SOPHIA都啓一と妻・久宝留理子とのガンの闘病生活!現在は克服

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ミュージシャンの都啓一は1994年に松岡充に誘われ、ロックバンドSOPHIAのキーボーディストとして活動をスタート。1995年にメジャーデビュー。同バンドの多くの作曲を担当。2001年1月に歌手の久宝留理子と結婚。二人の子供をもうける。

都啓一

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SOPHIA・都啓一が癌との闘病生活を語る

2010年3月に、ろ胞性リンパ腫(血液のがん)を患っていることを公表した都。そしてバンド活動を一時休止。2011年9月、6ヶ月に及ぶ、ろ胞性悪性リンパ腫との闘病生活を無事克服したSOPHIA・都啓一と妻・久宝留理子が週刊誌のインタビューに答えています。

都:僕の治療中、弱音をはかず涙もいっさいみせずにいた妻が、寛解(かんかい)と聞かされたとたん号泣したんです。
あの妻の姿は忘れられません。
2010年4月にろ胞性悪性リンパ腫を告白したロックバンド・SOPHIA・都啓一。
2010年10月、がんが消える寛解にたどり着いた。
治るにはかなりきつい闘病生活に耐えたようだ。

久宝留理子 

都:治療1日目はリッキサン、2姫はアドリアシン、オンコビン、エンドキサンという抗がん剤の注射を打ちました。
アドリアシンを打ったら頭痛がして、血管が黒くなり痛み出します。
まるで血がやけどしてるような感じです。

都:3日目から味覚障害が起きました。口に入れた瞬間、頭、あご、鼻など顔面に激痛が走りました。
睡眠障害も大変でした。
やっと眠れたと思ったら30分しかたってないこともありました。
朝まで眠れないこともありました。死ぬ夢もみました。

都:治療は2セット目からは通院プラス自宅療養でした。
抗がん剤治療中もできるだけ自宅で仕事を続けるようにしていました。
(免疫力が低下した状態で菌に感染しやすいため。1階の自室にベッド、空気清浄機、消毒剤を揃えたという)
久宝:私は家の掃除を心がけ、子供を旦那の部屋に入れないようにしました。

都:ある日、洗顔中に髪がざくっと抜けて、「来たな」と、すぐに妻を呼びました。
その後、バリカンで髪を坊主にして、主治医に「髪は抜けても生えてきますから」と念を押されましたが、悲しかったです。
都:さらに、眉毛もまつげも抜けるし、腕や脚のすね毛も薄くなりました。

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久宝:夜、寝室で子供の寝顔を見ながら、ぼんやりとテレビをつけていると「なぜ、私がこんな目に遭うの」と涙が溢れてきました。
でも、家族の前で気丈に振る舞えるならいいやと、ひとりで泣いていました。
そうしないと崩れそうだった。
都:ママが頑張って、普通の生活のように家事や育児をこなしてくれて「あなたは治療に専念して」という思いが伝わってきて嬉しかった。

久宝:癌が消えて純粋に嬉しかった。
でも、数時間後には再発のことを考えていましたね。
都:治療前に、「2回目の再発にはこの薬を使い、3回目には骨髄移植についても考えましょう」とすでに主治医に言われていました。
抗がん剤は一度使うと、次は同じ物を使えません。
移植をするとステージに立てなくなるリスクも高い。
だから、再発のことは頭から離れたことはありません。

久宝:癌闘病は経済面でも大変でした。今回、癌保険の先進医療特約に加入していなかったので、治療費が実費になった抗がん剤もあるんです。

都:人間はいつか死にます。僕も「自分の人生は残りこのくらいだろうか?」と考える時もあります。
でも、それは決してネガティブなことではありません。
「精一杯、今を生き抜きたい」と、強く感じているからです。
今が人生で一番前向きかも知れません。

これからもふたりで頑張って生きていくことを約束してました。治療の痛み、将来の不安、金銭的な不安など精神的な負担はかなり大変だったようです。

半年に渡る抗がん剤治療で2010年10月には回復。1年を超える闘病の末、2011年8月に音楽活動を再開。闘病中ボーカルの松岡充が毎日のように都内病院を訪れ励ましたそうです。

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