つかこうへい最後の遺言!病気の事は妻や娘・家族以外には明かさず
劇作家・演出家・小説家のつかこうへいは、慶応大在学中からアングラ演劇を始め、1969年に「赤いベレー帽をあなたに」で劇作家デビュー。1974年に「熱海殺人事件」で岸田国士戯曲賞を受賞。同年に「劇団つかこうへい事務所」を設立し、「蒲田行進曲」などを演出。2010年7月に62歳で亡くなられています。
演劇界の革命児・つかこうへいの最後の遺言
「つかさんなら、ガンだって吹き飛ばしてくれると思ってました。だから、信じて待っていたんですが・・・」(芸能プロ関係者)
その願いも虚しく、2010年7月10日に肺がんのためこの世を去った。
62歳という早い死に誰もが言葉を失った。
2010年1月に肺がんだと公表し闘病生活を送っていたが、病魔は確実に身体をむしばんでいき・・・。
「実は、施しようがないほど、ガンが親交してしまっていたそうなんです。最後は終末医者に切り替えていたと聞きました。覚悟はしていたとおもいます」(芸能プロ幹部)
覚悟は、遺言に表れていた。
すでに2010年元旦に書かれており、「思えば、恥の多い人生でございませんでした」と綴られていたという。
遺言には「通夜、葬儀、お別れの会等も一切遠慮させて頂きます。しばらくしたら、娘に、対馬海峡あたりで散骨してもらおうと思ってます」と書いてあった。
「もともと、元気なころから、俺になんかあっても、そっとしておいてくれが口癖だったんですよ」(舞台関係者)
つかさんは、1980年に女優の熊谷真実と結婚するも、1982年に離婚。1983年に元つかこうへい劇団の女優・生駒直子と再婚し、娘で元宝塚歌劇団雪組トップ娘役・愛原実花をもうけている。
病気については家族以外には、誰にも明かさなかったというつかさん。
「何もいいたがらなかったですし、こちらからは聞けませんでしたから・・・。つかさんは、スタッフが体調を崩し、入院したりすると、新幹線に乗って朝一番でお見舞いにいったりするんです。だけど、自分のお見舞いにはくるなっていう人でしたから」(舞台関係者)
それでも役者がどうしても、お見舞いに来たこともあったというが、
「そこでは、自分の身体のことより、そのとき公演していた舞台のことで頭がいっぱいいっぱいだったそう。舞台の評判いいぞ!って声をかけて、役者は感激していたそうです」(舞台関係者)
時には俳優や女優に怒鳴り散らし、世間的には怖いイメージがあるかもしれないが、本当は優しい人だったという。
つかさんが稽古中に考えたセリフを口にし、俳優が繰り返し、作品を作成していく「口立て」という独特の演出方法は知られていた。
厳しい指導で平田満、筧利夫らを育成し、内田有紀や石原さとみらを演技派女優に育てた。
「ある日、インタビューを受けたとき、記者さんが突然、交代したみたいで、開始30分前くらいに電話が来て、つかさんってどんな方なんですか?って。それを聞いたつかさんは、怒るどころか、一緒に食べようっていえって(笑)。シャイだけどたくさんの人から愛される人でした」
照れ屋だったようですね。