麒麟・田村裕は印税を使い切った極貧結婚生活!父親や兄は

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お笑い芸人の田村裕は1999年、川島明とともに「麒麟」を結成。2007年に自伝「ホームレス中学生」を発表し、200万部以上を売り上げベストセラーに。後に実兄が「ホームレス大学生」を発表。2011年7月には一般人女性と結婚しています。

田村裕

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ホームレス兄弟の田村裕と兄・研一の対談

麒麟・田村裕の「ホームレス中学生」に登場していたお兄ちゃんは、家族解散当時は大学生。弟&妹を支え続けてきた兄・研一さんと田村が2008年に兄弟秘話対談!

父親から「厳しいと思いますが、これからはおのおの頑張ってください。解散!」
という言葉が発せられたのは、研一さんが19歳、大学一年の時。
当時一歳年下の妹は高校3年生、弟・裕は中学2年生、13歳だった。

裕:お父さんから「解散!」て言われた時、お兄ちゃんはどうしようと思った?
研一:頭の中が真っ白になって、何が起きたのかまるで分からなかった。ホームレスの生活を始めてからも、何日かしたら親父が戻ってくると楽観的に考えたようなところがあったなぁ。でも、実際は裕もそうやったと思うけど、親父がどうこうよりも、その日その日をどう生きていくか、それだけで精一杯やった。

裕:そういう生活が1ヶ月近く続いた後、周りの人たちの厚意でアパートを借りて、兄弟3人一緒に暮らせるようになったわけやけど。ホームレスの生活を経験して、お兄ちゃんが一番思ったことって何やった?
研一:みなさんのご厚意はもちろんやけど、「普通の、当たり前の生活がどれほどありがたいか」ということやね。住む家があって、普通にご飯を食べられて、お風呂にも入れて、安心して寝られる場所がある。解散する前は当たり前に思っていたごく普通の日常が、どれほどありがたいことか、幸せが身にしみてわかったなぁ。それと、兄弟3人、助け合う事の大事さ、すばらしさも身にしみてわかった。だから僕は親父に感謝してるんや。全然恨んでなんかないよ。

裕:僕もそうや。お兄ちゃんが高校1年、僕が小学校5年の時にお母さんが病気で死んだ(直腸がん、享年43)そのあと、お父さんは一所懸命僕らの面倒を見てくれた。あのときのお父さんは、ほんま大変やったと思う。
研一:あのあと親父もお母さんと同じ病気になってしまったしなぁ。

裕:だから、お父さんを責めたり、恨んだりは絶対できない。そんなことしたら、お父さんがかわいそうや。今でもお姉ちゃんと話すんやけど、当時、お兄ちゃんがいなかったら、お姉ちゃんも僕もどうなっていたかわからない。今の僕らがあるのは、ほんまお兄ちゃんのおかげやと思う。研一:正直言うと、生きることで精一杯で、妹や弟を何とかしなければ・・・と考える余裕はまるでなかった。もう無我夢中という感じやったね。

父親の解散宣言から14年後の2007年9月。兄弟3人はテレビ番組のなかで、
生き別れた父親と再会した。

裕:僕が出てるテレビ番組はこまめにチェックしてくれてるみたいで、「見たで」ってメールをくれたりする。それと近所のちっちゃな書店に行くと、僕の本が、まだランキングに入っているんやって。「今日は4位やったで」とかいちいちメールをくれるんやけど、ランキングが下がると、親父自ら買うてるみたいなんや(爆笑)僕の仕送りのお金で買うてるんで、「もう買わんでええから」と言うてるんだけど。今度お兄ちゃんの本が出るやろ。お父さんは絶対何冊も買うと思うわ。お兄ちゃんと僕の本を上位にランキングさせようと頑張って。いつか2人の本の重さで、お父さんの部屋の床が抜けるんと違う?(笑)古いアパートやから。

田村家解散後、家長として妹と弟を支えた研一さんにも、普通の若者と同じように
『青春』があった。

裕:解散当時、お兄ちゃんにはお付き合いしていた女性がいてたけど、彼女って、高校の後輩やねんな。
研一:そう。2歳年下だった。
  
裕:ゆくゆくは彼女と結婚したいと思ってたんやろ?
研一:もちろん。彼女とはずっといっしょにいられるものやと思ってたからなぁ。

しかし、研一さんが大学を卒業した直後、彼女は彼の元を訪れて、別れを告げた。「このままではあなたはダメになる」と言って。

裕:このままではあなたはダメになる」ってどういうことやたんやろ?
研一:僕は、彼女に頼りきるというか、甘えきっていたからね。僕にとって彼女の存在は大きかった。大きすぎて、その後他の女性を見ても、無意識に彼女と比較してしまうんや。

裕:だから、いまだに彼女が出来ない(笑)。僕もそうやけど。お姉ちゃんは結婚しているし、そのうち子供を産むやろうけど、お父さんに、内孫の顔を見せてあげたいもんなぁ。お互い一日も早く彼女が見つかるよう頑張ろう!

研一さんは大学在学中にお笑い芸人を志して、大阪の『吉本総合芸能学院』に入学。舞台デビューも果たした。しかし、芸人になる事を断念。いくつかの仕事を経て2008年、スーパーでレジ打ちのアルバイトをしている。

裕:お兄ちゃんは、僕のために芸人になる事を諦めてくれたわけやけど。
研一:当時の経済状況で考えると、2人で芸人を目指すわけにはいかんかったからなぁ。

裕:それ以来、本当にやりたいものは見つかってないんや?めっちゃ落ち込んでた時期があったもんね?
研一:25か26歳のときやったな。妹と裕が独立して、独りきりになって、僕の中で張り詰めていたものが切れたんやと思う。もう「どこまで落ちんねん」というくらい落ち込んだからね。

裕:「もう生きてても楽しみないわ」とか、ものすごく暗いメールがしょっちゅう送られてきて・・・・。
研一:自由に自分のやりたい事が出来てる妹や裕が、正直うらやましかった。僕は、最初先生になりたくて教育大学に進んだ。その先生に妹がなって、次になりたかったお笑い芸人に裕がなった。それに対するうらやましさみたいなのが出てきたんやと思う。妹や弟のために自分が犠牲になったとは思わなかったけど、心のどこかに、やっぱり引っかかるものかあったかもしれんなあ。

裕:ここ何年かで明るくなって、頑張って仕事も持ってて。お兄ちゃんの将来の夢って何?
研一:漠然とした話やけど、飲食でも、物販でもいいからじぶんで商売が出来たらいいなと思っているけど。

裕:ただ、現実は決して甘くないもんなぁ(笑)今回の『ホームレス大学生』が、お兄ちゃんの人生が開ける、一つのきっかけになってくれればいいなあ。そのためにも、兄弟力を合わせて本を売りましょう(笑)。

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麒麟・田村裕のナンパ私生活

貧乏芸人をネタに実話・ホームレス中学生の本を発売し超ベストセラーとなり、すっかり金持ちになってしまった麒麟・田村裕。そんな田村裕の私生活が2009年4月に報じられました。

2009年、都内の超豪華30階建てタワーマンションで自適な毎日を送っているが、その部屋は先輩芸人の格好の隠れ家にもなっていた!
田村の部屋で開かれて深夜の飲み会に参加した美人OLが証言する。
「都内のクラブで踊っていると、深夜1時過ぎ、
次長課長の河本準一さんを先頭に、麒麟の田村さん、レギュラーの西川さん、それに若手芸人のふたりが来たんです。最初は外国人の黒服さんと談笑しながら、ワイワイ飲んでましたね。それから1時間ぐらいしてから私たちのグループに声をかけてきたんです」

5人の話題は抜群、そしてみんなで盛り上がったところに、河本から「田村の家にいこうか」という提案がされたという。
「1度はいってみたいじゃないですか、印税が入って借りたマンションだって話でしたし、私たちもノリノリ気分だったので、タクシーに分乗して向かいました」
田村のマンションが豪華なのは外観だけではない、なんと高級ホテルのようなエントランス。
さらには、居住者専用のスポーツジムと最上階にはスカイラウンジ。

ただそのマンションにつくと田村がきれたという。
「田村さん、若手芸人と私たちが一緒のタクシーだったことが気にくわなかったようで、なんで一緒に乗せたんや!とすごい剣幕で・・・。どうも、男女がタクシーで一緒だと、山本モナさんの不倫報道のように目立つからという理由のようでした。河本さんがなだめていましたが、逆に、このぐたりはマンションに呼び込むことになれているんだなと気づきました」

田村の豪華な部屋で総勢男女10名でお酒をガンガン飲みまくる。
河本の持ちネタであるお前に食わせるタンメンはねぇ!も披露され、すべらない話は爆笑だったのだが。
「急に河本さんが泣き出したんですよ。田村ゴメンな・・・って。いきなりなんで、少し引いちゃいました」
そんなこんなで時間も朝の4時に!
そして、またも突然、河本が自分のパンツに手を突っ込みモゾモゾしながら、そろそろ1対1で話さない?と何気なく周囲に声をかけたという。
あれが合図だったんでしょうね。
若手芸人と西川さんが静かに立ち上がり帰り始めたんです。
私も一緒に帰りました。
奥さんがいるのにいいのかなぁって思ったんですが、結局、河本さんがよく話していた、女の子ふたりが部屋に残りましたけど(笑)

田村裕

麒麟・田村裕、印税2億円が残高20万円に

ホームレス中学生で2億円の印税が入ってきて、金持ちになり高級マンションにも引っ越しをしていた麒麟・田村裕ですが、なんとすでにその印税の2億円が残り20万円しかないと2010年1月に報じられました。一体何に使ったのでしょうか?

「印税を使い切り、残りはたんす貯金の20マンだけ、裸一貫なので頑張らないと」
2010年1月17日のイベントでこう打ち明けた。
ホームレス中学生は売上部数が225万部を突破していた。
父親の借金により突然家が差し押さえられ、父親は行方不明になり家族は離散。1ヶ月もの間、公園の土管を寝床にして鳩の餌や雑草、段ボールを水に浸して食べたなどの極貧エピソードが話題を呼び爆発的ヒットとなった。
あれから2年が経ったいま、その印税はすでに底をついた。 

「印税は2億円などといわれていましたが、税金などひかれて田村の手に残ったのは6000万円程度だったようです」(テレビ局関係者)
とはいえ、その6000万円はどこへ?
その謎を解く鍵は行方不明になっていた父親だった。
「行方がわからなくなっていた父親とはホームレス中学生のブレイクで、あるテレビ番組を企画で再開を果たしたんです。彼はそんな父親のために家を買う約束をしたんです」(テレビ局関係者)
息子の親孝行に父親も上機嫌で物件を探し始めた。
しかし、その物件というのがくせものだった。 

「父親が見つけてきた物件というのが新築の4LDKの一軒家だったんです。田村さんは中古マンションを考えていたみたいなんですけど、父親の勢いに負けて結局その物件に決めてしまったんです」(テレビ局関係者)
不動産屋の話によれば、「この辺だと、新築で2階建ての4LDKは建て売りで平均して5000万円を少し着るぐらいですね」とのこと。
6000万円の印税から5000万円の新築を購入。
そして田村の住んでいるマンションは家賃30万円。
そりゃーお金も無くなっていくはずだ。
ホームレス中学生のブームもすぎた田村にはいまが正念場だ。

田村裕

田村裕の極貧結婚生活!貯金もゼロに・・・なぜ

ホームレス中学生でベストセラーになり印税で約2億円ほど収入を得ていた田村裕。結婚もしてようやく幸せを手に入れたのに、貯金はゼロで結婚指輪も最近ようやくかえたようです。金使いが荒いのでしょうか?

結婚して1ヶ月ほど経ちますが、奥さんは何でもどんぶりにしようとするんです。
野菜炒めを作ってもご飯の上にのっけるし、冷や奴みたいなものを作ってもご飯の上にのせようとするし。
嫁いわく、食べやすいからのせるようだ。 

田村は大阪出身の一般女性と2011年7月7日に結婚した。
ふたりの出会いは2009年に一般男性の男友達とご飯を食べることになって、「知り合いを連れて来るから」ということで一緒に来たのが彼女でした。
その後、彼女をライブなどに招待してご飯を食べているうちにどんどん仲良くなり、2010年彼女に東京に来る?って聞いたら、行きたい!というので一緒に住むことになったという。
しかし、当時は、田村は兄(研一さん)と高校の後輩が、東京でたこ焼く屋をやろうと、田村の家に居候をしていた。
彼女にしてみたら同棲が始まると思って東京に来たのに、なぜか4人での共同生活が始まったわけです。
普通ならここで話しが違うとなるはずだけど、彼女は多少文句を垂れながらも、兄と友達のご飯を作ったり洗濯など面倒をみた。
そんな彼女を見て、改めて結婚をしたいと思うようになった。 

そして結婚をし、新婚生活が始まった。しかし2011年、お金がほとんどないという田村。2007年に出版したホームレス中学生で推定印税約2億円を手にしているはずだが?

「僕はお金に縁のない運命なのか、印税でもらったお金はほとんど残っていません。よく何に使ったの?って聞かれるんですけど、大きな買い物は、お父さんに一軒家を買ってあげました。それからホームレス時代にお世話になった方たちに、ささやかな恩返しをしました。それと施設の子供たちにクリスマスプレゼントをしたり、困っている人に寄付をしたり・・・。2011年3月11日の大震災にも寄付をしました。贅沢は仲間と食事に行ったり、多少服を買ったくらいです。後は、お兄ちゃんが6月にたこ焼き屋を東京に開いたので、その開店資金に一時貸し付けした結果、いま貯金はゼロです。だから結婚生活は貧困なんです。住まいも家賃30万円のマンションから半額のところに引っ越すことになりそうです。結婚指輪も、半月ほど前に、給料から無理やり出して、ようやく買えました」(田村)

田村は稼いだ金のほとんどを他人のために使ったようです。人が良すぎる田村裕・・・。

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