織田信成の謹慎生活を支えた結婚した嫁!母や子供に現在は
元フィギュアスケート選手の織田信成は、母の織田憲子が元スケート選手の影響で7歳からスケートを始め、2005年のNHK杯でGPデビュー2戦目にして初優勝。2006年の4大陸選手権優勝。2008年のNHK杯、全日本選手権優勝。2010年のバンクーバー五輪7位。家系は戦国武将・織田信長から数えて17代目のまつえい。家族は嫁と子供は男子が2人。
織田信成の謹慎生活を支えた現在の嫁
2007年7月にミニバイクの酒気帯び運転で摘発され、出場停止の処分を受けた織田信成。2008年11月末のNHK杯で、見事完全復活で優勝を果たした。
「不祥事のニュースが流れた時、新優の安藤美姫はナル君に電話しているんだけどつながらないのよ。2008年のグランプリシリーズはでられるの?と本当に心配していました」(スケート関係者)
実際、スケート関係者は口を揃えて織田の不祥事を残念がった。
「というのも、彼は2007年~2008年シーズン、本当に順調であのままシーズンに突入すれば大きなタイトルも夢じゃなかったという仕上がりだったんです」
本当に魔が差したとしかいいようのない不祥事。
そんな謹慎中の彼を支えたのは親友たち。
織田信成のニックネームは殿。
同級生たちは殿を励ます会を開き勇気づけたという。
「もう一人、かれを誠心誠意支えたのが、中学の同級生だったガールフレンドでした。彼女は自宅で悶々とする織田に手料理をふるまったり、話相手になってサポートし続けてました。彼女がいなかったら殿の復活もなかったと同級生たちは口をそろえています」(地元紙関係者)
2人の再会は2005年の同窓会。
織田は一瞬で胸キュンになったそうだが、
「中学のときは全然好きじゃなかったと言ってました。卒業して4年経過して、女性らしくなった彼女にびっくりしたみたいです。数日後に改めて喫茶店であった彼女に交際したいと頭を下げて、その年の年末にようやく付き合ってもいいというメールで返事がきたそうです」(地元の知人)
しかし、彼のコーチも務める母親からは、練習に影響が出るから女の子と付き合うのはやめなさいとクギを刺されていた。
「親の目を盗んでの交際だったそうです。障壁を乗り越え、もう3年以上(当時)の交際になりますね。NHK杯は、自分を支えてくれた人への恩返しと本人が語っています。だから絶対に負けられなかったと・・・」(スケート関係者)
そして織田は2008年の全日本選手権優勝を果たした。
2009年~2010年シーズンはGPシリーズ2連勝など好調で2010年2月のバンクーバー五輪代表に選出。しかし、初出場の緊張もあってかフリーの演技中に靴ひもが切れ、演技が一時中断するアクシデントでに泣き、目標だったメダルには届かず7位だった。
そして、2010年4月に交際中だった中学同級生の一般女性と結婚。当時妊娠4ヶ月だったという。同年10月に第1子となる男児が誕生。2013年1月には第2子となる男児が誕生しています。
2013年にアマチュアを引退し、現在はバラエティ番組でのタレント活動や、スポーツ関連番組の解説者、プロスケーター、コーチなど多方面で活躍しています。