堺雅人の俳優への道のり!ドラマでブレイクし菅野美穂と結婚

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俳優の堺雅人は1992年に劇団「東京オレンジ」の看板俳優として活躍。2008年のNHK大河ドラマ「篤姫」に出演。2012年にフジテレビ系ドラマ「リーガル・ハイ」に主演。2013年にTBS系ドラマ「半沢直樹」に主演し高視聴率を獲得。同年4月に女優の菅野美穂と結婚。子供は2015年8月に長男が誕生。2016年にはNHK大河ドラマ「真田丸」に主演しています。

堺雅人

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官僚になることに失敗し俳優の道へ

堺雅人は遅咲きながらブレイクした俳優のひとりですが、それまでにはいくつもの試練があったそうです。公務員試験に不合格、大学中退、家族と絶縁・・・

NHK大河ドラマ・篤姫で徳川家定を演じた2008年以来、休むことなく映画9本、ドラマ6本に出演し、視聴率も稼ぎ人気の上昇。
いまが旬のこの新視聴率男がはじめて芝居の世界に触れたのは高校1年の時だった。 

運動があまり好きではなかった彼は、顧問の先生や上級生がいばってないという理由で演劇部に入部。
朝補習の「ゼロ時間」から8時間目まで、ある授業の鬱憤を晴らすかのように部活にのめり込んだ。
「堺さんが入部した当時は廃業寸前で部員も全くいなかった。堺さんはマイペースにやれることをとても喜んでいました。1年かけて部員を集めると、やがて自分で台本を書いて、全国高等学校総合文化祭の九州大会で賞をとるまでになったんですよ」(堺の旧人) 

そんな堺だが、俳優になる気持ちはなかったのだという。
国立大学に進学し、官僚になることを希望していた。
しかし、大学受験で国立大学にすべて落ちてしまった堺は、早稲田大学第一文学部に進学し、官僚になることを諦めると、初めて俳優になりたいと思うようになったという。
ゴールデンウィークを過ぎて決意し、演劇研究会に入ると、堺は演劇に没頭し秋には演劇研究会のメンバーで劇団「東京オレンジ」を旗揚げし、看板役者となった。
ルックスのセンスも幸いし、女子高生を中心に2000人の客を呼んだこともあったという。
しかし、堺にとって覚悟が訪れることになる。

1994年の頃だった。
「堺さんは俳優業に力をいれるために大学を3年で中退してしまったんです。家族には一切相談せず、実家に帰った際に事後報告したそうなんですが、当然家族が激怒。絶縁状態になってしまいました」(大学時代の知人)

そんな堺だったが、1995年からテレビドラマにも活動の場を広げると、1998年には演劇研究会をやめて、芸能プロダクションと契約。
2000年にはNHKのドラマ・オードリーに出演すると、ようやくアルバイトも辞めることができた。
「オードリーに出演して、ようやく勘当が解けたそうです。それで実家にもかえれるようになったといってました」(テレビ局関係者)
長き下積み時代を経験し、失敗を出来ない環境こそがいまの彼を誕生させたのではないだろうか?視聴率男の勢いはどこまでも続く。

堺雅人

堺雅人の中学高校時代とは

堺は高校時代からすでに役者を夢見て演劇部で頑張っていたそうです。ここで師匠と呼ぶ人物に出会ったそうです。もし師匠との出会いがなければ、俳優にもなっていなかったかも。

堺には師匠がいるという。本でこのように綴っている。
「高校の部活で芝居を始めた僕には、俳優としての師匠はいない。当然、誰の係譜もうけついではないのだが、伊藤一彦や若山牧水が師匠スジにあたるなんてことを妄想として楽しんでいる。すくなくとも伊藤先生には本当に教わってるので、先生と慕っていてもバチは当たらないだろう」

伊藤と若山とは誰のことなのだろうか?
堺の故郷である宮崎へと向かった。堺が師匠と綴った人物は高校時代の恩師だった。若山牧水の研究家で歌人の伊藤一彦さん。堺のことを週刊誌が訪ねると答えてくれたという。
「半沢直樹は倍返しだと言っていますが、堺くんの場合は、恩返しの倍返しですよ。礼儀正しくてね。僕を師匠だというのも、彼の心遣いなんです」

話は続く。
「彼が初めて演じた役は、幼稚園でのみなしごハッチのカベ虫だったそうですよ。先生からカメ虫をカベ虫と間違われていわれたらしく、どうやって演じればいいかと5歳にして悩んだという話ですが、彼らしいと思います」
卒業してからも、交流は続き、2008年の大河ドラマ・篤姫では、伊藤さんに演技について相談をしている。

宮崎在住の女優で高校時代の演劇研究会で講師を務めていた濱崎けい子さんは当時についてこう語る。
「宮崎県が夏休みに演劇部の高校生を集めて研修を開いた時のことでした。ある群読劇をやることになり、この役をやりたい人?と言うと彼が、ハイ!と手を挙げるんです。クラスには70人もいるのに誰も手を挙げなかったのを覚えています」

濱崎さんは2005年に地元で堺と共演をしている。
「私の劇団20周年に一緒に芝居をやらない?と言ったら、やりましょうと言ってくれました。そしたら2004年の大河ドラマ・新撰組で人気がでたのでもうダメだと思っていたら、彼は、僕は約束をしたらやりますと時間を割いてくれました」
高校時代の恩師はこのように堺を振り返っています。

中学・高校の同級生だった、岩崎さんも話す。
「中学時代は合唱部と吹奏楽部を掛け持ちしていましたね。芸術肌で、生徒会役員もしていました。高校に入って演劇部に入ったのですが、彼は自分は役者の才能が無かったと語っていたことがあります。でもそれだから、役者の道を頑張ったのかもしれませんね。できないことにチャレンジをするタイプでしたからね」

さらに同級生の岩崎さんには、堺の子供の命名について、こんなことを耳にしていた。
「彼は子供がほしいと思ってるみたいです。具体的に何人ほしいとかは聞いていませんが、中学時代には合唱部で指揮者をしていたので、子供ができたら、たくと という名前を付けたいと言っていましたよ。でも甥っ子の名前がたくとらしくて、付けられてしまったと残念がっていましたよ」

堺の学生時代を振り返ると、彼は10代の頃から、役者道をストイックに追及していたようです。

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ドラマ半沢直樹の過酷なロケ現場

ドラマ・半沢直樹に主演の堺雅人は演技力とドラマの内容が視聴者から受けていました。第5話の平均視聴率は29%を記録し、2013年のドラマでは最高だったそうです。

「連日の30度を超える猛暑の中で、みんな頑張っています。先日も30度を超える中で、堺さんの剣道シーンの撮影が行われましたが、みてるだけでこちらまで汗だくになりそうなぐらい、鬼気迫るものが感じられました」(テレビ局関係者)

当時のクールの中で独占状態を続けていた堺雅人の主演ドラマ・半沢直樹の平均視聴率もすごかった。
第5話の瞬間視聴率31・9%で平均視聴率は29%を記録した。
「放送のあとはみんなお祭り騒ぎでしたよ。堺さんもとても喜んでいましたが、すぐに、これからもっと頑張らないとダメだ!と気合いを入れ直していました」(同上)

そんな大ヒットドラマの撮影現場を週刊誌が目撃。
2013年8月中旬の夜7時過ぎ、都内のビルの脇で一般道で撮影をしていた。
周囲にはすぐに人だかりができて、100人以上に膨れあがった。

この日の最高気温は35度、日が沈んでからも30度を超えていた。
スーツ姿のエキストラたちはぐったりとしている。
見ているだけで過酷だったが、黒のスーツを着た堺は気合い十分で撮影をこなしていく。
撮影が止まると、スタッフがすぐに堺の上着を脱がせてうちわで扇ごうとするが、堺はそれを笑顔で制止し、気さくにスタッフに話しかけていた。
結局、この日の撮影は、朝の6時から深夜2時まで続いたそうだ。

「堺さんは、ドラマ・リーガルハイの新シリーズで主演を務めるため、2013年8月中にクランクアップをしなければなりません。だから、彼はどれだけ暑くても音を上げず、過酷なスケジュールで臨んでいるんです。お盆も休みなしで朝から深夜まで撮影でした。さらに視聴率がいいからという理由で、25分の拡大版などが放送されることになりました。その分、撮影時間もまた増えていましたよ」(ドラマスタッフ)

大変なのは堺だけではない。
それを支えるスタッフも大勢が泊まり込み状態でドラマの編集などをしている。
そんなスタッフたちを気遣い、堺は焼肉弁当を差し入れたそうです。

2013年8月25日からは、第2部の東京編がスタート。
堺は、夏ばてを防止するために、ある秘策をしていたそうだ。
「堺さんは食欲が落ちているなかで、ウナギと精がつくものやカレーを無理に食べているそうです。また熱中症対策では、スポーツドリンクなどを持ち歩き体調管理をしています」
堺の人気はどこまで続くのか。

堺雅人 

半沢直樹と堺雅人は正反対の男

2013年9月、ドラマ・半沢直樹がヒートアップしていました。平均視聴率が関東地区で32・9%を記録。これは、前週1日放送分で初の30%台に到達しており、同地区で連続ドラマが2週連続で30%台をマークしたのは、2003年放送の木村拓哉主演のTBS系「GOOD LUCK!!」以来、10年ぶりの快挙だった。そんな半沢直樹のドラマ収録が終わり、打ち上げパーティーが行われた。

2013年9月4日の夕方6時半過ぎ、主演の堺雅人や香川照之、及川光博が続々と集まってきた。参加者は総勢170人だった。

「打ち上げパーティー開演までの間は、みなさんが堺さんのところへ挨拶に行くため、列ができていましたよ。堺さんは恐縮しきって、礼儀正しく何度も頭を下げていました。Tシャツにジャケットとメガネという地味なファッションだったので、最初は気づかない共演者までいました」(ドラマ関係者)

制作局長などの乾杯で宴が始まると、流れれたのは欠席者からのVTRでした。
「高視聴率の陰の功労者といわれている片岡愛之助さんは、歌舞伎のため欠席でしたが、おねぇ口調で挨拶して会場が沸いていました。最後に登場したのが、なぜか楽天の田中将太投手(現ヤンキース)でした。マー君は、毎週見ていますとコメントをしていました。すべての取材を断っているのに、半沢だけは受けてくれたようです」(同上)

半沢直樹が出演者が多かったが、一人ずつが挨拶のために壇上に登った。
最後に主演の堺の番になった。
「多くのドラマに出演させていただきましたが、この作品で初めて001番の台本を手にして気合いが入りました。こんな話題作に出演して本当に幸せでした。熱く真っ直ぐな半沢をやればやるほど、僕とは正反対だなぁと何度もかみしめる場面がありました。僕はこれまで妥協しがちでハードルは低くを心がけていたので(笑)」
照れを交えながらの挨拶をし、本音のスピーチに会場は沸いた。

「正直、僕自身こんなに反響があると思ってもみませんでした。もっと言いたいことを我慢している半沢直樹が、日本中にいるからなんでしょうね。間違っていることを間違っていると筋を通す姿が受け入れられたんだと思います。堺はまたあらためて、みなさんと一緒に仕事をしたいと思います」と続編出演もにおわせて締めくくった。

菅野美穂

堺雅人が菅野美穂と電撃結婚!新婚生活は

堺雅人は女優の菅野美穂と電撃結婚をしました。2人は、2012年12月に公開された映画・大奥~永遠~で初共演、映画が公開された直後に交際が始まりわずか3ヶ月という早さで結婚をしたため、でき婚ではと騒がれましたが、でき婚ではありませんでした。結婚してから堺雅人は、ドラマ・半沢直樹が大ブレイクし大物俳優の仲間入りをしました。

そんな堺を陰で支えていたのは菅野美穂ですが、大物俳優になっても堺の人格は変わらず、プライベートでも独身の時と同じように、地味な生活を菅野美穂と続けているようです。大物俳優になっても堺雅人は謙虚のようです!

2014年1月中旬の午後5時前、JR五反田駅に直結する駅ビルのエスカレーター脇に人目を避けるように佇む美女がいた。
黒縁眼鏡でマスクで顔を多い、誰かを待っているのか?スマホをいじりながら、辺りをキョロキョロしていた。
左手には結婚指輪が輝く。
その美女は菅野美穂だった。
そして、しばらくして菅野の元に現れたのが、これまた同じような変装のメガネとマスクで顔を覆った堺雅人だった。

そのまま山手線のホームに向かった2人は、菅野はスマホを取り出し、調べて~と堺にスマホを私、堺が何かを手際よく探していた。
どうやらスマホは夫婦共有のようだ!

近年、相手の携帯を見たとか、セキュリティーをかけたといったことで、夫婦喧嘩に発展するなんてよくあるが、この夫婦はスマホを共有するほど、固い信頼関係で結ばれているようだ。
そして、2人はそのまま電車へと乗り込んでいった。

現在、堺と菅野は都内でも有数の高級住宅街に住んでいる。
家賃は100万円ほどする3LDKだ。
このマンションは、広々としたキッチンが特徴で、毎晩のように、夫のために菅野は料理を振る舞い、本場イタリアからの直輸入スーパーでも菅野の姿が目撃されていた。

「2013年末、菅野さんが1人で買い物をしている姿を目撃しましたよ。時間をかけてパスタやワイン、食材を選んでいました」(客)
最近のインタビューでは、タブレットPCを見ながら、買い物や料理をすることにはまっていると菅野は答えている。
この時も、検索をしながら料理の素材を探していたのだろう。

菅野の料理好きは行きつけのレストランでもこんな出来事を目撃した客がいるという。
「菅野さんは、そのレストランの名物のトリュフご飯が大好きで、仲のいいシェフに家でトリュフご飯を作りたいんですけどと聞いていましたよ。きっと堺さんに食べさせてあげるんでしょうね」(常連客)

菅野は、食べ物の食材選びにはこだわりがあるそうで、これも夫へおいしいものを食べさせて元気をつけているようです。
夫を一生懸命、陰で支える、男性が理想とする妻になっているようです!
出会ってからすぐに結婚したことで、お互いのことがわからないまま結婚をすることは離婚の可能性が高いですが、この2人にはそんな心配はないようです。

そして、2015年5月に菅野は第1子妊娠を公表。同年8月に長男が誕生しています。

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