福山雅治が吹石一恵と電撃婚!結婚しなかった理由は家族に
シンガーソングライターで俳優の福山雅治は、1988年映画「ほんの5g」で俳優デビュー。1990年に「追憶の雨の中」で歌手デビュー。1993年にフジ系ドラマ「ひとつ屋根の下」に出演。1994年に「IT’S ONLY LOVE」が初のミリオン。2000年の「桜坂」は200万枚を超えた。2007年にフジ系ドラマ「ガリレオ」に主演。2010年にNHK大河ドラマ「龍馬伝」に主演し坂本龍馬を演じた。2015年9月28日に女優の吹石一恵と交際期間4年を経て結婚しました。
スウェーデン旅行でエコに目覚める
芸能界ではエコという言葉が流行ってましたが、福山雅治までエコに目覚めたいたらしいです。
本当にお客さんが来てくれるか心配でしたが、温かい声援を受け感無量でした。
映画「容疑者Xの献身」の先行ロードショーが2008年10月1日、長崎で行われた。
主演の福山雅治は、地元凱旋を果たし、熱狂的な歓迎に感激しきりだった。
実は20年前に出演した映画「ほんの5g」公開の際、長崎で見た母親からは「客が3名しかいなかった」と聞かされていたという。
今回の映画は意外にも初主演作品だった。
天才物理学者、湯川をクールに演じて新たな当たり役となった福山だが、私生活については謎につつまれている
「つい最近、オフにスウェーデンに旅行したと聞きました。毎日10キロほど歩いたりして大自然と触れ合ったそうです。もともと福山さんはエコロジーに興味があって、エコ先進国として一度スウェーデンに行ってみたかったそうです。現地のスーパーではレジ袋も置いてないし、都市部の交通量もきちんと規制されていて関心したと言ってました」(映画関係者)
エコに改めて開眼した福山。
食生活にも気をつけるようになったという。
「CMの撮影でロスに行ったのがきっかけで、マクロビオティックにはまったようです。マドンナがマクロ実践者なのは有名ですが、福山さんもマドンナを思い出し、自分もやってみようと始めたら、体調がすごくよくなったそうです。」
マクロビオティックとは、小麦・玄米などの全粒殻物に新鮮な野菜、豆腐、海藻、果物を主体とした食事法だ。
ダイエットや美容にいいだけではなく、アトピーやアレルギーにも治療食としても注目されている。
だが流行を意識しているわけではなく、福山にとってはあくまで仕事のためだという。
「トレーニングで体系を維持したり、食事にも気をつけているので大変だろうと思って聞いたら、こういう仕事をしているのだから、プロとして体調管理は当然と言ってましたね。」(テレビ局関係者)
常にプロフェッショナルな福山雅治でした。
福山雅治がNHK大河ドラマ坂本龍馬の主役に
福山雅治主演映画・容疑者Xの献身が好調だった。観客動員数は2008年10月4日の公開以来3週連続1位で動員数は200万人突破の勢い。歌手としても1年半ぶりとなるシングル・想~new love new world~を発売した。
ノリに乗っている福山に、さらに大きな仕事のオファーが舞い込んでいた。
「2008年の篤姫が常時25%以上の視聴率で、NHK大河ドラマが再びクローズアップされています。2009年度は妻夫木恥主演の天地人。2010年は坂本龍馬の生涯を描く龍馬伝に決定しています。実はその主演・坂本龍馬役として福山さんに白羽の矢が立っているんです」(テレビ局関係者)
龍馬伝の制作発表は2008年6月5日だったが、その時点ではキャストは、全く決まってなかったという。
「その後、NHK側から正式に福山サイドにオファーがあり、両者で話し合いが行われました。福山自身も大河ドラマをやってみたいと興味を示したそうです。」(テレビ局関係者)
龍馬伝の脚本はドラマ「救命病棟」「海猿」などヒット作連発の福田靖氏が担当する。
今回主演の映画・容疑者Xの献身も福田氏が手がけている。
「福山と福田氏は、同じ九州出身とあって、ガリレオ当時から、地元の話題で盛り上がっていました。今回の大河主演オファーには、福田氏の影響があったのかもしれませんね」(ドラマ関係者)
福田氏とつながりの深い同世代俳優と言えば・木村拓哉だ。
一部では龍馬役は拓哉という報道もでていた。
ジャニーズ事務所に連絡をして聞いてみると
「これまでオファーは一度も来てませんし、出演はありえません。なぜこのような話がでてきているのか非常に困惑しています」とのことだった。
NHK側に龍馬伝の福山&オファーについて聞いたが「まだ発表していません」と答えるのみだった。福山の故郷である長崎は、龍馬が海援隊で活動した土地。2009年40歳を迎える福山は「長崎ふるさと大使」でもある。
福山雅治と今田耕治が共有する秘密とは
福山雅治とお笑いタレント今田耕治の共通点は2009年当時独身。そしてこのふたりが秘密にしている共通のことがあるそうです。
都内の閑静な住宅街の住民達の間で話題になっていることがあるという。
この地に建つ超高級マンションに、大物芸能人2人、しかも同じ階にお隣さん同士住んでいるというのだ!
福山雅治と今田耕治である。
一見、ルックスもキャラもまったく別モノという感じだが、実は意外にも、ふたりには接点と共通点があった。
「1992年、当時、今田さんがパーソナリティーを務めていたラジオ番組に、福山さんを呼んだことがきっかけです。それ以来ふたりは仲のいい関係のようです。一緒に食事にいくことなどもあるそうです。かつて今田さんが、お互いビデオの貸し借りをしていると暴露までしたことがありました。」(芸能事務所関係者)
しかも、ふたりは出会いから3年後、ドラマ・いつかまた逢えるで共演もしている。
ふたりが仲がいいのはお互いにまだ共通点があるからみたいだ。
AV交換とは別に、ふたりは超がつくほど綺麗好きなのだ。
「福山さんは、布団にはいる前に必ずシャワーを浴びないとイヤ。出先で共有のスリッパは履けないといってます」(芸能事務所関係者)
一方の今田も、司会を務めていた今田ハウジングで自分の部屋を公開した際、あまりにも行き届いた生理整頓ぶりでスタジオを驚かせたほど。
「酔って帰っても、掃除と洗い物は必ずするとか。番組で着る衣装も、普通はクリーニングのビニールをとって渡すんですが、今田さんにはビニールのまま渡すんです。潔癖症といっていいほどの綺麗すきなんでしょう」(テレビ局スタッフ)
そんなふたりが住んでいるマンションとは?
不動産関係者にきいてみた。
「安い部屋でも、億をしたまわることはないですね。高い部屋だと6億以上します。あのマンションは、高い部屋から売れていったんです。おふたりの部屋も最低4億はするでしょうね」
当然セキュリティーも一流で警備員が常駐している。
婚活してそうな有名人アンケートで今田が1位・福山が4位に輝いたことがあるが、このふたりは結婚は何時か?
NHK大河ドラマ龍馬伝の魅力を語る
NHKドラマ初出演の福山雅治が龍馬伝の魅力や撮影でのエピソードを告白しています。
坂本龍馬役のオファーを受けてどう思いましたか?
「最初は正直、俺じゃないだろうと。だいぶイメージが違うし、違和感がありました。せっかくお話を頂いたのと、プロデューサー、監督、脚本家の新しい龍馬を作りたいんだという情熱をに胸を打たれまして。そこまで熱心にいってくれるんだったら、もしダメでもプロデューサーのせいにすればいいかなと(笑)。凄い熱意で口説かれて、勇気をもらった感じですね」
どんな龍馬像を演じたいと思ってますか?
「スタッフと話しているのは、龍馬は最初からすごい人ではなかった。だけどすごい人になるべくしてなる、何かを持っていたんじゃないかということ。26歳で土佐藩を脱藩する以前、坂本龍馬が坂本龍馬たる人物になる以前の、人格形成を部分を丁寧にやりたいと思います。そのことによって福山龍馬の姿が見えてくるのだと思います」
これまで撮影した中で、特に印象に残っているシーンは?
「たくさんあるんですけど、本当に水浸しになったり、泥まみれになったり、若手芸人さのような状態でやっています。強烈だったのは1話で、池に落ちるシーンがあるんですが、その水が本当に濁った緑色で、思わずここに落ちるんですか?!と聞いてしまいました(笑)。あとは2話で川の堤防を造るため、土砂降りの大雨の中、土のうえ担いで運ぶシーン。そこにエキストラで牛が何頭もいるんですが、糞などをずっとするんですよ(笑)。それが混ざった泥水をずっと浴びせられる状態で、口の中が大変でした」
いまこの時代、龍馬に学ぶべき事は何だと思いますか?
「とにかく1回全部受け入れてみるということでしょうか。剛の人というか、強い力でブルドーザー的にダーッと進むイメージを抱いていたんですけど、むしろ逆に柔よく剛を制すじゃないですが、すべてを受け入れる器であり、多面体のような人だったのではないかと。だからこそ、ああいう魅力的であり、人を動かす人になれたのではないかと思います」
もし現代に龍馬が生きていたら、何をしていると思いますか?
「理想をいえば、役人にはなっていてほしくないなと(笑)。どっちかといえばビジネスでカッコイイお仕事をしていてほしい」
福山雅治が演じた坂本龍馬は、役作りで髪を伸ばしたり日焼けで肌を黒くしたりするなど忠実に龍馬像を再現しました。
福山雅治と吹石一恵の交際発覚
2011年12月交際が発覚した福山雅治と女優の吹石一恵。そのふたりですが、すでに喧嘩中なのでしょうか?一体何があったのでしょうか?
「吹石一恵さんなら、何度かあのマンションから出てきて、近所を歩いているのを見ました。誰かを待っているようでした」(近所の住民)
都内の一等地にある高級分譲マンション。
高い部屋だと、150㎡の2LDKで3億円近くするという。
芸能人も何人か住んでおり、そのひとりが福山雅治だ。
フライデーでも吹石一恵のマンション通いデートが報じられていたが、週刊誌でも2011年12月15日に福山の住んでいるマンションから吹石が現れたのを目撃した。
実はフライデーが掲載したのは14日の吹石。
前日と違ったのは吹石の手にはウサギのキャリーはなく、トトバッグも持っていない。
どういうわけか、吹石はかなりご機嫌ななめな顔をしたいた。
頬をぶーっとふくらませ、口をとがらせ、出てきたマンションを何度も何度も振り返っては睨んでいる。
電柱のとこに3分もじっとし、マンションをさらに睨んでいる。
一体何があったのだろうか?
しばらくして、マンション付近を歩き回ってから、タクシーを拾って消えていった。
吹石は10時間ほどでまたこのマンションに戻ってきた。
どうやら着替えてきたようだ。
「吹石は2012年1月からは大河と月9ドラマを掛け持ちで超多忙です。12月は撮影などで忙しかったはずなのですが・・・」(テレビ局関係者)
そして、この日もやはりお泊まりし、吹石がマンションを出てきたのは翌16日。
マンションを出る彼女の手には、最初の晩に持ち込んだ大きめのトートバッグが。
さらに彼女は警戒をしているのか?
周囲をぐるりと見回しながら大通りから住宅街に入り、到着したのは代官山の裏通りにある定食屋だった。
ここで1時間過ごしゆっくりしていた。
「彼女、この店でよく見ますよ。店内ではサングラスを外してくつろいでいる感じです」(常連客)
定食屋でくつろぐ彼女からは、ここが行きつけであることをうかがわせた。
でも吹石の家からここの定食屋までは近くない。
さらに、最初の晩にみかけてウサギのキャリーはなかった。
ということは、福山のマンションで同棲生活をしているのだろうか?
吹石一恵が福山雅治を落とした献身方法
福山雅治と吹石一恵の半同棲生活が報じられました。吹石一恵は、男性ファンも多く男性にもかなりもてます。福山雅治の方はそれ以上に女性ファンが多く女性からもてまくりです。吹石が福山を落として恋に発展したのでしょうか?
ふたりの出会いは、2001年3月、ananで福山が女性を撮影するという企画があり、そのモデルを務めたのが当時18歳だった吹石一恵だった。
「それ以来、吹石さんは福山さんのファンになり、ライブなどもよくいってました。楽屋には必ず顔を見せて、特大サイズのいちごとか、季節のフルーツなどを差し入れしてました。バンドメンバーからも彼女は公認されていました」(芸能関係者)
吹石はこれまで一切、男性のスキャンダルが報じられてこなかった。
そんな彼女だが、どうやって福山を手に入れたのだろうか?
「箱入り娘で大事に育てられてきたんですが、いつも底抜けで明るい。しかもちゃんと空気が読めるから、誰にでも優しい。周囲への気遣いも抜群なんです」(テレビ局関係者)
彼女の献身ぶりで勘違いする芸能人は多いという。
ドラマで共演した伊東四朗はメル友。
「携帯を買ったばかりの伊東さんのメールの練習台になったことがきっかけだったそうです。伊東さんは、その吹石さんの優しさに思わず惚れてしまうなんてラブメールを送ったほどですから」(同上)
武田鉄矢は、バラエティー番組に出演した時に、「ありゃーいい女だな」と大絶賛。
吹石にサインを貰いに行ったこともあるそうだ。
年齢を問わず、吹石は人気があるようだ。
表向きの八方美人ではなくて、献身的に世話をしてくれるところがもてる秘訣のようです。
福山雅治が結婚しなかった理由は家族にあった
第66回カンヌ国際映画祭の最高賞を競うコンペティション部門に出品されている「そして父になる」が高評価をされ、福山雅治がまさかの男泣きをしました。実は、この作品(映画)「そして父になる」は、福山が家族のことを思い出したのでしょう。
愛しさ、厄介さ、心の奥底に横たわる残酷な感情。
それはずっと変わらないと思っていたのに、歳月とともに確実に変わる。
ふと口にした約束は果たされず、小さな胸騒ぎは見過ごされる。
人生は、いつもちょっとだけ間に合わない。
だから後悔をする。
後悔・・・それはそこに愛があった証。
だから後悔することはいいことなんだ。
そして父になるでは、家族への思いが、こんな具合に描かれてきた。
何気ない家族の日常とともに、家族ひとりひとりの心の動きが丁寧に重ねられていく。この作品を見た人は、自分の家族を思い出し、胸をしめつけられる。そして父になるはこのような映画だ。
そして、この映画がカンヌ国際映画祭のコンペディション部門に選出され、最高賞であるパルムードル獲得予想オッズで5倍の1位となっているのだ。
日本の作品では1997年に「うなぎ」が受賞している。
この映画の主演を務めているのが福山だ。
福山は家族に対していい印象がなかったと言っていることがあった。
ふたり兄弟の次男として長崎県に生まれる。
父は賭博好きでほとんど家に帰らず、家計を支えたのはパート勤めの母だった。
月に20万にも満たない収入で、家族旅行も外食も買い物の記憶もない。
父はたまに帰ってきては酔っぱらっているようなだらしない父だったそうです。
そんな父が福山が17歳の時に高いし、葬儀にやってきたのは父の麻雀仲間ばかりだった。
小指のない父の友人達は泣きながら、棺桶の中に麻雀牌を並べていた。
そんな父を憎むことはなかったというものの、「こういう家族はいいなという実例はそばになかった」と振り返ったこともある。
地元の工業高校を卒業し、市内の電機メーカーの営業職に就職するも、わずか5ヶ月で上京をする。
「地元の友人や母にはミュージシャンになるために上京すると言っていたようですが、本当はそれより家族に縛られて生きたくないという思いが強かったんです。社会人なのに、帰りが遅かったり、女の子が言えに遊びにくるといろいろ理由を聞かれ怒られたりする。そんな生活が息苦しかったようです」
当時のことを振り返り、福山は家族は好きじゃなかったと言っている。
福山は2013年5月現在44歳で独身だった。
結婚しない理由についてはこのように答えていた。
「結婚が遅いのは、おそらく自分の中に、家族というものに対して、いい印象がなかったからでしょうね」
しかし、過去にラジオで、「来年40歳になる。40までに結婚をする」と宣言したこともあった。
しかし、いざ結婚のことを考えると、過去のトラウマから思考がストップしてしまっていたのだ。
映画の撮影は連日午後11時近くまで行われた。
そして、宿泊先のホテルで監督や出演者らと酒を飲み交わし、家族について語り合った。
そして撮影が進むにつれ福山に変化がでてきた。
時間があれば実家に帰るようになり、2013年5月12日の母の日には家のリフォーム代金をプレゼントしたことを福山はラジオで明かした。
この映画はかなりこだわりをもって役を演じ作り上げていったとのこと。それだけに、この作品への思いはかなり強いものになっていたそうです。
そして、2015年9月28日に福山は女優の吹石一恵と交際期間4年を経て結婚しました。出会いは2001年のファッション誌「an・an」の企画で福山がカメラマンとして吹石を撮影したこと。2010年に再会し、2011年から交際がスタート。2012年に福山と吹石の交際が週刊誌にキャッチされていました。結婚に際して、福山の所属事務所のアミューズの株価が翌29日に前日比500円安まで急落し、福山ショックとして報じられました。