林家三平の妻・国分佐智子の女将修行!海老名香葉子の嫁弄り
落語家の林家三平は、1989年に林家こん平の門下生となり「いっ平」として落語家の道へ。1993年に二つ目昇進。2002年に真打ちに昇進。2009年に2代目林家三平を襲名。2011年3月にTBS系「水戸黄門」の共演が縁で女優の国分佐智子と結婚しています。
林家三平が国分佐智子と交際1ヶ月で結婚
泰葉は弟でもある林家三平が結婚したことにびっくりしていたそうです。姉も認めるマザコンだったからだとか。しかも、出会ったのが2010年の11月のスピード結婚。妊娠はしていないようですが、かなり惚れ込んでいたようです。そんな林家三平がどんな口説き文句でプロポーズしたのでしょうか?
婚約者・国分佐智子が来ていたのは、林家三平の母から贈られたものだった。
三平がレギュラー出演する水戸黄門で共演という間柄のふたり。
「ゲスト出演した国分さんに一目惚れしてしまったそうです。2010年11月の収録で知り合ってから、毎日携帯電話の充電が空っぽになるまで4、5時間も電話で猛アタックしたそうです」(ワイドショー関係者)
最初から結婚してほしいと積極的な三平に戸惑った国分。
しかし、国分の誕生日である2010年12月5日に正式に告白され交際をスタートさせると、同11日の三平の誕生日には彼を自宅へ招き、リクエストの豚のショウガ焼きを振る舞ったという。
すっかり感動した三平は俺がお前を守ってやる。俺についてこいとプロポーズ。
交際わずか7日目でのことだった。
三平と結婚するということは、海老名家を嫁ぐということ。
母の香葉子、美どり、泰葉をはじめ、かなりのプレッシャーだったはずだ。
娘をそのような場所に嫁がせることになり、心中穏やかであるはずのない父親を直撃した。
「最初、娘から話しを聞いた時には、うちの娘で務まるのかと心配はありました。お正月の三が日には、泰介さん(三平の本名)が挨拶に来て下さったのですが、しっかりスーツを着てきちっとされていました。お正月なので日本酒を飲みながら、5、6時間お話をしました」
恋愛に関しては、海老名家はかなり厳しい。
つきあった人は必ず母に紹介し、その度に評価を聞いていたという。
「三平さんは以前、姉の泰葉さんに、いまだに母親とお風呂に入っているマザコンぶりを暴露されたことがありました。母も末っ子の彼がかわいくてしかたなかったんです。でも三平さんはとにかくもてなかった。せっかく気に入った女性がいても家が大変そうと毛嫌いされていてかわいそうでしたよ。最近では、母は嫁に文句いわないよ。親と同居しないし、家も建ててもらえると訴えては口説いていたそうです。それが実を結んだってことでしょうか」
ようやく掴んだ幸せだが、付き合って1ヶ月での結婚は大丈夫?
国分佐智子が海老名家に住み込みで花嫁修行
「国分さんは、香葉子さんのカバンをさりげなく持ってあげたり、かいがいしく密着ケアしてましたよ。香葉子さんはそんなお嫁さんに満足そうでした」(参加者)
2代目・林家三平の母・香葉子が主催する供養式と記念式典が2011年3月9日に上野公園で行われていた。
会場には三平と婚約中の国分佐智子の姿もあった。
式典終了後も、国分は、姑の後について挨拶をして回り、ビールを注ぎ、後片付けを手伝っていた。
これもおかみさん修行の一環なのだだろうか。
週刊誌が声をかけてみると、
「おかみさん修行?ええ、もう大変です(笑)。でも頑張って参ります」と答えてくれた。
式典や記者会見の表舞台には一切登場しなかったが、すでに落語家の妻として裏方に徹し、おかみさんデビューをしていた。
翌日の午前、国分と三平を東京・南青山のコーヒーショップで見かけた。
国分がてきぱきと注文し、三平は嬉しそうにうん、うんと頷いていた。
その後、ふたりが向かったのは、桂由美プライダルハウスだった。
2時間も時間をかけじっくりとドレスを選んでいた。
先の式典の会見で、三平は、
「入籍日はもうちょっとふたりで話し合ってから決めたいと思ってます。結婚式は真っ白な状態です」と語っていたが、ずいぶんと早いドレス選びをしてたことからもう決まっているようだ。
「三平たちの入籍は2011年4月で、挙式は10月の予定だと聞いていますよ。実は香葉子さんが桂由美さんへの制作依頼を進めたんです」(芸能関係者)
現在は、海老江家に泊まり込んで毎日ハードな花嫁修業を続けているそうです。
マザコンの三平にどこまで許せることができるでしょうか?
林家三平と国分佐智子の入籍と挙式が延期に
2011年3月11日の東北大地震の影響で、林家三平と国分佐智子も結婚が延期になったそうです。結果的に自粛で延期という形になったわけですが、日本全土が自粛ムードだった。
「ふたりは4月に入籍し、10月に挙式の予定でした。ところが震災があったので、結婚計画は大幅に変更になってしまいました」(落語家関係者)
2011年3月10日にはプライダルハウスにドレスを選んでいるふたりが目撃されていた。
その翌日に起こった東北大震災がふたりの将来にも影響を与えてしまったのだ。
2011年3月下旬の昼過ぎ、都内の病院から出てきた三平と国分。
ふたりとも心なし沈んだ表情に見えた。
三平たちに話を聞いてみた。
記者:結婚の予定を見直すと聞きましたが?
三平:震災がありましたので、結婚式は延期ということになったんです。みなさんが落ち着いてからということで・・・。東北の方々にはお世話になった方も大勢しまして、襲名披露の時にもお世話になりました。
三平からの言葉からは、被災者たちを思う沈痛な気持ちと挙式延期という苦渋の決断に至るまでの心労が伝わってきた。
「震災に巻き込まれた知人のなかには、連絡が取れない人も何人かいますし、心配しています。先日の東京大空襲のセレモニーに来て頂いた友人やいつもワカメなどの特産物を送ってくださる方なんですけど・・・」
記者:挙式の延期について、4月の入籍予定は?
国分:入籍についても、世間がこういうときですし、タイミングを考えたいと思います。
最後に国分が自分を言い聞かせるように
「こういう状況ですから、仕方のないことですね・・・」
結婚式と挙式も白紙になったふたりだった。
震災と原発ダブルで被害にあっている人がかなりいるようです。
はやく原発問題が片付かないことには復興も遅れますね。
海老名香葉子の国分佐智子への嫁いじり
林家三平と結婚をし、国分佐智子は楽しい新婚生活を始めていると思いきや、姑に厳しい海老名家の花嫁修業をされているようです。心労になってなければいいのですが・・・。姑問題で離婚発展もあり得る?
無事に結婚をしたふたりだが、当初から心配されていたのは姑・海老名香葉子との関係だ。
「女優だからといって特別扱いはしませんよ。息子のお嫁さんとして、ちゃんとしてもらって覚えることは覚えともらわないといけないですからね」
結婚会見後、週刊誌の取材にこのように答えていた。
2011年9月、国分は香葉子さんと同居し、おかみ修行に励んでいた。
「さっちゃんは、最初のころは人前に出るときはいつも化粧をしていたんですけど、最近はすっぴんで姿を見せるようになりました。服装も地味な格好をしていますよ。それを見て、海老名家の人間になったと思いましたね」(海老名家の知人)
さらに、料理、掃除、着付けなどの修行もしているという。
「環境が変わって、苦労も多いはずです。例えば、海老名家は縁起を大切にする芸人の家です。初物は東を向いて笑いながら食べるといった小さな習慣をとても退治にしています。でも彼女はそういうこともしらないので、覚えることが多いようです」(落語関係者)
また別の人物はこのように証言する。
「私が海老名家を訪れた時のことです。香葉子さんと有希子さんが席に座って応対してくれたんですけど、さっちゃんは座らない。4人掛けのテーブルで1席空いていても座らない。それでお茶はいかかですか?と声をかけてくれたり、お手ふきをだしてくれたり、常に動きまわっていましたよ。暗黙の了解なんでしょうね」
国分の厳しい花嫁修業はまだまだ続くようである。
姑問題が勃発しなければいいのですが・・・
国分佐智子が女将修行のために女優業とお酒を封印
落語や歌舞伎の世界に嫁ぐことは、かなり大変で、自分の人生をも犠牲にすることが多いようです。国分佐智子は、女将として修行中のようで、家の中ではすっぴん、さらには女優として仕事はもうできないかも知れないほど大変だと報じられました。本当に結婚をして幸せだったのでしょうか?
2011年11月中旬の昼下がり、東京のとあるガソリンスタンドから1台の高級車が出てきた。
運転しているのは国分佐智子だった。
「もともと彼女は結婚願望が強かったんですけど、良縁に恵まれなかったようです。しかも、自分からアタックするタイプではないので、三平さんが積極的にアプローチしてくれたことが嬉しかったようです。新婚生活はうまくいってるようですよ」(芸能関係者)
夫婦関係は順調のようだが、悩み事は女将としての修行のことであるようだ。
「彼女は毎晩のように飲み歩いていた時期もあったくらいお酒が大好きなんです。しかし、結婚を機にだいぶ減らしたんです。それも海老名香葉子さんに気に入られるために。落語の世界についても姑さんにいろいろ聞いていますよ。国分さんは、女将修行は大変・・・当分の間は女優の仕事は難しいって漏らしていましたね」(落語関係者)
「さっちゃんは、人前に出るときは、いつもお化粧をしていましたが、最近はすっぴんで地味な格好を見せるようになりました。兄の嫁もふだんはすっぴんで着飾りませんから、手本にしてるんでしょうね。現在は、呉服屋に通って、たたみ方からしまい方まで基本から覚えるのに必死のようです」(海老名と親しい知人)
いつまで国分の花嫁修業と女将修行が続くのでしょうか?
息抜きする場所はあるのかな?
嫁姑問題勃発!国分佐智子と海老名香葉子の間に亀裂が
入籍をする前から、海老名家へ住み込み花嫁修業をがんばっていた国分。たびたび、すっぴんの国分の花嫁修業が報じられたことがありました。りっぱな女将になるために修行をしていましたが、海老名の必要以上の厳しいいびりでついに2人の関係がギクシャクし始めたようです。温厚の国分もさすがに我慢の限界?
2013年8月14日、国分佐智子のブログには、夫・林家三平と夫婦水入らずの徳島旅行を楽しんでいることが綴られていた。
国分と三平は川遊びや花火大会などを楽しむなど、2人の仲は良好だ。
しかし、海老名家と親しい知人はこんな心配をしているという。
「これまで、さっちゃんは夫婦で旅行をする際にも、姑の香葉子さんを誘ったりしていました。2013年5月にはハネムーン代わりにインドネシア旅行に香葉子さんを連れていったほどですよ。それなのに今回は夫婦だけの旅行ですから、ついに、さっちゃんは香葉子さんから逃げたのかな?って感じましたね」
2011年3月に結婚をした国分と三平だが、2人以上に注目を集めたのが、香葉子さんと国分の姑関係だった。
女優として活躍してきた国分が、海老名家という落語会の名家の嫁を務めるのは並大抵のことではない。
香葉子さんに振り回されて逃げ出すだろうというのが大方の予想だった。
結婚当初にこんなことを語っていたことがある。
「料理が得意って聞いてたんですけど、まだあまり作っていませんね。台所に入ってウロウロしている時は、あら今日は珍しいねなんて声をかけますよ。どんぶりいっぱいの野菜サラダは毎日だしてくれますが、私は生野菜が嫌いなので、さっちゃんとは舌があわないのかしら」
しかし、そんな嫁姑関係に大きな変化が起こっていた、一緒を旅行するのはもちろん、香葉子さんはさっちゃんと自分の講演会など、どこに行くにも国分を連れて行った。
それまでは、長男・林家正蔵の妻をかわいがっていたのに、客受けがいいからと国分を重宝するようになったのだ。
さらに、お正月の一門の新年会では、他の女将さん連中が料理する中、さっちゃんは一緒に飲みなさいと手伝いを免除するという特別扱いまでしていた。
それほどまで、香葉子さんからかわいがられているのに、なぜ国分は逃げるのだろうか?
海老名家と詳しい知人が話す。
「今、香葉子さんは事あることに孫の顔がみたいと口にするんです。そのひと言ひと言がさっちゃんを追い詰めているようなんです・・・」
確かに香葉子さんは、結婚当初から子供の顔がみたいと報道陣の前でも発言をしてきた。
2013年3月にも、子供について聞かれると、「まだみたいです・・・」と不満そうな表情をうかべている。
香葉子さんが孫の顔を見たいというのは、公の場だけではない。
「家を訪れるお客さんなど、会う人、会う人に二言目には孫の顔が見たいってね。話をしていますよ。もちろんさっちゃんの耳にも入りますからね」(別の海老名家の知人)
国分は、この孫の顔がみたいを何度も言われていることに苦悩している。
徳島旅行で国分は知人に愚痴をこぼしている。
「義母にもよく、早く孫の顔が見たいって言われるんですけど・・・こればっかりは・・・」
そういって表情を曇らせていたそうだ。
国分の実家を訪ねると、母が対応してくれた。
「娘のことをこういうふうにいうのもなんですけど、よく頑張っていると思います」と話始めたが、子供の話題になると一転した。
「私は何もわかりません・・・。私は何も聞いていませんので・・・」と言い、慌ててインターホンを切ってしまった。
どうやら、子作りの話題は禁句のようだ。
子作りは頑張っているようですが、こればっかりは授かりものなので苦労しているそうです。
姑に嫌われているのではなくて、姑からの孫の顔がみたいを言われることで、国分が避けるようになってきたようです。