キム・ヨナは浅田真央と常にライバル!現役から引退も現在は

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韓国・元フィギュアスケート選手のキム・ヨナは2006年3月の世界ジュニア選手権で初優勝。2006年11月のフランス杯でGPシリーズ初勝利。世界選手権は2009年と2013年に優勝。GPファイナルは3度の優勝。2010年のバンクーバーオリンピックの金メダリスト。2014年のソチオリンピックの銀メダリスト。

キム・ヨナ

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ギャラ未払いで元所属事務所を裁判で訴えていた

韓国芸能といえば金銭問題によるトラブル多発で解散など2010年に話題になりましたが、キム・ヨナも2011年に元所属事務所に対して裁判で訴えたと報じられました。

「韓国では、キム・ヨナと彼女の元所属事務所との金銭トラブルが大きな話題になっています」(韓国在住ジャーナリスト)
2011年、浅田真央とキム・ヨナの1年ぶりの対決が期待された女子フィギア世界選手権が中止、ロシアでの開催が決定した。
そんな中で、キム・ヨナの裁判が韓国で注目されていた。 

「ヨナ側は、2010年4月末まで所属していた事務所のIBスポーツを、契約どおりのお金を支払わなかったと訴えました。元事務所側は逆に、同社のスタッフふたりを引き抜いたと訴え裁判は泥沼化しています」(フィギア関係者)
ヨナの事務所トラブルは、2007年頃にも起きている。
当時マネジメント契約をしていた会社とも、ギャラをめぐって裁判沙汰になっていた。
「また同様のトラブルが生じたのも、母親のミヒさんの影響だとみられています」
「ミヒさんは娘の才能が正当に評価されていない 娘の動きを不当に搾取するといった、母としての強い思いがあるんじゃないでしょうか?」(韓国のフィギア関係者)

2011年、ヨナは韓国に冬季オリンピックをという韓国国民の悲願に向けて大きな期待がかけられている。
「金メダリストということもあり、ヨナは五輪招致大使を務めています。彼女の18年の冬季五輪招致のプレゼンテーションが2011年5月半ばにあり、同年7月に決定します。韓国開催が決まればキム・ヨナの国民的人気はさらに高まるでしょう」
それにしても韓国スターたちは金銭トラブルばかりあるのはなぜなんでしょう。

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フィギュアスケート復帰は父が投資失敗で借金8億円を返済するため

2012年、休止か引退したとも言われていたキム・ヨナキム・ヨナが、2014年のソチ五輪を目指して復帰宣言をした。その裏には当時、金銭的に困っていた背景があったようです。

「現役続行か引退かが注目されていたキム・ヨナが、2012年になってソチ五輪まで現役を続けると決めたそうです。でも彼女の腰の状態は最悪です。医者からは、このまま現役を続ければ将来歩行さえ困難になるかも知れないと言われています」(韓国のフィギュア関係者)
引退することが濃厚と思われていた、キム・ヨナがなぜ復帰することになったのか? 

「キム・ヨナの場合、もはや自分の意思だけでは引退を決めれないほど、切迫した状態に追い詰められているんです。その理由はお金の問題です」(韓国のスポーツ関係者)
キム・ヨナは2010年-2011年シーズンだけでも、賞金、テレビ出演料などで8億円以上がキム・ヨナの個人事務所に入っていたと言われています。
当時この5年間に彼女は約26億円稼いだとも言われていた。
「しかし、その大金が湯水のように浪費されている。そのほとんどが父のキム・ヒョンソクの不動産投資の失敗なんです」(同上) 

ヒョンソクは、自らメッキ工場を経営する一方で、キム・ヨナが稼ぎだしたお金で不動産投資に手を出したんです。
そんな投資で失敗をしたのが、仁川のショッピングモール開発への2億1000万円の投資。
「ヒョンソクは、銀行に言われるままにお金を出したようです。しかし、結局、ショッピングモールの計画自体が消えてしまったのです。彼の投資への損失は8億円にもなると言われています」(韓国フィギュア関係者)
さらに、ヨナファミリーは高級物件を購入済みだったという。
ソウルの一等地で180㎡以上のマンションを購入した。
このマンションが2億円ほどするようです。
こういった経済的背景からフィギュアへの復帰を決めたようです。

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浅田真央がヨナの話はしないで

2013年の世界選手権で見事に復帰優勝をしたキム・ヨナ。演技の失敗をしたもののなんとか巻き返し3位になった浅田真央。ふたりは常にライバルとして報じられてきました。そんな報じられ方にふたりはうんざりしていたようです。

「公式練習中、はたからみても彼女からは、私に近寄らないで!というオーラがひしひしと感じられました」(スケート関係者)
カナダに現地入りした浅田真央は、いつになくピリピリした様子だったという。

「浅田の公式練習の後はヨナの番になっていました。その入れ替わりの時に数メートルまで近づいたのですが、浅田はヨナには視線すら向けずに控え室に帰りましたね」(同上)

浅田だけでなく、周囲のスタッフも神経質になっていたという。
「ふたりは同じホテルに宿泊していたのですが、食事の時間からホテル内の施設の利用時間に至るまでニアミスしないように調整されていましたよ。さらに連盟の方からも浅田にはヨナに関する質問をしないようにとメディアに要請したほどでした」(フィギュア関係者)

浅田を苦しめたのはヨナだけではない。
2011年の12月に亡くなった母不在の孤独を襲っていた。
「浅田はホテルから試合会場に向かうバスの中で独り言のように、我慢、我慢とつぶやいていたんです。彼女がバスの中から見ていたのは現地で一番有名なショッピングモールでした」(現地のスケート関係者)

母の生前、大会が終わった後、ご褒美として母子で買い物にでかけることが多かった。このショッピングモールを見た浅田は母とのことを思い出したに違いない。2013年の世界選手権では、ヨナのプレッシャーと母のいない孤独があったようだ。

長年に渡りライバルとして戦ったふたり。2014年2月のソチオリンピックでキム・ヨナは、SPでは1位も、フリーでアデリナ・ソトニコワに逆転されて銀メダルを獲得。浅田真央は6位だった。同年にキム・ヨナは引退を表明。キム・ヨナは現在、平昌冬季五輪の広報大使として活動しており、韓国内では依然として絶大な人気を誇るそうです。

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