緒形拳の生き様!息子・直人の妻・仙道敦子は偉大な父でした

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俳優の緒形拳は1960年「遠い一つの道」でデビュー。1965年にNHK大河ドラマ「太閤記」の主役に抜擢。1966年に新国劇所属の女優・高倉典江と結婚。その後、映画、テレビ、舞台と活躍。映画では1978年の「鬼畜」、1983年の「楢山節考」、1986年の「火宅の人」で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞受賞。2008年10月に肝癌のため死去。長男は俳優の緒形幹太、次男は俳優の緒形直人。

緒形拳

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名俳優・緒形拳の生き様

本当に偉大な義父であり、俳優であり、素敵な人でした。正直今でも信じられない気持ちでいっぱいなんです。名優・緒形拳が2008年10月に逝った。

葬儀翌日の夕方、緒形拳さんの次男・緒形直人の妻で元女優の仙道敦子を自宅から近いスーパーで見かけた。いまや3人のこどもの母だ。
手にしたエコバッグからは、長ネギや大根などの野菜、バナナなどがのぞいていた。
夕食の買い物だったようだ。
緒形さんは2003年には肺癌へ移行してたが、本人の医師で手術は行わず、点滴や食事療法を続けていた。
「病気のことは仕事関係者には絶対にいうな」という緒方さんの強い意向で俳優仲間も誰も知らなかったという。

緒形さんの遺作になったのは、風のガーデン(フジテレビ系)、終末医療に取り組む老医師だった。
緒形拳の芸名は、こぶしが大きい緒形さんの特徴から、師に当たる故・辰巳柳太郎さんがつけたもの。
大きな拳に、コンプレックスがあった緒形さんに、それを逆にバネにしろという意味が込められていた。

インタビュー番組では緒形さんが手を隠すようにするシーンがよく見られていた。
「取材にもキチンとして対応して下さる方でしたが、同時に周囲の役者さんに対してとても気遣いをする人でした」というの芸能リポーター。
「たとえば、記者会見で、ほかの若い俳優さんのプライベートなことが話題に上がるじゃないですか。そんなとき、間髪入れずに、今日は映画の話だからさと質問を止めるのが緒形さんでした。緒形さんにストップされたらこっちはもう聞けませんよね」

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Gacktも、緒形さんの懐ろの深さにひかれた一人だ。
NHK大河風林火山で大名と軍師という2人の役柄を演じるときに「男が男にほれるとはどういうことか、考えてこい」と、言われたそうです。
この競演で2人は頻繁にメールのやり取りをする仲に。
「実は、2008年10月19日にGacktの自宅に招待して、一緒にご飯を食べる約束メールをしていたようなんですが・・・」(ドラマ関係者)
密かに食事療法を続けてきた緒形さんは、玄米食にこだわっていた。
Gacktもハリウッド映画撮影中に食事療法のローフードにはまり、一緒に健康食談義に花を咲かせるつもりだった事だろう。

緒形さんはかつて自分の骨壷を焼いた事があった。
「彼のすぐ上の兄は19歳、実母は69歳で亡くなり、継母も次々と亡くなって、実母の死から10年で父親もなくなった。あのころ彼は俺の周りには死が続くと、嘆いていました。だから、恩人たちの骨拾いはしっかり務めさせてもらうと、家族に自分の死生観を話していたようです。骨を拾うということは、その人の人生を受け継ぐ事。そう考え、いつお迎えが来るかわからないという無常感も鉄だって、自分の骨壷を焼いてみたそうです。骨壷って、白くて形が決まっていてつまらないんだよ、なんて言って。焼きあがったら大きすぎ『結局、花瓶にしたよ』なんて笑ってましたけど」(仕事関係者)

手術や延命措置をせず、緒形さんは死をきちんと覚悟して、家族や友人と最後の別れをし、静かに逝った。
そんな義父の姿が目に浮かんだようだ。
仙道敦子は最後に、「子供達も信じられない状態なんですね、実は今でも。義父は人間の死を身をもって教えてくれました」
緒形さんは役者としても人間としても偉大だったそうです。

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