浅田真央のソチ五輪で泣いた引退との葛藤!コーチ・佐藤信夫の素顔とは

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フィギュアスケート選手の浅田真央は2010年バンクーバーオリンピック銀メダリスト。ソチオリンピック6位。姉は元フィギュアスケート選手でタレントの浅田舞。愛知県名古屋市生まれ。中京大中京高を経て、中京大学体育学部卒業。

浅田真央

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浅田真央のコーチ・佐藤信夫氏の素顔とは

2013年12月、フィギュアスケートのグランプリで見事に連覇した浅田真央。トリプルアクセルを失敗し、不満足な内容でしたが、失敗した後の演技は技術でカバーしての優勝。

そんな浅田のスケートを指導しているのが71歳の佐藤信夫コーチ。トリプルアクセルを禁止していた時期もありましたが、あれも佐藤コーチが計算をしてのことだったそうです。さらに、母が亡くなり落ち込んでいた浅田の精神を鍛え、喝を入れ続けている鬼コーチだそうですが、厳しいだけではないそうです。

2013年12月9日は、浅田真央の母・匡子(きょうこ)さんの三回忌。
しかしこの日、母のお墓に真央は訪れることはなかった。
バンクーバー五輪では、母のために金メダルは取ることができず、銀メダルで終わった。
母の夢を叶えるため、真央は命日も墓参りをすることなく、練習に打ち込んでいた。

命日直前に行われたGPセミファイナルで見事優勝し、真っ先に母に報告したかったはずだが、ソチ五輪で金メダルを獲ることを選んだためだった。
そんな固い決意の真央を傍らで見守っている人物がいる。
真央の表情を見ながらベストなタイミングでドリンクを渡したり、演技直前には小さな声で激励している佐藤信夫コーチだ。

テレビに映る佐藤信夫コーチの表情は柔和な印象なのだが、彼をよく知るスケート関係者が話す。
「現役時代に全日本選手権を10連覇した選手です。自分の技術に絶対的な自信があるから、指導者としてはものすごく頑固です。鬼コーチとして有名ですが、ただ厳しいのではなくて、精神面などあらゆる面で選手を自分の手のひらに乗せて育てていく。世界トップレベルのコーチですよ」

佐藤信夫 浅田真央

真央が佐藤コーチに師事したのは、バンクーバー五輪でキムヨナに負けた後の2010年9月だった。
当時、真央は選手として大きな悩みを抱えていた。
トリプルアクセルは得意なのに、他の3回転ジャンプがどうしてもうまく飛べない。
バンクーバーで銀になったのも、苦手なジャンプを避けたためで、基礎点が低いことが原因のひとつだった。
「そうした問題点を見抜いた佐藤コーチは、全てを一からやり直そうと言い、滑り方の基礎や正しい姿勢から、真央のスケートを作りを直してきました」(スケート関係者)

ひたすら基礎練習の繰り返しもつらかった真央だが、特に厳しかったのはトリプルアクセルの禁止だった。
「トリプルアクセルを跳べないことで、真央ちゃんのストレスはたまっていく。当初は佐藤コーチに反発ばかりしていました。しかし、佐藤コーチは他のジャンプもできていないのに、まだ早いでしょと説得をしていました。時には2人の間には不穏な空気も漂っていて、1年目のシーズンが終わった頃には、コーチ解任の話が浮上したほどでした」(同上)

佐藤コーチは練習や試合に支障をきたさないように、私生活でも真央を厳しく管理した。
「佐藤コーチは表だって注意することはないですが、真央ちゃんがプライベートの遊びで疲れていて、試合や練習で失敗した時は、ここぞとばかりに、ほらね、やっぱりダメだったでしょうって言って、選手に自覚を持つようにうながして、今大事なのは何か認識させ、練習に集中させています」(同上)

そんな佐藤コーチに真央は愚痴をこぼすこともあったようだ。
「真央ちゃんは、佐藤コーチの締めつけがキツイなんて漏らしていた時期もありました。周囲も佐藤コーチのガードが堅くて近寄りがたい空気になってましたからね。真央ちゃんも年頃の女の子なので息抜きをしたいと思うこともありますよ。佐藤コーチにしてみれば、金メダルを獲るには、そんな時間はないという思いだったのでしょう」(真央の知人)

佐藤コーチと真央は3年間師弟関係だが、低迷していた真央の成績を確実に復調させている。
大会では失敗したトリプルアクセルも、前より高確率で決めれるようになっていたそうです。

浅田真央

ソチ五輪で浅田真央が泣いた理由とは

2014年2月、ソチ五輪で金メダルの期待がかかっていた浅田真央でしたが、ショートプログラムで転けてしまい最悪なスタートになりました。その後、持ち直して、フリースケートでは自己最高得点を記録しました。

母に金メダルを誓いましたが、結果6位で終わりましたが、演技が終わった浅田真央の目には涙が浮かんでいました。この涙の意味は、もうオリンピックに出場しないから?最後の最後に素晴らしい演技を見せることができたから?

4分間が終了した時、浅田真央は天を仰いだまま涙を流していた。
計8度の3回転ジャンプをすべて決めた演技に、会場からは拍手喝采だった。

その観客の中に、3人連れの熟年女性の姿があった。
手作りの日の丸と書いた旗を持っていた。
名古屋から応援にやってきた祖母とその妹2人だった。
「真央ちゃんの祖母は、あまり体調がよくなかったのですが、今回は最後の五輪になるそうなので、孫の勇姿を見るために、妹に付き添われてソチに向かいました」(浅田の叔父)

叔父が浅田をこう振り返る。
「真央ちゃんは小さい時から活発ですね。3歳の時からクラシックバレエを習っていたのですが、お姉さんの毎さんとはライバルのように張り合っていましたね」
もともとバレエダンサーになることは匡子さんの夢だった。
しかし、若い時に両親を亡くし、レッスンを断念せざるをえなかったそうだ。

匡子さんは、幼い2人の娘に夢を託したのだが、「5歳の時からフィギュアスケートを習わせたのですが、真央ちゃんはスケートの方に夢中になってしまって・・・。でも匡子さんは真央の好きなようにさせたいとバレエをやめることには反対はしませんでした。朝から晩までスケートの練習に付き添っていて、睡眠時間があまりとれないことがあったようです」

そして、浅田が小学校2年の時に、匡子さんが入院をする。
その時に、こんな手紙を浅田は書いている。
「絶対にオリンピック選手になるから。スケートをがんばるから、はやくよくなってね」
匡子さんはこの手紙を宝物として、亡くなる前には闘病の励みにしてたそうです。

浅田真央

浅田はバンクーバー五輪では銀メダルだった。
悔し涙を流していた。
人前では、決して悲しそうな顔を見せなかったという浅田。
しかし、「バンクーバー五輪のリベンジをしなければ、天国の母のためにも金メダル」という思いは、浅田の心から明るさや軽さを奪っていった。

ソチ五輪のショートプログラムでは、ミス連発でまさかの16位・・・。
後に、浅田はその時の心境をこう語っている。
「フリープログラムが怖くて、逃げ出したくなりました。夜に考えていてもなかなか気持ちの整理がつかなくて・・・」

そんな浅田のパニック状態を救ったのは、2人の人物だった。
1人は佐藤コーチだ。
「試合はまだ3分の1しか終わっていない。あと3分の2が残っているんだから気合いを入れろ!」

もう1人は姉の舞だった。
「本当は慰めてあげたかったのですが、ちょっと喝を入れるために叱りました・・・」

実は2007年3月、東京で行われた世界選手権が、同じ状況だった。
ショートプログラムで失敗し、シニアの試合では、それまでで最低の5位に、心が折れそうな浅田に、匡子さんは御頃を鬼にして叱ったそうだ。
「油断があったんじゃないの?こんな形じゃ帰れないよ、真央! 悔しくないの!」
その厳しい言葉を受けて、浅田はふっきることができたのだった。

このソチ五輪でのコーチと姉、2人の叱咤は浅田にとって、母の言葉を思い出させたのだろう。
その結果、フリープログラムでは、自己最高得点を記録した。
浅田は笑顔でこう語った。
「やりきったと思いました。終わって、ホットして、4年間やってきてよかったと思えます」

そして、気になる浅田の今後の進退ですが、浅田と親しいスケート関係者が語る。
「ソチ五輪のフリーで納得できる演技ができたので、今季で引退の可能性が大です。3月の世界選手権に出場した後は、夏までアイスショーに出演するそうですが、これが彼女の引退ツアーになると思われます」
スケートを引退をしたら、旅行をしたりしてゆっくりしたいそうです。

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ソチ五輪でジャンプを失敗をしたのは連盟が原因だった

ソチ五輪で完全燃焼をした浅田真央は、2014年3月26日に開催される世界選手権(埼玉)で引退すると決めていたようですが、日本スケート連盟は引退も自由にさせてくれなかったという。

さらに、浅田真央がソチ五輪の団体戦でジャンプをことごとく失敗をしました。失敗したことに対して、精神的に弱いのが原因という意見が多かったですが、実は日本スケート連盟のせいで、調整ができなかったことが原因だったようです。

「世界選手権でショートもフリーも両方そえおえて、全国のみなさんに感謝の滑りをして、それからしっかり自分で考えたいです」
現役続行か引退かについて悩んでいた浅田真央に、大きな変化が起きていた。

「真央ちゃんは負けず嫌いで、我慢強く、身内にだって不満ひとつこぼさない子だったんですが、措置から帰国してから、連盟ってなんですかね?と周囲に漏らし始めているんです」(スケート関係者)

日本スケート連盟は、スピードスケート、ショートトラック、フィギュアのアマチュア競技を統括する公益財団法人。
現役の選手であれば、プロ、アマ、引退したコーチや解説者、フィギュアスケートにかかわるには、すべてここの連盟を通さないと始まらないのだ。
そして、この連盟に浅田は不満を爆発させていた。

浅田真央

浅田が連盟と対立するできごとがあったという。
「ソチ五輪では初の団体戦が行われました。これに出場する選手は個人戦まで10日以上の間が空いてしまうんです。真央ちゃんと佐藤コーチはこの間、一度帰国して普段練習している中京大のリンクでの調整を望んでいたんですが、連盟はすでに確保しているアルメニアのリンクに行くことを強制したんです」

さらに、このアルメニアのリンクが最悪だったそうです。
空調整備も行き届いていなくて寒いし、氷には砂が混じっていてガタガタ。
その結果が、ソチ五輪での浅田のジャンプ失敗を生んでしまったといっても過言ではないだろう。
一方で、男子フィギュアで日本人初の金メダルを獲得した羽生選手は、体調不良を理由に、カルメニアのリンクでは調整しなかったそうです。

そして、この連盟はスケート業界ではすごい力を持っているそうです。
絶対匿名を条件に現役のフィギュアスケート選手が話す。
「連盟の幹部から目をつけられると、どんなに才能があってもアマチュアでやっていくのは難しい。彼らは強化指定選手やオリンピック出場選手、また彼らに就くコーチの決定権がありますからね。コーチ代や遠征費、衣装代などで高額な金額が必要なフィギュア選手には、連盟から補助がもらえる強化選手になることが必須。さらに幹部の人達は選手としてはたいした成績を残していないんです。ですから本当の意味で選手の気持ちに寄り添って考えたり、現状を理解してスケート界を向上させることを考えているのは、ほんのひと握りだとおもいます」

さらに、浅田がスケート連盟に疑心が膨らんでいる理由を別のスケート関係者が週刊誌に話してくれた。
「浅田選手の中では引退の気持ちの方が大きいです。連盟の長を務める橋下聖子さんが、真央は辞めないと思っています。公の席で話しているんですよ。その発言は浅田選手にとって大きなプレッシャーですよ。浅田選手が引退となれば、CM出演料などを管理している連盟にとっては大ダメージになりますからね。浅田選手にしてみればリンクすら選ばしてくれず邪魔ばかりするのに、引退しようと思ったらそれもさせてくれない。一体何なの?となっても当然ですよ」

浅田選手がソチ五輪の団体戦でまさかのジャンプ失敗で転倒をしたのは、調整が自由にできなかったことにあったようです。

浅田真央

浅田真央は引退をしないでプロに転向する

2014年3月、さいたまスーパーアリーナで開催されたフィギュアスケート世界選手権で浅田真央は、ショートプログラムで歴代世界最高得点78.66を叩き出し首位スタートをしました。注目されたのは、浅田がこの大会後に発表する予定の今後の進路だった。

浅田は完全燃焼をして引退をしたいようですが、日本スケート連盟は浅田が引退をすると収入が激減するため、引退させないようにと必死だったという。

ソチ五輪後の会見で浅田は、「引退はハーフハーフ」と言った。まだ自分の中ではどうするのか決めかねている。

浅田は2014年3月の世界選手権の後は、2014年4月3日に名古屋でアイスショーに出演し、4月5~6日は、大阪で2度目の世界選手権のエキシビジョンが行われる。
2014年4月3日から始まるアイスショーのツアーでは4ヶ月間で約50億円の売り上げが見込まれていたという。
しかし、浅田のギャラは1回の公演で30万前後で、予定の40公演でも1200万にしかならない。

荒川静香は金メダリストということもあり、1回の出演料は100~150万と浅田の3倍ほどもある。
集客力を考えると浅田は格安だ。
浅田が安いには理由がある。
「浅田選手はアマチュア扱いなので、スケート連盟の管理下にいるのでギャラが抑えられてしまうんです。プロに転向した荒川さんと差があるのは仕方ないです」(フィギュア関係者)

浅田真央

テレビに出演しても、窓口はスケート連盟で、出演料も浅田に直接振り込まれることはない。
1時間程度の番組で、テレビ局から連盟に支払われるのは100万程度だが、さらにマネジメント会社を通じて最終的に浅田本人に支払われるのは5万円ほどだという。

ソチ五輪直前、浅田のCM契約は約10社で、1社あたりの契約料は3000万円前後といわれている。
そして、今後の契約では、さらにアップして5000万前後になりそうだった。
「いま浅田選手にはCMオファーが殺到しています。最終的には15社ほどが契約することになりそうです。15社が5000万円で契約すれば7.5億円になります。しかし、浅田選手はプロ宣言していないのでスケート連盟に20パーセントを納めないといけません。連盟に納付して残った金額をマネジメント会社と分け合う形になるんです。浅田選手はこれまで競技大会で得た賞金も10パーセント納めてきましたが、もし競技選手として引退をしプロに転向すれば、連盟への納付はゼロになります」(別のフィギュア関係者)

浅田の去就に気が気でないのはスケート連盟だった。
浅田がプロに転向すれば連盟の収入は激減してしまう。
2005年から全日本選手権と世界選手権を独占放送するフジテレビは、ここ10年で100億円を超える放映権料をスケート連盟に納めていた。
もし、浅田が引退すると、フジは放映権料の契約を更新しない可能性もある。
そうなれば、連盟は大きな収入を失うことになる。
だからこそ、浅田真央を引退させたくないようです。

そして、浅田真央は自由に生きたいという気持ちもありながら、これまでになかった思いも芽生え始めている。
「今、真央ちゃんの胸中は揺れに揺れています。スケートを始めた幼い頃から、両親が経済的に苦労してきたのを見てきていますから。自分がプロに転向すれば、いままでより大きな収入が見込め、金銭的にも親孝行できるという気持ちが動いているみたいです」(浅田家の知人)

浅田選手はどういう決断を下すのでしょうか。

浅田真央

浅田真央の進退は!実は腰の状態がボロボロだった

さいたまスーパーアリーナで行われた2014年フィギュアスケートの世界選手権・ショートプログラムで世界歴代最高得点で優勝をした浅田真央。この大会が最後になると報道されているとあって、最高の演技で締めくくりました。浅田真央は引退をしたい気持ちが強かったようですが、日本スケート連盟がそれにストップをかけている状態だった。

プロに転向をして、賞金を稼ぐ道も考えているようですが、もう浅田真央の体は限界に近かったそうです。腰の状態がよくなくボロボロだったそうです。今後の進退については、もう少し先に答えを出すようですが、腰の状態がよくならない場合は引退の可能性もあった。 

浅田真央はソチ五輪後に引退については、「すべてにおいて自分の目標も達成しましたし、まだハーフハーフじゃないかって思います。自分が・・・やりたいって思えばやるんだと思います」と答え、現役続行か引退するかは半々の気持ちであることを明かしました。

浅田真央がスムーズに引退できない背景には、日本スケート連盟からの圧力があることが報じられています。

実は浅田真央はフィギュアスケート選手の持病ともいえる腰痛を抱えていたそうです。
腰痛の原因はジャンプの衝撃や体をそらすスピンの影響が原因だそうです。
キム・ヨナもソチ五輪直前まで腰痛を治すために休んでいましたね。
ロシアのエフゲニー・プルシェンコもソチ五輪のSP直前の練習で腰を痛め、棄権し引退をしました。

浅田真央

5歳からスケートを始めていた浅田は腰痛持ちではあったが、それほど深刻ではなかった。
しかし、20代になった頃から腰が悲鳴をあげていたそうです。
2012年12月のGPファイナルの時は、腰が痛すぎてあまり練習ができなかったそうです。
その時のことをインタビューでこのように話している。
「疲労で限界を感じる時もある。年をとったなぁと思います。気持ちは変わらないけど、体に疲れを感じる」(浅田真央)

腰痛対策として、自分の体のケアに時間を使ったり、必要以上の自主練習をやめたり、クールダウンの時間を持つ。
腰痛を和らげるために、柔軟性を高めるためにバレエも始め、寝るときは高機能マットレスを愛用し、海外の試合にも持っていくなどしていたそうです。
それほど、腰に対する痛みがひどかったようです。

そんな状態で、トリプルアクセルを続けていたそうです。
2013年の全日本選手権では腰痛が悪化し、ジャンプミスも続き3位に終わった。
ソチ五輪の時も腰の状態が良くなかったそうです。
それに追い打ちをかけたのが、日本スケート連盟が用意したボロボロのスケートリンク。

そんな状態の中で、2014年フィギュアスケートの世界選手権で世界歴代最高得点を出し優秀の美を飾った。
完全燃焼ができた浅田真央の進退はどういう答えを出すでしょうか!

浅田真央

日本スケート連盟が無条件で強化指定選手の資格を与える

浅田真央がフィギュアスケートを引退するのか?現役続行かで注目を集めていた。そんな中で、日本スケート連盟は、浅田真央が引退をしてしまうと独占放映料やCM出演料などの収益が激減するために引退させないようにしようと必死です。

当初は引退する予定だった浅田真央も、日本スケート連盟が出してくる条件などに、心が揺れ動いていた。そしてさらに浅田真央に特例を出したという。強化指定選手にならないと、国際大会への出場資格が失うのですが、この資格を無条件で与えるそうです。浅田真央選手はどういう決断をするのでしょうか?

世界選手権後に引退か現役続行か答えを出すと言われていた浅田真央が、2014年5月中にも去就の結論を出すと報じられていた。
浅田は当初、2014年7月末のアイスショーが終わることに進退表明するつもりでいたようだ。
「浅田選手は引退を考えていましたが、最低でも1年間の休養生活に入ろうとしました。しかし、今の気持ちはハーフハーフというように、本人の気持ちは揺れ続けているようで、競技を続けることも考え始めています」(スケート関係者)

さらに日本スケート連盟は浅田真央の決断についてこのように話している。
「日本オリンピック委員会の強化選手本部長で日本スケート連盟の橋本聖子会長は、浅田選手にゆっくり考えればいい。強化指定選手を決める2014年4月中に決めなくても問題ないと明言しました。本来この強化指定選手にならないと、2014年の国際大会に出場する資格を失います。しかし、スケート連盟は、いつでも浅田選手が強化指定選手になれる特例を認めたようです。連盟が示したこの特別待遇のオファーが、現役続行に向けて浅田選手の心を動かしたのでしょうね」(別のスケート関係者)

ここまでスケート連盟が必死なのは、浅田選手が引退すると連盟に入ってくる収入が激減するためだそうです。
この10年で100億円を超える独占放映権をフジテレビはスケート連盟に払っていたそうです。

浅田は、2014年5月中のスケジュールはイベント出演などのほとんどをキャンセルしていた。
その理由は、進退について考慮したいと報じられているのだが。
「5月上旬、彼女はカナダ在住の振付師であるローリー・ニコルの元でプログラムの打ち合わせをするそうです。そのプログラムがアイスショー用なのか、競技用なのかは不明です。恩師のニコルに進退について相談すると思われます」(現地スケート関係者)

2014年5月19日に2014年~2015シーズンの全試合出場を見送り、1年間競技生活の休養を発表した。そして、2015年5月に現役続行の意思を明らかにしています。

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