真矢ミキや天海祐希に黒木瞳を輩出した宝塚歌劇団の厳しい規則
女性なら一度は憧れるといわれている宝塚。宝塚への合格する門は狭く、宝塚生活はどんなことなどいまだに知られていないことがたくさんあります。元宝塚トップスターには真矢ミキや天海祐希や黒木瞳などがいます。トップスターになるにはかなりの苦労がいるようですが、トップスターの方がさらに苦労をするようです。
トップは1公演200枚売りさばくこと
2011年9月中旬の平日、宝塚大劇場では、雪組公演のミュージカル「仮面の男」が上映されていた。
1階席は8割の入りだが、2階席は空席が目立つ。
2550人の収容可能だが、半分もうまらなかった。
根強いファンが多い宝塚だが、不景気のせいなのか?
ここ数年は入場者は減少しているようだ。
2010年度の入場者数は100万人を割り込んだ。
2014年には初公演から数えて100周年の節目を迎える宝塚にとってピンチだった。
「実は、宝塚は15年後にはなくなるのでは?といわれているほど危機的な状況だ」(ある作家)
宝塚で何が起きていた?
2011年、花、月、雪、星、宙と5組が公演を行っていた。
劇団員は、宝塚音楽学校に2年間通った後、歌劇団に入団。
最初は阪急電鉄の社員扱いだが、6年目にタレント契約を結び、以後、毎年更新されるのだ。
真矢ミキ、天海祐希などがトップスターだった1990年代は、入場券はプラチナチケットと呼ばれ、団員の家族でも入手困難だった。
それが近年では空席が目立つようになってきたのだ。
なぜ、こんな状態になったのだろうか?
「宝塚がファンにとって身近なものではなくなったんです」(ある作家)
2002年には独自のCS放送チャンネルを作り、それまでの地上はの放送がなくなってしまった。
「それまで関西では、当たり前のように茶の間でみれたんです。それをみた子供が両親に頼んで劇場に足を運ぶ家族連れが多かった」(同上)
さらに2003年には、動物園と遊園地があった宝塚ファミリーランドが閉鎖した。
このふたつの要因もあり、入場者が減少した。
このように新規ファンを獲得する場が減っただけでなく、昔ながらのファンも離れてきているという。
40年宝塚をみてきている作家・玉岡かおる氏は、
「昔に比べて劇団員が組みを頻繁に異動すること」にも原因があるのではないかと話す。
ファンが減少し、入場者も減少していく宝塚。
そのしわ寄せはトップスターにも・・・
チケットを売りさばけないスターはクビになる
2011年、タカラジェンヌはいままでにない苦労を強いられていた。
元タカラジェンヌのA子さんは、トップスターや2番手ではないが、所属組での公演では、重要な役が与えられ、ファンも少なくなかった。
しかし、タレント契約を際に、クビを言い渡され2011年退団した。
「私は劇団側からタレントとしての契約をしないといわれ、退団を余儀なくされた。理由は明確にはいってくれませんが、思い当たるのはさばけるチケット枚数が少なかったことだけです」
A子さんによれば、ノルマはないものの、劇団員が公演のたびに一定枚数のチケットをさばかないといけない暗黙のルールがあるという。
昔では考えられないことが起きているようだ。
「宝塚という世界で上にいくためには、容姿や人気だけではなく、チケット販売の実績も必要なんです。劇団側がノルマを強制することはありませんが、トップだったら1公演200枚、2番手なら150枚といった実質的なノルマがあるんです」(A子さん)
もっとも高い席は1万1000円と入場料は安くない。
以前なら、トップなら黙っていても、ファンクラブの人達がチケットを購入してくれていましたが、いまはそれも難しいという。
トップ以外の劇団員になればなおさらきついだろう。
A子さんもチケットを売るためには必死に努力をした。
「ファンの人達とのお茶会を開いたり、有力な支援者がいれば食事やお酒にも付き合ったり。セクハラまがいな行為も受けたりすることもありました」
そのような努力をしてきたがA子さんは残念ながらクビになってしまった。
かつてはトップになれば7~8年は続けることもあったが、最近では3年ほどに短くなったという。
ファンの間で悲劇のトップとよばれているのが、貴城けい。
彼女は雪組から宙組に移って、2006年にトップになったものの、わずか1公演で退団することになった。
トップのお披露目公演の前に引退会見が行われるのも異例だった。
「会見では、トップになった時から辞めると決めていたと話していましたけど、本音はそうじゃないと思います。本人はもう少しやりたかったけど・・・残念そうでした」(A子さん)
トップが辞めれば2番手3番手がトップになるのだが、雪組2番手だった彩吹真央は、トップになれないまま2010年に退団。
大企業の広告に登場していた音月桂がトップになった。
これには宝塚ファンもかなりの不信感を抱いたようだ。
宝塚は経営難でしょうか?
大口スポンサーがついているタカラジュンヌの方がトップになりやすいようです。
宝塚歌劇団の異変
宝塚歌劇団の上下関係や校内での厳しい生活には古くから受け継がれる伝統のようなものがあるという。
宝塚歌劇団に入団するのは、まず2年間の宝塚音楽学校で学び卒業することが最低条件になっている。
まず、音楽学校に入門することが非常に困難である。
東大を合格するよりも難しいといわれている。
1994年の82期生は、史上最大で48.2倍という競争率だった。
近年も20倍前後の難関である。
数値で例えると定員50人に対して1000人近くが応募者がいる。
1979年に母親の勧めで宝塚音楽学校を受けた真矢ミキは、入学後第1回試験では39人中37番だったという。1981年に宝塚歌劇団に入団し、周囲を気にせず自分の目標をクリアすることだけに専念。伸び伸びとしたその姿が目に留まり、やがてセンターに登りつめている。
そして宝塚では、受験資格は義務教育終了から15才から18才まで。
試験は3次まで行われ、面接、歌唱。健康診断などがあり、その都度、面接が重視される。
また試験当日の髪型も、額の生え際と耳を隠さないようにと決められている。
このような厳しい難関を突破して合格してからの授業や規則も厳しいという。
まず、学校の近くに住んでいないものは、寮に入ることになる。
「入学式の1週間前に入寮して、それから1週間のガイダンス期間で、宝塚の礼儀を学ぶ。最終日には伊丹の自衛隊に体験入隊して、お辞儀や整列の仕方を指導してもらう」(89期生、雅桜歌 みやびおうか)
雅桜歌さんは、2011年に歌劇団を退団したばかりだ。
雅さんによると、そういう作法や礼儀に間違いがあってはならないのはもちろんだが、同級生は常に行動をともにする。
教室だけではなくて、街にでた時も恥じないように行動しなければならない。
さらに細かい決まりもある。
「腕時計は左なら左にと、皆同じほうにつけましょうという決まりがあった」(99年入学)
「学校の廊下では私語は許されない。階段の上がり下りは壁に沿って一列に、校外を歩くときは二列、常に上級生を気遣い、笑い顔をみせることさえ、希です。電車の最後尾に乗るのは、教師や本科生が予科生を指導しやすいためというのが理由のようです」(99年入学)
服装も厳しく決められている。
グレーの制服、制帽のほか、白の三つ折りソックス、黒靴。
プライベートでも紺、黒、白、茶色の服に限られ、アクセサリーやブランドものは厳禁。
髪型は、男役はショートでリーゼント、女役は毛先まで固く編み込まれた三つ編みと決められている。
男役と女役は背の高さと骨格などで在学中に決められる。
先輩後輩の間の礼儀も厳しく、どんなに遠くにいても、先輩をみかけたら直立不動で挨拶をする。
先輩が部屋に入るのをみたら、素早く走り寄ってドアを開ける。
まったく気が休まることがないのだ。
宝塚音楽学校の厳しい校則
規則に加えて宝塚では伝統的に語り継がれてることが掃除。ほうきではいて、ぞうきんがけは当たり前。
舞踊のレッスン場などは、拭いたあとに、粘着テープを手に巻いて、木くずや髪の毛1本も見逃さないでとらないといけない。
「授業は午前9時からですが、7時半には掃除をはじめます。レッスン場、教室、トイレなど・・・。寝転べるほどきれいだったという先輩がいますが本当です」(99年入学)
真矢ミキも毎日の大掃除の時間は、何時でもチリや髪の毛とか見えたら掃除出来るよう「新入生はスカートの内側にガムテープを常備」していたという。
また、宝塚は阪急電鉄が親会社なので「電車にお辞儀は当たり前」だったと語っている。
天海祐希も著書で、音楽学校はどの部屋もぴかぴかだと書いている。
1998年に新校舎に移ってからはトイレ掃除を生徒がすることはなくなったが、教室などはいまでもしているという。
朝は7時半から掃除をし、9時から夕方まで授業をうける。
そして、授業がおわってからは、さらに自費で校外の講師について、バレエや音楽を習う。
黒木瞳もそんな頑張っている一人だった。
著書、由美子への中でこう紹介されている。
「毎朝6時半には登校し、校門の開くのを待っていたのです。そして、もうひとり私と競うようにやってくる友達がいました。それが黒木瞳さんだったのです」
2年の学校生活を終えると、卒業式を迎える。
卒業すれば宝塚歌劇団に入団することになる。
ここでも、いろいろと制限があるという。
通称、すみれコードとよばれているものだ。
すみれコードでは、年齢や本名やファンの夢を壊すような打ち明け話や恋愛話、プライベートを語ることも制限されている。
タカラジェンヌは、生活はすべてにおいて舞台が優先。
「お正月も公演がありますし、長い休暇はとれません。家族旅行にも私だけいけないとか、兄の結婚式にもでれないとか・・・。うーんと思うこともありました」
休みがとれても、ゆっくりしてる時間はなく、よその組の公演DVDを見て、先輩のダンスや化粧を学んだり、ファッションの着こなしなどを勉強。
ここまで厳しいけど、他の劇団員と比べると恵まれていることもあるという。
「よその劇団にいたら、オーディションを受け、仕事を探し続けなければいけない。でも、宝塚は公演中から、次の公演が決まっていて、そのため稽古だけに集中ができる。舞台のことだけを考えていればいいのです」(99年入学)
もちろん、タカラジェンヌになっても、トップスターになれるのは一握りだけのようです。