及川光博と嫁・檀れいは結婚後も旦那の不倫に離婚危機も修復
ミッチーの愛称で知られるミュージシャンで俳優の及川光博は、1996年にシングル「モラリティー」で歌手デビュー。1997年に「マツモトキヨシ」のCMで人気に。1998年から俳優として、NHK大河ドラマ「利家とまつ」、フジテレビ系「白い巨塔」、テレビ朝日系「相棒シリーズ」などに出演。2011年7月に女優の檀れいと結婚。2016年はNHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」に出演。2人の間に子供はいない。
及川光博が檀れいを選んだ理由
いきなりの結婚発表でファンもびっくり!及川光博が嫁に選んだのは40歳になる檀れいだった。なぜ、及川は檀れいを選んだのでしょうか?そこにはある出来事があったようです。
ふたりは2009年のドラマの共演で出会った。
「撮影は京都で行われ、その時から及川さんは積極的に檀さんに声をかけていました。及川さんは宝塚の大ファンで、檀さんの話に興味津々の様子でいろいろ質問してましたよ。撮影は、及川さんのほうが1日早くクランクアップしたんですけど、及川さんは檀さんの収録が終わる翌日まで京都に延泊して、それからふたりで寺巡りデートをしたようです」(テレビ曲関係者)
こうして交際は始まっていった。
順調に見えるふたりだが、一度別れてしまったことがあるそうだ。
「及川さんのファンは、かなり熱狂的ですから、もし結婚したら、その人気に大きく影響するんじゃないかと不安だったみたいです。そのため結婚には中々踏み切れなかったそうです」(及川の知人)
結局、結婚まで発展することのなかったふたりは一度別れた。
及川はブログで「喧嘩もしたし、一度距離を置いたこともあった」
そんなふたりを引き合わせたのが2011年3月11日に起きた東日本大震災だった。
「兵庫県出身の檀さんは、阪神淡路大震災を経験していて、トラウマになっていたんです。だから今回の震災で多くの人々が亡くなるのを目の当たりにしていて、涙が出るほど不安になっていたようです。そんな彼女に、僕が君を守ると寄り添ったのが及川さんだったんです」(芸能関係者)
震災後、「余震のある夜はひとりで家にいるのが怖い。将来、ひとりで生きていくことに不安を感じた」という思いから、誰かと生きていきたいという絆婚が急増したが、このふたりもその一組だった。
震災がきっかけでふたりは結ばれたようです。
及川光博と入籍した檀れい!複雑な家庭事情があった
及川光博と結婚し39歳でようやく女性としての幸せを手に入れた檀れい。しかし、実の父とは絶縁状態が続いており、結婚報告もしなかったそうです。一体、父とは何があったのだろうか?
「彼女はこれまでも芸能人や関係者からアプローチされることも多く、及川さんが食事に誘っても断っていたそうです。でも何度断っても、彼は本当に紳士的な対応だった。そこに好感を持ち、真剣交際に至ったと聞いています」(芸能関係者)
2011年7月27日に及川光博と檀れいが電撃入籍をした。
2009年のドラマ相棒の共演が縁だった。
プロポーズは「僕の帰る場所になってほしい」だったそうだ。
40歳目前の入籍について家族から詳細を聞くべく、週刊誌が檀れいの故郷である兵庫県の日本海に面した小さな町を訪ねた。
実家には父と弟と母が暮らしていた。
でてきた弟に話しを聞いたが
「幸せになってくれたらいいと思います。これ以上はお話することないのでお引き取り下さい」とお祝いムードとはほど遠い雰囲気だった。
そこで母方の祖父を訪ねた。
「確かに、まゆみ(檀れい)の母親は私の娘です」と語り家に入れてくれた。
「ちょうど家族から電話がかかってきて、まゆみが結婚するって書かれてると教えてくれた。それで孫の結婚を知ったんです。娘やまゆみからは何も言ってきませんでした」
実は当時89歳の祖父は、檀れいと全く連絡が取れない状態だったという。
「娘とまゆみと妹は東京で暮らしています。孫娘から直接電話があったことはありません。その母親である私の娘からはたまに連絡があるんですが、こっちから連絡をしたくても、電話番号を教えてくれないんです」
そして、祖父は秘められた家庭事情を話してくれた。
「まゆみの母親は、子供のころ養子に出ています。私の妻の姉妹が近くに住んでいるのですが、そこの家庭が子宝に恵まれなかったため、やむなく出すことにしたんです」
養子先は、記者が先ほど訪ねた実家のことだ。
檀れいの母は養女としてそこで育った。
檀れいは犬の散歩中にスカウトされ、芸能界への憧れを抱くようになった。
だが、家族の反対は強かった。
「まゆみちゃんが芸能界に行きたいと言い出したとき、家族はみんな反対していました。特にお父さんは横棒のない梯子にのぼれるわけない!とまで言ったそうです」(近所の住民)
そんな中で、母だけが彼女の夢への挑戦を応援してくれた。
演技など全くできないまゆみを母親は、宝塚に入れれば演技などが教えてもらえると思い、まゆみを合格させるために受験までの半年間、鳥取にあるバレエ教室へ車で送り迎えをして支えた。
そんな努力の甲斐があり、1000人いる中の40人に選ばれ、見事合格をした。
成績は最下位だったそうだ。
檀れいが宝塚の全寮制に入学すると家族にも転機が訪れた。
なんと母親が家をでたのである。
「京都から来た男が、まゆみちゃんのお母さんに投資話を持ちかけたんです。お母さんはそれを信用してお金を取られてしまった。お母さんは家族から責められたみたいです。それが要因となって家を出てしまって離婚をしたようです」(近所の住民)
そして、檀れいの母はなぜかその投資話を持ちかけた男性と再婚をしている。
両親の別れと同時に檀れいは選択を迫られる。
彼女は父と実家ではなく、夢を応援してくれた母を選んだ。
以降、檀れいは実家にも親戚のいる生家にも戻ってないそうだ。
実父との断絶は高校卒業から22年間も続いている。
そして祖父は話してくれた。
「あの子達に説教したことがある。えぇ、電話でね。もう母親はもちろん、まゆみや妹にも。あぁいう男(檀れいの継父)とくっついたらあかんぞ。まゆみはずっと押し黙ったまま何の返事もなかった。だからでしょうね。まゆみはいまでも私のことを嫌っとるんですよ」
これが要因で、檀れいと音信不通になったそうです。
母と再婚した檀れいの継父は2004年に亡くなっているそうです。
このような複雑な背景があるようです。
覚えてますか?オーラの泉、檀れいの霊視で父は死んでいると言われて、死んでいないことが発覚して話題になりましたが、スタッフの調べミスでしょうね。
まさか実の父ではなくて、亡くなっていたのが継父だったとは。
及川光博が不倫!30代美女と相合傘デート
檀れいと結婚したばかりの及川光博が、早くも不倫なのか?美女とのデートが報じられました。そして、及川はなぜか結婚指輪を外していました。
2011年9月20日、東京都内の私鉄駅前を及川光博が一人で歩いていた。
Tシャツの上にプリントシャツを羽織り、ジーンズと楽な姿は、普段の姿とはかけ離れている。
さらに帽子を目深くかぶり、変装をしている。
及川は駅近くのビル前に来ると、笑顔で手を振り声をかけている。
手を振った相手は、ショートカットで細身の女性だ。
及川がわざわざ出迎えたこの女性は誰なのか?
ふたりは並んで多くの飲食店が並ぶ小道を往復しながら店を選んでいるようだ。
入ったのは和食店だった。
「入り口から死角になるような角のデーぶる席にふたり並んで座ったんです。カップルでも向かい合わせで座ると思うんですけど、最初から並んで座ってのでびっくりしました。けっこういい雰囲気でした」(客)
約1時間半後、店を出る。
台風の影響で雨が降り始めていた。
彼女がビニール傘を開いて及川にさしかける。
及川をよくみると、なんと彼の左手薬指からは結婚指輪が外されていた!
「入籍当時、及川はドラマの撮影で、檀も大河ドラマの準備に追われており、しばらくは別居のままで、時間ができた時に新居を探すということでした。しかし、いまだにふたりは新居をみつけられていないようです。つまり別居婚状態が続いているんです」(芸能関係者)
檀が、入籍後初めて公の場に姿を見せたには2011年9月22日だった。
報道陣からは新婚生活について質問が飛んだが、なぜかそのたびにスタッフが制するという防衛ぶりだった。
及川は店を出た後、相合傘で今度は串揚げ店へと入っていった。
ここでも人目につかない奥のテーブルに座った。
店に入ったのが9時過ぎで、でてきたのが0時半を回っていた。
店からでたふたりはかなり酔っぱらっていた。
ふたりはこの後、歩いたまま住宅街へと消えていった。
この女性とのデートを週刊誌が所属事務所に確認すると。
及川は次のようにコメントをだした。
「新居はまだ探せていませんが、基本的に檀は僕の家でほとんどを過ごしています。またその日は、女性と食事をしましたが、古くからの友人です。やましいことは何もありません。今後もふたりでご飯を食べにいくことはありえると思います」
しかし、相合傘で6時間もデートをする及川を見て、新婚の檀は許せたのだろうか。
及川光博と檀れいが別居し離婚秒読み
結婚して1年が経ち、もう生活のすれ違いがでていたようで別居中だと報じられていました。原因は、及川の度重なる女性との不倫騒動のようです。
2012年8月下旬のとある夜のこと。
都内の閑静な住宅街に車から降り立ったのは、着物を身にまとった檀れいだった。
この日の彼女は、ひと目を気にするかのように何度も周囲を見回していた。
そして、誰もいないことを確認すると、母がひとり暮らす実家へとやってきた。
檀が実家に帰るのは、この日だけでなく、前から彼女はずっとこの生活を続けていた。
檀が及川と結婚したのは2011年7月27日。
ふたりで暮らす新居が決まらぬままの別居婚だった。
結婚からわずか2ヶ月後の9月には、及川の不倫騒動が報じられるも、及川は、「檀は僕の家でほとんど同居しています」と夫婦円満をアピールしていた。
しかし当時、檀が帰る家は及川の家ではなく、母がいる実家だ。
当時のふたりの状況について芸能関係者がこう話す。
「今年の夏に入ったくらいでしょうか?ふたりに離婚の話が浮上してきたんです。檀さんは背負っているものがあまりにも大きかったというか・・・。それを及川さんが受け止めれなかったのかもしれませんね」
檀は元宝塚として有名だが、祖父母や父は檀の宝塚入りには大反対だった。
「実はれいちゃんのご両親はふたりとも養子なんです。もともとれいちゃんのお母さんが、子宝に恵まれなかった親戚の家に養子に入り、お父さんは、お母さんの婿養子になる形で結婚。檀の家はそれだけ跡継ぎを残すことにこだわっていましたから、将来のことも考えて、れいちゃんは女性であったとしても、宝塚に入って地元を離れるなんてありえなかったんです」(檀一家を知る人)
夢を応援し続けてきたのが母親だった。
約1000人の受験者に対して、合格者わずか40人という狭き門を突破し、母は宝塚音楽学校に入ってからもサポートしてきた。
しかし、思わぬことが起きる。
母親が京都の小さな農村に暮らす男性の元へ、檀の妹を連れて駆け落ちしてしまったのだ。
男性は表向き、土地コンサル業を生業としていたが、地元では別の顔で知られていた。
「怪しい投資話を持ちかけてきたり、ネズミ講でトラブルになったり、問題が多い人でしたね。もともと檀のお母さんと知り合ったのも、彼女に投資話しを持ちかけたことがきっかけですよ」(地元の住民)
しかし、ふたりの絆は強かった。
ふたりの居場所を突き止めた父が訪れ、帰ってくるように説得をしたが、母は拒んだ。
「それまでの彼女は、ただ家のためだけに生きてきたんです。自由で危険な臭いのする男性に、そんな自分の人生を変えてもらおうと思ったんじゃないのかなぁ」(檀一家を知る人)
檀と及川は、2010年1月1日放送の相棒スペシャルで共演し出会う。
「撮影が始まると、及川さんはすぐに檀さんに積極的に声をかけ始めたんです。撮影は及川さんの方が1日早く終わったのですが、彼は檀さんの収録が終わる翌日まで延泊して、ふたりっきりで寺巡りデートなどをしたそうですよ」(テレビ局関係者)
及川は超がつくほどの宝塚ファンである。
檀は理想の相手だったの違いない。
しかし・・・すぐに及川の不倫疑惑が報じられたのだ。
若い女性とふたりっきりで和食店に立ち寄った後、串カツ店へはしごデート。
さらに、及川の薬指に結婚指輪はなかった。
そして、激怒したのが相棒で主役を務める水谷豊だ。
「水谷さんは愛妻家で、収録現場の雰囲気を一番大事にする人、新婚の及川さんがどうしてそんな軽率な行動をとったのか理解できなかったのです。そのせいで現場の空気は確実に悪くなりました。そして及川さんの降板へと・・・」(テレビ局関係者)
1話あたりの出演料が約300万円だったという。
相棒を降板すると、及川の収入は激減していった。
それは、檀にしてみれば、人生設計を狂わせる出来事だった。
「及川さんは、仕事が減っても音楽を中心にやっていくから大丈夫と説明したそうですが、実際の収入は檀さんの半分以下だったそうです。彼女は母たちの生活も工面をしなければいけませんから、このことは及川さんが考えているよりも大きな問題でした。檀さんは、本当はずっと子供がほしかったんです。年齢的にも早ければ早いほうがいいから、仕事を減らしていくつもりだったんです。でも夫の収入のことを考えるとそうもいかなくて、仕事を増やしていったそうです」
檀の母と一緒に暮らしていた妹は嫁いで出て行ってしまった。
そこで、檀が母の面倒を及川にも見てもらおうと話し合ったそうですが、納得いく返事が返ってこなかったそうです。
誕生日は居酒屋で!そこには檀れいの姿はなし
結婚後、女性問題が発覚し、相棒を降板させられ、さらに檀れいとの同居も解消し別居状態で、離婚秒読みとなっていた及川光博。43歳の誕生日は仲間が居酒屋で祝ってくれていますが、そこには妻の姿もなく・・・。
「おかげさまで仲良くやっています。もちろん一緒に生活しています」
報道陣からの夫婦不仲説を否定した及川光博。
及川は2011年7月に檀れいと電撃結婚したが、その後、幾度となく及川の女性問題で夫婦危機が報じられてきた。
2012年10月24日、都内で単独ライブ&握手会を行った及川は、終了後の会見でも質問攻めにあった。
単独ライブの当日は、及川の誕生日でもある。
ライブを終えて会見をした及川は、冒頭のように夫婦円満を強調した。
それなら、なぜ誕生日の夜でさえ、夫婦とのツーショットは見れなかったのだろうか?
終了後に彼が向かった先は、居酒屋だった。
そこで及川が合流したのは、同年代の男女グループで、檀の姿はなかった。
「友人同士の集まりといった感じでしたね。及川さんはプレゼントを貰ったりして、とても楽しそうにしていましたよ」(居合わせた客)
10人ほど集まった席は、及川の誕生パーティーだったようだ。
この時点で11時過ぎが経過していて、もうすぐ誕生日は終わってしまう・・・。
宴はそれから延々と続き、日付けが変わることを気にする様子もなく、宴が終わったのは、午前2時頃だった。
そして、及川がタクシーで帰宅した先は、彼が独身自体から暮らしていた一軒家。
その家は明かりもなく真っ暗だった。
「不倫デート疑惑の後、及川さんは夫婦間の溝に悩み、先輩俳優に相談したそうです。夫婦仲は依然修復できておらず、ますます悪化してるようにみえます」(芸能レポーター)
及川と檀は夫婦仲を修復することができるのだろうか?
及川光博と檀れいは修復不可能か
二度にわたる浮気報道で檀れいとの仲が窮地にあった及川光博。43歳になった誕生日の祝いの席には檀の姿はなく、夫婦関係が上手くいっていないことが報じられました。それから2ヶ月、まだふたりは別居中だった。
「ロケ中は、3日間撮影の期間が空けば東京に一時帰宅できるスケジュールになっています。出演者の人もちょくちょく東京に戻っているのですが、及川さんだけ戻っていないみたいですよ」(ドラマ関係者)
2012年3月の相棒卒業後、初めてのドラマ出演となる「信長のシェフ」で京都ロケに入ったばかりの及川。
そんな及川は休みが取れても、妻・檀れいが待つ都内の自宅には戻らず、京都に滞在していた。
「スタッフはなぜ帰らないのか聞くと、オフはひとりで京都観光したいから・・・」と帰ってきたそうです。
「檀さんもCM撮影や何やらで忙しいようだし、もしかしたらドラマ撮影の3ヶ月間はずっとここにいるかも知れませんね。現場では及川さんと檀さんの話題はタブーになっていますよ」(ドラマ関係者)
ふたりは2011年7月の結婚直後から別居が報じられた。
しかし、及川は取材陣の囲み取材では夫婦仲はうまくいっていることを答えている。
「おかげさまで、仲良くやっていますよ」
しかし、「2012年10月に坂東玉三郎さんと共演した、檀さんの舞台にも及川さんの姿はみかけませんでしたね」(舞台関係者)
ことあるごとに、不仲説が報じられている及川だが、さらにふたりの距離は広がっていたようです。
その後2016年、2人は互いのスケジュールのすり合わせ、忙しくても時間を合わせて一緒に食事をとるなど、夫婦のコミュニケーションとって上手くやっているようですが、子供はまだのようです。