小林幸子は事務所問題で紅白歌合戦落選で仕事激減も復活へ

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演歌歌手の小林幸子は1964年に「ウソツキ鴎」でデビュー。1979年に「おもいで酒」が200万枚セールスの大ヒット。同年にNHK紅白歌合戦に初出場。2011年まで33年連続出場し、豪華衣装が話題に。ヒット曲は「とまり木」「雪椿」「もしかしてPART2」「越後絶唱」など。

小林幸子

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小林幸子の和解金6000万円支払いは謝金だった

2012年4月に元事務所社長の女性を解雇したことで発生していたトラブル。和解金4000万+2000万の合計6000万円を元社長と元専務に払うことで一応の問題は解決しました。

小林幸子が早く問題を解決したかった裏には、夏に披露する新曲と紅白への出場が大きかったようです。周囲は元社長などを解雇して、今後の芸能活動は大丈夫なのかといった声があったようです。金銭的にもいろいろと苦しい事情があったのでしょうか?口座の残高には80万円しか残ってなかったそうです。

「お家騒動の火消しに走る幸子さんは、今回メディアの前で謝罪をしました。しかし、すぐに関根良江元社長は信用できないと反論してきたのです。騒動は和解へと向かうどころか、さらなる泥沼に発展しそうです」(テレビ局関係者)
6000万円を払うことで合意していたのだが・・・。

これについて幸子側は和解金と主張し騒動の沈静化を図ったが、元社長側は、法律上の責任を果たされただけで和解ではないと反論。
そして、小林は「私の配慮が足りず、つらい思いをさせてしまった、申し訳なかった」と謝罪した。

なぜ、関根社長はここまで怒っているのか?
それは謝る一方で、小林が知人に送ったメールにあった。
「元社長はずっと、お金の問題ではないとの事でしたが、結局お金でした!最初に退職慰労金を提示して、そんなもの1円もいらないと拒否された金額の倍の要求でした。彼女たちの嘘がどんどん暴露されていくと思います」
このようなメールがあることを知り、激怒したようだ。

「小林はメールは送りましたが、睡眠導入剤を使っていたためもうろうとしながら打ったものでした」と釈明をしました。
そんななか、小林はいま金欠状態だという。
「小林さんは、元社長に4000万円、元専務に2000万円の6000万円をすでに支払っているようです。しかし、実は事務所にはたったの80万円しか残高がなかったそうです。あれだけ芸能活動をしておきながら、実は火の車状態だったようです。6000万円も彼女が自腹を切ったり、借金をして集めたそうです」(芸能関係者)

小林は謝罪をしたが、これからの彼女にはいばらの道が待ち受けているという。
「これまでCMやテレビなどの仕事を決めてきたのは元社長でした。そのため元社長を慕う人もあり、彼女がいないなら、もう小林とは縁を切ると言い出す人もいるそうです。演歌仲間は、こんな時こそ、改めて披露宴をしようと盛り上げっているようですが・・・」(芸能関係者)
ふたりの確執はまだまだ終わらない?

小林幸子

小林幸子の残高が80万はあり得ない

お金がない報道は一体何だったのか?元社長と専務に合計6000万円支払うことで和解が決定しました。すでに6000万円は支払われ、会社の口座には80万円しかなく、小林は知人などに借金を申し込んで金を工面したと報じられていましたが、実は2012年だけでもすでに2億円は稼いでいたそうです。

「感情を・・・なんか逆なでしたみたいになって怒っているんだとしたら、心から謝罪します。ごめんなさい」と切実に語ったかと思えば、
「反省はしてるけど、後悔はしてません」ときっぱり。

元社長らに6000万円を支払うことが決まった後には、知人らに
「彼女たちの嘘がどんどん暴露されていくと思います」とメールを出していたことがわかった。
そのメールについては、「意識がもうろうとしていたので何を打ったのか覚えていない」と釈明した。

さらには、「相手はずっとお金では無いとのことでしたが、結局はお金でした!最初に退職慰労金を提示して、そんなもの1円も要らないと拒否された額の倍の要求でした」
しかし、ここに来て、お金だったのは、小林の方ではないかという人がいる。
事情を知る音楽関係者だ。
「6000万円という額は、倍の要求どころか、幸子さんがまけてくれと頼んで仕方なく妥協した金額です。相手の代理人が法律に基づいて計算した額は8000万円以上ですからね」
さらにびっくりするのは、夫である林氏からも同様の打診があったそうだ。

「支払う退職金がないとかそういうわけではないんですよ。小林さんの事務所の会計担当者はしっかりしていましたから、会社としてもかなりの留保金があるんです。現金や貯蓄型生命保険でも1億円はあると聞いてます」(レコード関係者)
元社長と専務は弁護士を通じて8000万円の内容証明を送った。
すると、小林側がこんな行動にでたという。

「それまで弁護士同士で話をしていたんですが、自分たちの弁護士を信用していないのか、自分の方が交渉が上手いと思ったのか?関根さん側の弁護士と直接交渉に及び、なんとか安くしてくれと頼んだそうです。それで6000万円になったようです」(同上)

一部報道では80万円しか口座に残ってなかったと報じられていたが、音楽関係者はあり得ないと否定する。
関係者によれば、小林はすでに2億円の収入があるというのだ。
「2012年1月に行われた御園座の舞台で5000万円。2月から5月までの営業が少なくとも22本。1回分のギャラが600万円として1億3000万円。他にテレビ、ラジオなど2億円はあったはずです」
それでもまけろと交渉に来るということは・・・。
元社長が小林の謝罪に誠意がないといっているのは当然?

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どんどん貧乏になっていくヤバイ紅白にも出られない

2012年だけで2億円近い収入があるはずとも言われていましたが、地方の営業が激減し、金銭的にもピンチになるのではないかという。紅白の衣装代は大丈夫?

「まだ蓄えはあるでしょう。でも、さすがにいまの状況には焦り始めていると思いますよ」(音楽関係者)
ここにきて、小林の台所事情に異変が起きているという。

2012年4月に33年間連れ添った、社長と専務を突然解任したことで起こったお家騒動。
問題を大きくしないために、法的な解決金として約6000万円を一括で支払った。
これで円満解決したかと思ったが、小林が知人に送ったメールが暴露されて、元社長は怒りの文章を発表している。

小林は33年連続で紅白に出場している。
2012年6月の会見でも「今年も紅白に出たい」と話していた。
しかし、当時黄色信号が点滅していた。
「紅白への出場は、年間通しての同局への出演頻度やドラマのテーマ曲の提供など、ある程度の貢献度が考慮されます。しかし、小林さんの場合は、お家騒動でマイナスイメージがあるでしょう。あれ以降、NHKでの出演はほとんどなく、紅白のオファーがあると思えません」(音楽関係者)

そして、小林は金銭的にもかなり厳しい状況なのだ。
「2012年1月に行われた名古屋の舞台ギャラは5000万円。さらに2月から5月までの地方営業は22本。1本あたりのギャラは600万円というから、テレビやラジオの細かな出演を含めると2億円近い収入はあったはず」(同上)

しかし、このほとんどは解任騒動前に組まれていた仕事なので、その後の地方営業は激減しているのだという。
「2012年6月から8月までの3ヶ月は、地方営業が月1本なのです。地方営業の担当者と現地の興行主の人間関係で成り立つ部分が多い。解任されたふたりがこれまで何年もかけて作ってきたわけですから、彼女たちがいなくなり、以前と同じように仕事をブッキングすることができないんですよ」(同上)

仕事の激減とともに、事務所の財務を圧迫しているのが、小林幸子特有の必要経費だ。
小林本人が社長を務める新事務所のスタッフは約10名。
それぞれに支払う給料などの人件費、家賃、光熱費など、そして衣装代などがここに重くのしかかる。
「小林さんは着物やドレスなどステージ衣装に加え、毎年紅白で使った巨大衣装を収納するために、3つの倉庫とコンテナをひとつ借りています。その維持費が月に数百万円になるんです」(芸能プロ関係者)
これらの合計で月に1000万円はくだらない。

さらに、地方営業のギャラまで値下がりをしていた。
「2012年8月下旬に群馬で予定されている公演のチケットの払い戻しが殺到しているんです。主催側はいまさら中止にできないので、600万円のギャラの1割をさげてほしいと事務所側に言っているようです」
さらに、2012年5月に行われた北海道の公演では、客が集まらなかったそうです。
同6月に発売予定だった新曲もまだ延期になったままで、収益が激減しているそうです。
30年連れ添った仲間より旦那をとってしまった小林の苦悩は続く・・・。

小林幸子

レコード会社とも契約解除!新曲・絆坂は発売されず

地方営業のギャラも下がり、仕事の本数も減り、さらにレコード会社とも契約解除。発売延期になっていた新曲・絆坂は契約解除が原因で販売ができなくなっていたという。

33年連続紅白出場を続けている小林幸子。インディーズレーベルでの再出発をする道を選んだ。
17年間所属していたレコード会社・日本コロビアムとのアーティスト契約を解除した。

きっかけになったのは、2012年4月の個人事務所幹部解任騒動の影響で、6月に発売予定だった絆坂が延期になっていたことだった。
「レコード会社としては、30年以上お世話になった恩人の首を一方的に切った小林さんが、絆の大切さを歌なんて、そんな資格はないという判断だったようです」(音楽関係者)

しかし、小林は紅白出場はどうしても譲れない思いがあった。
「小林さんは、前社長にお金を払って和解を主張するなど、新曲を発売するためにあの手この手を尽くした。小林さんの悲願である34年連続紅白出場の条件のひとつに新曲発売があるんです」(同上)

今後は、大手ビデオレンタルチェーンと契約して、インディーズレーベルで新曲を出す予定だが、その道は険しい。
「レコード会社を移籍しても契約上の問題で絆坂は発売できません。だから新しい曲を作るしかないんです。さらに紅白までの時間も少ない。そのため小林さんサイドは、絆坂の作詞家にタイトルと詞を変えて出せないか打診までしています」(同上)
しかし、いい返事をもらうのは困難だろう。
さらに、今の小林に曲を作りたいという人はほとんどいないようだった。

小林幸子

農家住民が激怒!勝手に幸子米を収穫するな

元所属事務所社長とのトラブルが原因で紅白への出場は絶望的だった小林幸子。しかし、諦めるわけにはいかない。衣装も作成していただろうし、2013年の営業に大きく左右されるため、どんなに小さな可能性であろうと、必死にアピールを続けていましたが、農家の方への配慮を忘れてしまい激怒させてしまったという。

「突然、押しかけるように何の前触れもなく来られたので驚きましたよ。3時間ほどで帰られました」(新潟県長岡市役所関係者)
2012年10月2日、突如、新潟県長岡市を訪れ、幸子米の稲刈りを決行した。

幸子米とは、新潟県中越地震復興の一環として06年から始まった企画。
毎年、幸子や所属事務所元社長らが、この地で田植えから稲刈りまで手伝い幸子米と名付けた無農薬のコシヒカリを収穫してきた。

2012年も、収穫を終え、小林は満足げだったという。
だが、地元住民からは批判の声があがっていた。
「幸子さんは、2012年は田植えもしなかったし、収穫までまったく連絡をよこさなかった。その間、田んぼは、地元の婦人グループが耕してきたんです。しかし、彼女たちにすらお礼もなく、時々自分のグッズを送ってきただけ。それで、いきなりきて少しだけ稲刈りをしても、パフォーマンスにしか見えませんよ」

さらに、幸子田の所有者である国会議員・長島忠美議員(61)。
彼は、2012年4月、「この稲作は、小林さんと元社長と元専務の3人でやってきたもの。全員にご恩があるので、小林さんひとりの意向だけ受けることはできない」と田植えを望む小林の要請を断っていたのだ。

今回の稲刈りについて、スポーツ紙などでは、「一連の騒動で地元に迷惑をかけるから」と自粛していたものの、「ぜひ来てほしい」と誘われたことで稲刈りが実現したと報じられていた。
なら、なぜ農家の人から批判の声がでるのだろうか

経緯を確認すると、こう回答があった。
「幸子田を守り続けてくださっていると聞き、小林は9月の後半の台風も心配していました。現地担当者と相談させていただき、騒ぎにならないように公表を控えました」

しかし、長島議員は、
「今回、小林さんから稲刈りに来るという報告はありませんでした。少なくとも、私の願いは、以前と変わらず3人揃って来ていただきたいということです」
小林の苦難は続く・・・。

小林幸子

自宅のカラオケ部屋で紅白リハーサル

2012年11月、紅白出場が絶望的だった小林幸子。もし2012年紅白の出場を逃すと、2013年の営業の仕事も激減し経済的にもやばくなるので、どうしても出場したかったようです。しかし、前事務所社長とのトラブルあり。さらに、紅白の衣装の作成も遅れていたようです。紅白出場が絶望的な小林ですが奇跡を信じて自宅でリハーサルをしていたという。

2012年11月6日、お家騒動以来、小林幸子が9ヶ月ぶりにNHL歌謡コンサートに出演した。
「小林さんは久しぶりの出演でした。ただ、千昌夫さんや小柳ルミ子さんらほかの出演者の控え室はまわらず、今まで何事もなかったように、自分の楽屋に来た歌手たちによろしくねと言ってました。現場にはちょっと微妙な空気が流れていました」(現場スタッフ)

2012月末には紅白歌合戦の出場歌手が発表されるが、33回連続出場の小林だが今年は厳しいといわれてきた。
「元々、2012年2月に20年以上苦楽を共にしてきた所属事務所社長を解任したのは、紅白の衣装代が高すぎると林さんが介入したのがきっかけです。それだけに無駄な経費を削減するためか、夫婦は交際中に2000万で購入したクルーザーを最近手放したそうです。船名もKOUMEIと幸子の幸と明男の明から取ってつけた思い入れの深い船だったのですが・・・。年間100万円といわれる船を泊める係留費や燃料費などを切り詰めるため、売却を決断したそうです」(音楽関係者)

さらに、決断はまだあった。
「結婚当初は、彼女は新居は林さんに任せていますと話していました。でも、東京目黒にある彼女の自宅がよほど居心地がよかったのか、小林さんは夫の意見を聞きながら、大がかりのリフォームをしました」(同上)

「先日は、新設された自宅のカラオケルームにコロッケさんを招いてものまねをデュエットしたそうです。今までのうっぷんを晴らすかのように熱唱してたそうです」(別の音楽関係者)
小林は奇跡を祈り、自宅のカラオケルームで日々、リハーサルに精を出している。
小林にとって2012年は節目の年なのでどうにか出たいようですが祈りは届くでしょうか?

小林幸子

小林幸子が紅白落選で仕事激減

落選が濃厚といわれていた小林幸子がついに連続出場が33回で途切れ落選となってしまった。すでに紅白の衣装を数千万円かけていて制作もしていたのに・・・。このまま紅白から消えてしまうのでしょうか?旦那との結婚1周年はひっそりとお祝いをしたそうです。

2012年11月26日に紅白のメンバーが発表されたが、小林の名前はなかった。
2012年4月に起きた、個人事務所社長解任騒動の影響で連続出場が33回で途切れた。

どうしても出場したかった小林は、インティーズレーベルを立ち上げ、さだまさしに作詞作曲の新曲・茨の木を発表するなど、紅白に並々ならぬ執念をみせていたが・・・。
「紅白出場のためだったんでしょうが、あまりにも強引すぎる印象ですね。同情したファンの応援を期待したでしょうが、結局、新曲の売り上げもよくなかったようですね」(芸能関係者)

2012年11月15日には、夫と結婚1周年を迎えたが、大きなイベントもなく、ひっそりと祝ったそうだ。
また今回の落選で2012年12月5日に迎える小林の誕生日はさらに寂しくなりそうだった。
「毎年この日は、紅白出場祝いを兼ねて、盛大なパーティーをするんです。しかし2012年はできそうにないですね。小林さんは派手好きでプライドが高い人ですから、その寂しさも人一倍大きいでしょう」(小林の知人)

さらに、小林にはさらなる試練が・・・。
2012年12月になると小林はイベントやディナーショーなどをして全国各地を回るのが恒例。
いつもは満員になるチケットが今年は余っている状態だという。
「地元の新潟で行うクリスマスディナーショーさえ埋まっていないんです。紅白に出場できないことで、営業のギャラもかなり下がるようですし、小林さんにとっては大変な年になっていきそうです」(同上)
この30年以上は、年末年始に紅白以外にも仕事があった小林だが、恒例の大晦日の年忘れにっぽんの歌や今夜も生でさだまさしの出演まで危ぶまれていた。

小林幸子

夫婦生活とこれからの人生計画について語る

2012年は、元事務長社長らと解雇問題でトラブルが発覚してから、形だけは円満解決をしましたが、その影響で仕事が思うように進まず、紅白出場が途絶えました。2013年もその影響から、営業やギャラの単価が下がることが確実なようで、試練の年となることは間違いなかった。

2012年末からお正月にかけて夫とオーストラリアで過ごしました。
夫はあちらでも仕事をしていて、向こうにも大勢の友達がいますので。

年末の紅白歌合戦に出場しない大晦日は34年ぶりでした。紅白は1年を締めくくる大きな仕事でしたから、出場できなかったことはとても残念でした。
オーストラリアから帰国した時、ファンの方からも、「さっちゃんが紅白に出れなくて残念」という声をたくさんいただいてびっくりしましたし、胸が熱くなりました。

2012年の紅白出場ができなかったことは、私にとっていい分岐点になったと思います。
実は紅白でおなじみの豪華な衣装を「いつやめるのか」ずっと考えていました。
豪華な衣装を思いついたのは三代目市川猿之助さんがおやりになったスーパー歌舞伎をみたのがきっかけです。
猿之助さんに相談したら、「いいですよ」と言ってもらえました。

でも、紅白の出場が途切れたことで踏ん切りがつきました。
これからは紅白で培ったパフォーマンスをひとつの財産にして小林幸子の新しい型と形を追及していきたい。
だからといって、豪華な衣装は二度と着ませんという意味ではありません。

一連の騒ぎを通じていろんなことを学びました。
その最たるものが、本当の友達がわかったということ。
騒ぎが起きてから、私から離れていった人が大勢いました。
その一方で、「長いお付き合いだし、誰が何と言おうとさっちゃんを信じる!」と言って下さった方も。
「まさかの時の友こそ真の友」と言葉がありますけど、本当にそうですよね。

夫婦生活について
57歳で結婚するとは自分でもびっくりでした。
私は結婚する必要性が全く無いと思っていましたから。
私にとって歌手・小林幸子であることが人生の第一。
その部分を削って、誰かのために何かをすることは考えれないことでした。
ですから夫とは結婚前提でお付き合いしていたわけでなく、気がつくと結婚していましたね。

ただ、「あなたの人生を背負わせて下さい」とまで言ってくれたのは彼が初めて。
その言葉で結婚を意識するようになりましたね。

「一連の騒動(元社長と専務解雇問題)について、原因は夫が私の仕事に口を挟むようになったからだと報じられましたが、夫は芸能界のことはまったく知らないし、夫の方から私の仕事に口だしをしたことはありません。結婚してからも24時間小林幸子でいれるのは夫のおかげです。いい人と結婚したと思っています。」
これからも日々歌い続けていきたいと思います。

その後、2014年11月には50周年記念コンサートのツアーファイナルでデビュー以来初めての日本武道館コンサート「50周年記念小林幸子in武道館~夢の世界~」を開催。2012年から2014年の3年間、紅白歌合戦に不選出だったが、2015年に4年ぶり特別出演で紅白出場を果たしています。

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