元女流棋士でタレントの林葉直子は、1979年に11歳で女流アマ名人戦で優勝。1980年に12歳で女流2級にてプロ入り。14歳で初タイトルを取り女流王将に。その後女流王将戦10連覇。1994年に休養宣言し、1995年に将棋連盟を退会しています。

林葉直子

林葉直子が激やせをした原因は肝硬変だった

林葉直子は、美人女流棋士として有名だったのですが、林葉直子という名前を全国的に有名にしたのは、将棋棋士・中原誠との不倫騒動でした。

衝撃的だったのは、中原誠が林葉直子にかけた電話の内容でした。「今から突入しま~す」「もしもし?もしもし?私は林葉直子の愛人でしたっつうんで週刊誌に売ります。それではよろしく~今から突撃!」「お前みたいなのは早く死んじまえ!エイズにでも何でも早くかかっちゃえばいいんだよ!」

これが原因で、林葉直子は流棋士を引退することになりました。その後は、豊胸手術をしたり、写真集を出したりタレント活動をしていましたが、不倫以上の強烈なインパクトが残せずに、次第に芸能界から消えて行きました。

それから何十年ぶりでしょうか?テレビに復帰した林葉直子は、以前とはまるで別人の姿になっていました。これには、誰もが驚きましたが、実は末期の肝硬変になっていたそうです。

「もしもし、これから直子邸に突入しまーす!」と中原誠十六世名人が発した肉声を覚えているだろうか?
中原氏と林葉直子との不倫スキャンダルが発覚したのは1998年のことだった。

2014年3月、久しぶりにメディアに登場した林葉さんは自ら「ガイコツ」と語るほどやせ衰えていた・・・。
一体何があったのだろうか?

14歳で初タイトルの女流王将を獲得し、その後10連覇をした。
美貌からも棋界のアイドルともてはやされた林葉さん。
だが、30歳の時に発覚した中原氏との不倫をきっかけに人生の歯車が狂う。
棋界を追われ、写真集に豊胸手術。
36歳で六本木にインド料理店を出店するも失敗し自己破産。
そして、さらなる不幸が襲いかかっていた。

「末期の肝硬変です。もうここまで来たら治りません。医者からはいつ死んでもおかしくないと宣告されています。どうせ死ぬんだったら、病院で食事するよち、自宅でケーキやお寿司など好きな物を食べたいと思って、今は実家にある福岡で一人暮らしをしています」(林葉直子)

2014年2月21日に現状を報告したテレビで見せた姿が変わり果てていた。
痩せこけていたのだが、お腹だけは病が原因で水が腹にたまり、お腹だけが膨れあがっていた。
「お酒が原因です。酒浸りになったのは中原さんとの不倫がきっかけ。中原さんは私にとって悪手でしたね(笑)。でも、私から近づいたんです。彼は私たち女流棋士の憧れの尊大だった。棋界には難しい性格の男性が多いですが、、彼はいつもニコニコ笑っていました。しかし、付き合い出すと人が変わって・・・」

交際をしてから、中原氏のストーカー行為に林葉さんは苦しむ。
「将棋を止めろと迫ったり、妊娠したら産んでくれと言ってきたり、結局は子供は堕ろしました。私が会うのを拒否したら朝の5時に電話をしてきて、今からパソコンを外に投げるぞとか騒ぐんです」

中原氏のストーキング行為に怖くなり、自分自身を守るために世間に公表することを林葉さんは決心をする。
冒頭でお伝えしたテープの内容を1998年に週刊文春に提供し、連日ワイドショーで取り上げられる騒動に発展した。

「まぁ、もう済んだことです。中原さんとはあれっきり。会いたいとも思いません。将棋をしなければこんな人生にならなかったのでしょう。今頃、結婚して子供もいて普通の女性の幸せも得られていたのでは。でも一方で、将棋のおかげでこんな波乱万丈な人生を送れたんだとプラスに考える気持ちもあるんです」

最後に生まれ変わったら、大金持ちの男性になってラスベガスで勝負をしたいそうです。すでに、「遺言-最後の食卓」の著書を2014年2月24日に発売しています。

2015年9月、重度のアルコール性肝硬変のため福岡県内の自宅で長期療養を続けている林葉は、公式ブログで自宅で転倒して骨折し車椅子生活を送っていたことを告白。リハビリで立ち上がって歩行できるようになったという。その後も定期的にブログを更新しているようです。