君島十和子の娘が宝塚音楽学校卒業へ!合格の為にしたことは
元モデルの君島十和子は1985年に「’85JAL沖縄キャンペーンガール」でモデルデビュー。1986年に「JJ」の専属モデルに。1988年にはNHK銀河テレビ小説「新橋烏森口青春篇」で女優デビュー。1995年12月に夫・君島誉幸と結婚し、芸能界を引退。子供は1997年に長女で宝塚女優の憂樹さん(芸名・蘭世惠翔 らんぜ・けいと)、2001年に次女を出産しています。
君島十和子の娘・憂樹が宝塚に合格!受かるためにしたこととは
君島十和子の叶わぬ夢に娘・憂樹が宝塚に2014年3月、見事に合格。2013年も受験をしましたが不合格に。そして、2014年の受験者数は過去5年で1065人で26.5倍と最高だったのですが見事に合格。
宝塚に合格するには、親の職業なども審査されるといった噂などもありますが、合格基準は容姿、歌唱力、踊り、運動能力などたくさんのことが見られて判断されるようです。君島十和子は娘を幼い時からタカラジェンヌにするために教育をしてきたそうです。宝塚に合格するには、小さな頃からお嬢様教育をしていないと難しいという。
2014年3月29日に、第102期生の合格発表があり、憂樹さんは見事に合格した。彼女は2013年は不合格で、見事にリベンジに成功をした。合格するまでには大変な苦労があったようです。そして2016年3月に卒業しています。
「うちの1日は、朝の7時から夜中2時まで、ずっと宝塚を流しているケーブルテレビの宝塚チャンネルからスタートするんです。今日は何組の集合日なのねとか、配役が発表されるのねとか、すごくオタクな情報を入手していました」(君島十和子)
君島十和子は自身が宝塚のファンという。
小学校6年の時に、ベルサイユのばらを初めて見て以来はまったそうだ。
それから、タカラジェンヌになることを夢見たが、両親の反対があり断念せざるを得なかった。
その後、モデルや女優として舞台に立ったが、宝塚への思いが冷めることはなかったそうだ。
そして、娘も3歳の時にマイ・フェア・レディを見て宝塚の虜になる。
そして、4歳から宝塚の登竜門といわれる名門バレエ団に通い始める。
このバレエ教室には女優の黒木瞳の長女も通っていた。
娘・憂樹は小学校になると「宝塚に入りたい」と口にするようになる。
中学生になると、宝塚予備校と呼ばれる専門スクールに通い、本格的に宝塚を目指し始める。
「少しでも力になろうと、十和子さんも宝塚公演のパンフレットに自分の会社の広告を入れて宝塚のスポンサーになるなど、娘を支援していました」(君島家の知人)
今の宝塚はチケットを売りさばく力がないと主演から交代させられるともいわれていますね。
君島十和子のスポンサー強力は合格にかなり左右されたのかも知れません。
しかし、2013年の初受験では落ちてしまった。
「十和子さんは、ダメでした・・・。私のせいで・・・と泣いていましたよ。相当悔しかったみたいで、2014年こそはと誓っていました」(十和子の知人)
そして、再び宝塚を目指す訓練が始まった。
「まず十和子さんは、憂樹ちゃんを美しくみせるために、厳しいトレーニングで有名なジムに通わせました」(同上)
さらに食事にも注意を払った。
「宝塚音楽学校の試験は、化粧が禁止されています。そのため、すっぴんの美しさが求められます。それで十和子さんは、毎朝、抗酸化作用のあるにんじんを中心にした野菜とフルーツのスムージを飲ませたそうです。昼もフルーツを食べさせました。朝と昼にフルーツを摂ることは、体に酸素を取り入れるのに最適だという理由だそうです。夜は炭水化物は少なくして、たんぱく質、野菜中心のメニューにしたそうです」(君島家の知人)
徹底をした美の管理をしたそうです。
さらに、男約に憧れていたので、そのため身長も伸ばしたそうです。
「十和子さんは行きつけの整体院に相談して、身長が伸びるような整体治療を憂樹さんにウケさせました。その結果、姿勢もよくなり、今まで以上にスタイルもよく見えるようになったそうです」(十和子の知人)
ここまでしてようやく合格ができたそうです。一番の合格基準は容姿が強く求められるようです。
そして、2016年3月1日に102期生宝塚音楽学校卒業式が同校で行われた。2年にわたって歌、ダンス、日本舞踊などタカラジェンヌの基礎を学んできた憂樹さんら39人が出席。憂樹さん(芸名・蘭世惠翔 らんぜ・けいと)は演劇部門で優秀賞を受賞。102期生39人は、2016年3月18日に宝塚大劇場で開幕する星組公演「こうもり」「THE ENTERTAINER!」で初舞台を踏んでいます。