別所哲也は日系米国人と結婚し妻が早産も子供は無事に育つ

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俳優の別所哲也は1987年にミュージカル「ファンタスティックス」で俳優デビュー。1990年のハリウッド映画「クライシス2050」や1991年の映画「波の数だけ抱きしめて」などに出演。ドラマは1999年のTBS「魔女の条件」などに出演。1999年より日本発の短編映画祭「ショートショートフィルムフェスティバル」を主宰。2009年に日系アメリカ人で会社役員の藤田ミナさんと結婚。子供は2012年7月に娘が誕生しています。

別所哲也

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低体重児出産で余命1週間の娘が無事に育ちました

子供を出産してから入籍した別所哲也。しかし、子供は出産当時、低体重児で余命1週間と宣告されていたそうです。
それから3年が経った2012年、なんとか無事に成長をし、標準体重までになったそうです。

「結婚してようやく披露宴を行うことになった理由は、みなさんに心配をおかけしましたけど、娘は今無事に3歳になって元気ですよと伝えたかったからです」(別所哲也)
2012年11月4日、彼は都内で披露宴を行った。

2009年8月、別所は20年来の交際を実らせ、1歳年下の日本系アメリカ人の藤田ミナさんと結婚した。
20年前に出会った場所は、別所のデビュー作となったハリウッド映画「クライシス2050」の撮影をしたアメリカ・ロサンゼルスだった。当時、現地で何かあったらと、紹介された日系アメリカ人家族の娘さんだったという。
同時に2009年7月16日に長女が誕生していたことも明かした。

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しかし、早産だったため生まれてきた赤ちゃんは1169グラムという低体重児だった。3ヶ月もの間、集中治療室で過ごし、医師や看護師が24時間態勢でケアしたという。
「赤ちゃんの検査をして、先生に呼ばれたのは深夜。1週間、生命がもたなかったら、それがこの子の命の長さだと思って下さいと言われましたが、その時は何も考えられなかったですね。彼女には1週間の話は伝えませんでした。帝王切開してすぐですし、彼女自身も命があるかどうかわからない状態だったので」

それから3年経った2012年、無事に娘は成長をしていた。
「今は普通の子と変わらない体重になっています。14~15キロほどあるので標準体重です。活発でおてんばの娘ですよ(笑)」

お風呂にいれるのは別所の役割だったと語っていたが、育児をしているそうだ。
「平日は朝からラジオ番組の仕事、昼からも映画やドラマの撮影があったりしますので、1日中、娘と顔を合わせない時はあります。だから、週末はできるだけ面倒を見るようにしています。公園デビューも僕が付き添ったんですよ(笑)。家では日本語は僕が教え、妻は英会話を担当しています。妻は元々ばりばり働くタイプだったので、子育てもついつち無理しがちになっているんです。睡眠をあまりとらないで、子供につきっきりの時もあるので、そこは気をつけてほしいですね」
仕事が多忙だけど、子育ては大変だけど、楽しく嬉しいそうです。

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