人気姉妹漫才コンビ海原やすよの旦那は難病
姉妹お笑いコンビ「海原やすよ・ともこ」の海原やすよが新婚早々旦那に襲いかかった難病との闘いを2008年に告白しています。
旦那を襲った黄色靱帯骨化症
突然、旦那から投げる時に、急に左足に力が入らんようになって、これから病院に行くと電話があって。これが長い闘病生活の始まりでした。
そう話すのは、人気姉妹漫才コンビの海原やすよ。
旦那はプロ野球選手、オリックスの宮本大輔投手。
彼女が結婚したのは2005年12月のこと。
芸人としても人気を獲得し幸せの絶頂だった。
そんな2人を悲劇が襲ったのは、結婚わずか2ヶ月の2006年2月でした。
初めて聞く病名だったので、最初は全然ピンとこなくて、主人と2人で何って感じでしたね。
病名は黄色じん帯骨化症。背骨に沿った黄色じん帯が骨化して太くなり、脊髄の神経を圧迫、重症になると歩行困難になるという2万人に1人の難病だ。
何とか手術をせずにすむ方法がないかと祈りましたが・・・。
手術をすると2年も棒に振らないといけなくなりますから。
でもお医者さんからは、手術しかありません、それでも元どおりに野球ができるかわからないと言われました。
手術は歩けなくなるのを防ぎ、日常生活を送るためのもの。
プロ野球選手として復活するため以前の問題だった。
「家では将来の話はなくなりましたね。ただ、目の前のことをこなすのが精いっぱいで・・・。これからどうなるんだろうと不安な気持ちでした。きっと主人もつらかったはずです。でも私の前では一切口に出しませんでした。」
手術は2006年3月9日に行われ予定の7時間を超える12時間に及ぶ大手術だった。
「手術は無事に成功しました。でも病室では、背中と足などの痛みがひどくて、しゃべることも寝返りも、看護師も呼べない状態。主人はうめくばかりでした。」
やすよは、看病を続けていた日の睡眠時間は30分だけだった。
やすよの看病のかいもあって、宮本投手は2006年の夏には軽い投球練習ができるまでに回復・・・。
しかし、ここからが本当の苦しい闘いだった。
「その年の12月(契約更改)に、育成選手になったっていうんです。育成選手とは二軍の下の三軍(テスト生)です。」
あまりにも厳しい宣告、宮本投手は再び登録選手を目指すことに。
しかし登録期間である2007年の6月30日になっても球団からは連絡がなかった。
そんなある日の夏も終りの頃、「なんで俺やねん!どこまで俺の体を痛めつけたら気がすむねん・・・」
手術でも弱音を吐かなかった宮本投手が初めて弱音をはき取り乱していた。
だけど宮本投手はあきらめなかった!
1年間必至に努力し、2008年7月21日に1399日ぶりの一軍のマウンドにたつ。
その姿を見て、私は涙があふれてきました。
決して全快したわけではないとやすよは語る。
「主人は選手として少しでも早く復活するために、背骨の下半分30センチほどしか手術をしてないんです。今後残した部分が悪化することもありえます。せめてあと10年は再発しないでほしい。1年でも長く野球を続けさせてあげたい」。