柳楽優弥の仕事がこなかった不安な時期!嫁・豊田エリーが支え子供も
俳優の柳楽優弥は2002年に「友人が所属していたから」という動機で大手芸能事務所に応募し、芸能界デビュー。主演映画は2005年の「星になった少年」、2007年の「包帯クラブ」、2009年の「戦慄迷宮3D」など。テレビドラマは2003年のフジテレビ「クニミツの政」、2004年のテレビ朝日「電池が切れるまで」、2015年のNHK連続テレビ小説「まれ」などに出演しています。
柳楽優弥の仕事がこない不安
2008年8月29日の深夜、薬を大量服用し救急車で運ばれた柳楽優弥の自ら命を絶とうとした真相とは。
第一発見者は柳楽さんのおじいさんだと聞いています。孫が自ら命を絶とうとしたようだと(病院関係者)
同年8月29日の午前2時過ぎ、東京都内にある自宅で自ら命を絶とうとし、近くの大学病院に緊急輸送された柳楽優弥。100錠近い大量の薬を一気に服用したという。
「いわゆる急性薬物中毒の状態。病院にすぐに胃洗浄、点滴などの処置が行われ、幸いなことに命には別状はありません」(病院関係者)
柳楽優弥を一躍有名にしたのは、2004年公開の映画「誰も知らない」。親に見捨てられて、アパートの一室で人知れず生活を続ける、主人公の少年役を14歳で務めた柳楽は、その演技が評価されカンヌ国際映画祭で日本人初&史上最年少となる最優秀主演男優賞を受賞。
以来、映画だけでなく、ドラマやCMなどで幅広く活躍。
しかし、順調にはいかなかった。
「柳楽君、この2007年頃から思うように仕事ができず、ずっと悩んでいたんです」(映画関係者)
「いい仕事が中々出来ないと気にしていて。芸能界でやっていけるのかとよくこぼしてましたね」
自分を取り巻く環境の急激の変化についていけなかったのでは?という声もあった。
「14歳であれだけ高い評価を受けると、仕方ないかもしれませんが、柳楽君、頂点をみてしまったがゆえに、つらそうでした。いくら才能があるといっても、まだそれほど経験を積んだワケではない。そんな中で自分を見失って・・・」(テレビ関係者)
相当なプレッシャーがあったのだろう。
「そうしたことが重なって、夜が眠れなくなり、食欲がなくなったり・・・。最近は自宅にひきこもり状態で、会うたびに映画のDVDばかりを見ていると・・・」(映画関係者)
柳楽優弥はこうした苦しい状況を今回は軽く真剣なお話という書き出しで、2008年8月16日のブログに綴っていた。
体調を壊しちゃってました。露出が前より減ったのも、その影響があるんだ(略)
一瞬ヘタレになったけど今の俺は軽く最強だからよろしく!
人は苦労したりどん底みたりすると、最強になるわ。
引退の予定はないとのことで、ひと安心だが、18歳という微妙な年齢の孤独を誰も知らなかったのが悔やまれる。
なお事務所では自ら命を絶とうとしたのではないと発表されましたが、薬を100錠飲むのは、どう考えてもおかしいです。
幸い命には別状なかったのでよかったです。
その後、2009年12月に高校時代に柳楽がひとめ惚れし、交際していたという同じ事務所に所属する女優・豊田エリーと婚約したことを公表。2010年1月に結婚。同年10月に第1子となる娘が誕生。設楽の苦しい時期も豊田エリーの支えがあったという。
そして、2010年に入り女優の佐藤江梨子とともに映画「すべては海になる」の主演に起用され、俳優として復帰。2011年頃には社会勉強のため、自動車ディーラーの洗車や居酒屋のバイトをしていたという柳楽。
2012年には、蜷川幸雄演出の「海辺のカフカ」で初舞台。主人公を演じた。2014年には宮本亜門演出の「金閣寺」などに出演。2015年5月にNHK連続テレビ小説「まれ」に出演。2017年1月からはじまるNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」の龍雲丸役を演じる。