加山雄三が妻・松本めぐみと別居も離婚ではなく卒婚というライフスタイル
俳優の加山雄三は1960年に東宝と専属契約を結び映画「男対男」でデビュー。「弾厚作」のペンネームで作曲活動も行い、1976年の「海その愛」や1992年の「サライ」などをリリース。1965年の映画「エレキの若大将」で共演した元女優の松本めぐみと1970年9月にロサンゼルスで結婚。次男は俳優の山下徹大。長女は料理研究家の梓真悠子。次女は女優の池端えみ。
妻・松本めぐみと別居!離婚ではなく卒婚
世の中の流れなんでしょうかね?数年前に熟年離婚が流行りましたが、今は卒婚という言葉が生まれています。卒婚とは、離婚をするのではなくて、夫婦関係に縛られることなく自由に自分の人生を楽しむことらしいです。
そして、加山雄三と妻の松本めぐみも離婚ではなくて、卒婚を選び、お互いがそれぞれの道を別居という形で歩んでいるそうです。夫婦関係の方は良好のようです。
2014年1月末に加山は40年近くクラしている東京・世田谷の成城の街を訪れたが、住民達がこんな話しをしていたという。
「加山さんの奥さん、まったく見かけなくなりました」
「奥さんはアメリカで暮らしているみたいで、1年のうち何日かしか日本に帰ってきていません」(別の住民)
多額の借金、浮気、事業の失敗と、これまで数多くの危機を夫婦で乗り越えてきた夫婦に一体何が?
成城にある家を週刊誌が訪ねると加山雄三が対応をしてくれたという。
笑顔で自宅に招き入れてくれた。
大きなリビングに通されると椅子に座っていた女性が立ち上がる。
その女性は妻の松本めぐみさんだった。
別居しているという話しと違う・・・どうして?
めぐみさんが話す。
「この時期が日本の確定申告なので、日本にいるんです。行ったり来たりで、1年の半分はアメリカにいます」と別居を認めた。
加山が話す。
「ニューヨークのマンハッタンから車で15分ぐらいのところに家があって、あちには娘も住んでいますし、別居というほど離れて暮らしているわけではありませんよ。妻とは毎日電話で話をしていますからね」
離婚を考えた別居ではなくて、卒婚という形で、それぞれ自分の人生を楽しみといった夫婦関係のようだ。
そういえば、ものまねタレント清水アキラが、長野に移住し、妻との卒婚を告白していた。
実はめぐみさんがニューヨークで暮らしている家は、40代の時に一度借金を完済し、家計に余裕ができた時に購入したものだそうだ。
「アメリカに家を持っているというとさ、俺の場合は事業に失敗していろいろ借金背負ってたじゃん?その時にそんなゆとりがあるのかといわれるから、公にはしたくなかったわけ。ちょうどお金ができた時に買ったもので、日本で別荘を買うより安い」(加山)
加山雄三の事業失敗
バブルの1990年に、加山は新潟にスキー場を開業した。総工費100億円といわれた大赤字に。
借金返済のため、大好きだった船舶を手放し、2004年には成城の自宅も売却。
当時は売却先の行為で、成城には賃貸で住んでいた。
加山とめぐみさんは、アメリカでの仕事や将来のために、グリーンカード(米国永住権)も取得しているそう。
「主人はアーティストなので、世界中で仕事があるとみなされているから、その収入を申告して税金を納めればいいんですが、私は妻ですから、半年以上アメリカに滞在しなければいけないルールがある。それを守らないとグリーンカードを剥奪されてしまうんです」(めぐみさん)
「そう、妻はアメリカにいないといけないので、俺が通い夫しているよ。いずれ時間ができたら、アメリカと日本で半々の生活をするのが理想だな。でも今は、ゆうゆう散歩があるから1週間に2日か3日は歩いているわけね。そこにコンサートのスケジュールが入ってくるので、休みが全く取れなくて、アメリカに行く回数が減るわけだ」(加山)
別居をしたことで不仲説が出たこともあったそうですが、不仲とは無縁だそうです。
別居先に外国を選んだのは、日本で街中を歩いていると人が付いてくるけど、海外だと誰も俺のことを知らないから付いてこないからだそうです。
夫婦円満の秘訣は、一緒にいないことだそうです。2.3ヶ月会えない時があるけど、久しぶりに会うとよく話すそうです。別居は卒婚という新たなライフスタイルを歩み始めたためだったようです。