は5億円はくだらないので、A子さんの娘は1億5000万円を相続したことになる。
通常はこのようにA子さんの娘の取り分が多くなるようなことはないが、相続人である5人が納得した場合か、佐々木さんの遺言によるケースのどちらかです。
そして、佐々木さんは生前、A子さんと娘が生活するのに困らないように、A子さん名義で都心部の1億6000万円のマンションを購入している。つまり佐々木さんは合計3億円もA子さんに渡している。

萬田と佐々木さんとの間に生まれた長男とは、2012年、彼の結婚をめぐって確執状態が続いていた。
4人の子供達だけでなく、愛人の子に佐々木さんは遺産を多く残したのだから、萬田の思いは複雑だろう。
「萬田さんは女優やモデルとして活躍しお金には困ってませんし、お金が欲しいわけではありません。しかし、25年も連れ添い、最後を看取り、華々しく送った自分よりも、財産に関しては愛人の方を手厚く考えていたことで、ますます複雑じゃないでしょうか。でも佐々木さんの遺志なら尊重してあげたいでしょうから、ここは大人の対応をしたのでしょう」(萬田の知人)

佐々木さんが亡くなってからも、萬田は月命日には欠かさず冒頭のお寺を訪ね墓参りをしている。
A子さんも娘を連れて、萬田と重ならないように、月命日の前後にお参りをしているそうです。
しかし、ある時こんな事件が起きた。
「萬田さんがお墓参りに来たときでした。その日、墓には赤い花が供えられていたんです。それを見た瞬間、萬田さんは赤は嫌いっていってるでしょ?処分して下さいと声を震わせて怒ったそうです。萬田さんはきっとあの人が・・・と思ったのでしょう。本妻のプライドとして許せなかったのでしょう」(同上)
土地や家の遺産問題は、萬田の大人の対応で解決したそうです。
内縁の妻状態で離婚をすると、慰謝料はもらえるのに(相手に原因がある場合)、遺産相続の場合は1円も貰えないとはびっくりですね。

萬田久子

最後まで愛し続けた事実婚夫の墓石に刻んだ文字

ずっと事実婚状態を貫き通した萬田久子。一部では相手は社長なので、遺産が目的などと書かれましたが、その遺産を放棄し、本当に好きで愛していたことがわかりました。最愛の夫を亡くしてショックだと思われますが、その辛さを誰にも見せずに行事をこなす姿が2011年12月に報じられてました。

東京郊外にある墓地。
その墓地の一番奥に一際目を引く、たくさんのカサブランカが飾られた大きなお墓がある。
墓石には「佐々木家」と刻まれ、裏には県立十一月吉日、施主「萬田久子」と記されていた。
2011年8月に胃がんで亡くなった萬田久子の事実婚夫・佐々木力氏のお墓だ。 

2011年11月中旬、この寺では百ヶ日法要が営まれ、納骨が行われた。
「萬田さんは、真っ白な着物姿でした。最近では滅多に着る人のいない白い喪服は、次の世界への旅立ちを送ると言われていますが、あえて白無垢を選んだ彼女の思いが痛いほど伝わってきました」(出席した芸能関係者)
そんな萬田はこの日のために1ヶ月以上も続けてきたことがある。
「墓石に刻まれた佐々木家という文字は、萬田さんが書いたものです。書道の先生の指導を受けて、毎晩2時間練習をしていたようです。何枚も書き続け、一番いい納得したものを墓石にほってもらったようです」(同上) 

その文字はとても素人とは思えないほど達筆だったそうです。
亡くなってから毎晩、悲しみをおさえ練習していたようですね。
墓地を後にした萬田の表情には涙はなく、終始笑顔だった。

萬田久子

萬田久子、事実婚夫と死別から1年・・・10歳年下男性に片思いの恋

最愛のパートナーを亡くし1年余り、最近の彼女の表情は実に温和でどこか吹っ切れた様子だ。
「2011年の10月頃から、どうしていいかわからないぐらいの湿疹ができまして、カメラの前に立つのが嫌でいろいろなことを考えました。尼寺に行ったり、出家じゃないけどね・・・」
2011年8月、20年以上にわたり事実婚生活を続けてきた夫・佐々木力氏と死別し苦しみぬいたこの1年について、そのように語った。

佐々木氏が余命1ヶ月と診断されてからは、萬田は一生懸命看病を続けた。
しかし、佐々木氏と愛人・A子さんとの間に2歳になる隠し子がいた。
これには、萬田もショックを受けたようだ。
「本当に何も知らなかったですから。私だけを愛してくれていると思ってましたから、結構ガツンときました。もし健康な時にいろいろ知っていたら別れているでしょう」
萬田が隠し子をしった次の日に、佐々木氏は昏睡状態になり、この話について何も語られなかった。

佐々木氏の死から1年、萬田はようやく立ち直ったようだ。
「最近、萬田さんは行く先々で新しいカレができたとのろけているんです。相手はずいぶんと年下のようです」(萬田の知人)
一体どんな男性なのか?
「10歳年下のファッション業界関係者のBさんです。芸能人の知り合いも多く、この業界ではやり手と評判です。背も高く細身で40代とは思えないほどスタイルもいいです。あごひげも似合います。ダンディなイケメンですよ」(ファッション関係者)
佐々木氏に似てるようですね。

萬田はB氏とは仕事を通じて以前から交流があったが、今年の夏頃に知人がふたりを引き合わせた。
萬田のB氏に対する想いは熱いようで、カレを友人に自慢したいのか?
公の場に連れ歩くようになっていく。
「2012年8月の花火大会の日に、高級ホテルのスイーツルームを貸し切って30人ほどのパーティーが開かれたんです。ここに萬田さんがB氏と一緒に出席をしていました。ふたりでドンペリを飲みながら、楽しそうに話していましたよ。恋人同士のようでした」(参加者)

B氏は、仕事柄、交友関係も広い。
その中には、有名人や芸能人もいる。
「そんなカレにとっては、萬田さんはあくまでも友人のひとりじゃないですかね?萬田さんから誘われれば、共通の知人も多いでしょうから食事なども行くと思います。カレは本気ではないと思いますよ。萬田さんの気持ちが伝わってるからこそ困惑しているようです。カレも大人なので上手にかわしている感じですが、萬田さんから見れば、逃げているように思うからしれませんね」(ファッション関係者)
萬田ももてあそばれているのかなぁと知人に話しをしていたことがあるそうです。
この恋の行方はどうなる?

萬田久子

萬田久子が10歳年下の彼氏と破局していた

萬田久子は、佐々木力氏と25年も事実婚の関係を続けました。そんな夫を亡くしてから、もう2年半が経ち、新しい彼氏も出来ましたが2014年、早くも破局をしたそうです。前の夫を超える存在にはなれなかったようです。

事実婚夫・佐々木氏が亡くなって2年半経ち、少しずつ思い出として心が整理できてきたようです。
佐々木氏の最後を語っています。

「新しい恋はなかなか難しいですね。どこかで彼と比較してしまう」(萬田久子)
アパレルメーカー元社長で25年にわたる事実婚の夫・佐々木氏が亡くなってから、もうすぐ2年半が経とうとしている。

萬田はこれまで語られなかった事実婚夫との思い出をとあるイベントで明かした。
最後の病床はこんな様子だった。
「前妻との間の子供たちも一緒にいたんです。ベッドに横たわる彼の心拍数が0になると、子供たちがわーっと泣き始めた。そうすると心拍数が上がっていく。子供たちがパパ行き返ったってみんな喜ぶんです。また下がって、わーっと泣くと上がる。それを4.5回繰り返した。そのうち、次女がパパどっちかにして・・・って。不謹慎ですけど、彼らしい最期まで笑いが絶えない病室でした。彼はホントに人生を楽しんだ人だと思います。先日、誕生日にお墓参りにいくと、真っ赤なバラがありました。やっぱりモテてた人だなと思いました」

また、総資産は200億円ともいわれていた佐々木氏の遺産については、萬田は籍を入れていないため「なかった」という。
「子供たちはもらったりしていましたが、私が遺産について聞くのも変だと思いましたし・・・。大変だったのはおしゃれな人だったので、靴3000足とか、洋服も店が出せるほどありましたね。彼は着物が似合う人で、プレゼントしたことがあるんですが、先日その着物から節分の豆が2粒出てきました。還暦の時にまいた豆。そう思い、食べてみたんですけど、ちょっとしょっぱかったですが、思い出深い味でした」

遺産については萬田と佐々木氏との間の娘は貰う権利はあるようですが、事実婚なので萬田は法的に貰う権利が発生しないそうです。

萬田は佐々木氏が亡くなってから1年経ってから10歳年下の新恋人ができていましたが、どうなったのでしょう?
「今、けっこう女子会が充実していますね。実は未亡人会をやっています。毎晩のようにね。この前も外国人の方とお会いしました。外国の方っていいですよね」

萬田を知る芸能関係者が話す。
「略奪愛の末に子供を産み、事実婚を25年続けた萬田さんにとって、佐々木さんのことをすべて忘れての本気の恋には中々踏ん切りがつかないと思いますよ」

どうやら、新恋人とは破局してしまったそうです。
未亡人会には、妻を亡くした男性も参加しているようで、もしかしたら、ここに出会いがあるかも?

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