菊池桃子と西川哲の離婚の真相!娘と病気に姑・五月みどりは

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女優の菊池桃子は1983年に雑誌「MOMOCO」のイメージガールでデビュー。1984年に映画「パンツの穴」に主演。シングル「青春のいじわる」で歌手デビューし、トップアイドルに。1995年に女優の五月みどりの息子でプロゴルファーの西川哲と結婚。1996年に長男、2001年に長女を出産。2008年からTBSテレビ「はなまるマーケット」のレギュラーを務め、2011年3月に降板。2012年1月に夫と離婚しています。

菊池桃子

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夫が10キロ先の隠しマンションで単身赴任生活

結婚前、西川の父親にツアーでの優勝が結婚の条件(男なら仕事で示してみろということで、決して嫌がらせではない)と言われ、心労のあまり体調を崩したが、見事に西川哲は優勝し、円満に結婚をしたふたりですが、離婚の危機なのでしょうか?

「自宅周辺では菊池と子供たちの話ばかりで、旦那の姿は皆無だといいます。あれから半年、もしかしたらすでに離婚準備にはいっているのかも」(スポーツ紙記者)

「一部の報道では、西川が都内一等地に立つ高級マンションで別居していて、彼の女性問題が原因ともいわれました。2008年から菊池が仕事をふやしたのも、シングルマザーへの伏線との声も・・・」(スポーツ紙記者)
さらにプロゴルファーだったはずの西川が2010年現在、競走馬投資会社の取締役。 

実業家へと転身をしていたのだ。
確かに、桃子と結婚したら1995年以降はゴルフで目立った活躍もなく、2005年以降、ツアー予選すら通過できていない西川。
つまり賞金は0円で、桃子が一家を支えていたという。
「そんな彼が、2008年にその投資会社社長に就任したワケです。夜な夜な六本木を遊び歩いているという情報が飛び交いはじめたのも、そのころからともいわれています」(ワイドショースタッフ)

一転して彼の周りは景気がよくなっていったようだ。
一体どんな事業をしているのか?
「弊社ではサラブレッドの投資販売をしております。1頭につき400口にわけて、会員の方に1口から投資していただきます。1口馬主として、獲得賞金を分配するんです」 

つまりは、馬主を集う代理店のような会社だ。償金から騎手らへの進上金を除いたうちの5%が西川の会社へ渡るわけだ。
ほか、会員費や維持費なども入ってくる。
「もちろん、馬がかつにこしたことがありませんが、そうでなくても、会員費などで毎月収入も保証されている。会社は、数に定められた制限があり、国の許可も必要とします」(競馬担当記者)
では、なぜわざわざ家族と別居しているのだろうか? 

とある日に、西川を尾行したが、午前中に車を運転して別宅を出て、帰ってきたのは午後9時ごろ。
ひとりで帰ってきた彼に浮気の影はなかった。
桃子の育ての親でもある、彼女の所属事務所社長は断言する。
「離婚の話なんてまったくありません。別居というのも間違いで、月に数回は家に戻ってます。以前の報道に煽られたりして、話が広くなったんだと思いますよ」

別宅マンションについても
「今、彼は接待がものすごくて、飲みにいくことが多いんです。菊池もはなまるもありますし、子供も朝が早いですから、互いに仕事に支障がでてくるんです。一時期は彼も駐車場で寝泊まりしてたくらい。いわば単身赴任のようなものです」
GWには、食事やディズニーランドも家族でいっているようで、心配された離婚問題は2010年、全くなかったようです。

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菊池桃子と西川哲ついに離婚!夫の浮気相手同伴、育児放棄

当時、人気アイドルだった菊池桃子と、プロゴルファーで母が五月みどりでボンボンの西川哲の結婚は話題になりました。西川哲のプロゴルファーとして活躍していた時期もありましたが、ここ数年は散々な成績で予選落ちばかりでゴルフでの収入はほぼゼロだったようです。それに加え、変な商売に手をだしたり、浮気するわ、育児放棄をするわで、菊池桃子はずっと耐えてきたようです。

都内の高級住宅街でもある一際目を引く3階建てのオレンジ色の一軒家。
かつてはテラスでバーベキューをしたり、父子でゴルフの練習をする姿が目撃され、幸せ一家の象徴だった。
その豪邸はいまでは静まりかえっている。
家の主だった夫婦は離婚し、家庭はばらばらになり、妻は子供ふたりと母親とともに出て行き、この豪邸から車で1時間ほど離れた東京郊外の一軒家で新しい生活をしていた。 

「人生で予想もしていなかった事が重なり前向きな最善策と考えて、離婚をしました。原因などは相手がおります事ゆえ、これ以上お話ができないことをお許し下さい(略)」
2012年1月28日に西川哲との離婚を発表した菊池桃子。
菊池は芸能生活をセーブしてまで、夫のアスリート生活をさされてきた。
しかし、結婚17年目にして終わった。 

ふたりの出会いは1993年の男子ゴルフトーナメントのプロアマ戦で同じ組でまわったことがきっかけだった。
その後、ふたりは交際をし、1994年春に交際宣言をし、8月には婚約会見をした。
しかし、1995年4月に予定されていた挙式と披露宴は1ヶ月前になってキャンセルされた。
西川の母は女優・五月みどりで、父は芸能プロダクションの会長・西川幸男。
「結婚するのに、食べていけませんでは無責任すぎる。もっとしっかりとした成績を残してからでも遅くない。式は延期しろ!」と父の一括で延期に。
菊池はそのショックでコップ1杯の血を吐き、十二指腸潰瘍で入院した。 

それから約1ヶ月後の5月1日に入籍こそすませたものの、西川がツアーを優勝するまで結婚はお預けとなったのだ。
西川は中々成績が伸びずに苦労をしていたが、同年7月に2年ぶりの優勝を果たす。
その時のインタビューで
「桃子にウエディングドレスだけはきせてやりたかった・・・優勝の瞬間、妻のことが頭に浮かびました・・・」
涙とともに述べた菊池への感謝の言葉が多くの人に感動を与えた。
そして翌1996年2月に親族だけで無事に結婚式を挙げることができた。 

1996年8月には長男を出産した。
しかし、1999年2月には、第二子を流産してしまう。
悲劇を乗り越え、2001年10月には長女が誕生、2005年には冒頭のマイホームを建設し、誰もがうらやむ仲良し夫婦だったのだが・・・。
夫婦の破綻は夫のゴルフ不振から始まった。

復活優勝以後、西川は一度も優勝なく、2005年には予選すら突破できず、2007年には90万円を賞金として手にした以外の6年間は賞金は0円だった。
当然、西川の家計は菊池が主に支えた。 
「菊池さんはお子さんとの生活が中心でしたから、ドラマなど長時間の拘束されてしまう仕事ができませんでした。それでも、CMで愛娘と共演したり、お弁当のレシピ本を出版したり、ライフスタイルブランドを立ち上げて、帽子や子供服をプロデュースするなど、ママドルとして頑張っていました。かなりの収入があったはずです」(広告業界関係者)

西川哲

離婚の一番の原因は夫の借金

菊池桃子は2007年には、山田太郎ものがたりで12年ぶりのドラマ復帰を果たし、翌2008年には、はなまるマーケットにレギュラーで登場するなど、仕事を増やしていった。
しかし、妻が仕事で脚光を浴びるほど、夫の肩身は狭くなっていった。
「2006年にはゴルフの賞金だけでは食べていけないと感じたのでしょう。奥さんにも申し訳ないという思いもあって、プロのためのコーチでもあるティーチングプロも始めたんです。だけど、腰掛けできるほど、業界も甘くなく、頑張って稼いでも、年収は200万円程度だったとおもいますよ」(ゴルフ関係者) 

そして次に始めたのがゴルフとは全く関係ない競馬だった。
2008年10月、西川はサラブレッドの一口馬主を会員として集め、投資してもらっう競走馬投資販売会社の社長に就任する。
この頃から、仕事のため西川は家にほとんど帰らなくなった。
「スポンサーや新規馬主を募るために、毎日のように接待がはいり、都内にマンションを借りてそこで生活をしていたみたいですよ」(別のゴルフ関係者)
住民も4年ほど前から西川の姿を見なくなったと証言している。 

子供達が通う行事などにも参加することはなかったという。
結局、菊池は女手ひとつで子育てをしてきた。
「息子さんが中学生になって思春期を迎え、お母さんには相談しにいくこともあったみたいなんですが、父親である西川さんが家にいないから相談もできなくて、ひとりで苦しんだこともあったようです」(テレビ局関係者)
家に帰らないならまだしも、西川に不倫疑惑が浮上する。
2010年2月に西川が別宅マンションに女性を連れ込んでいると報じられたのだ。

さらに、こんな西川の姿も目撃されている。
「仕事場である競馬場やゴルフ場にも、恋人と思われる若い女性をマネージャーと称して堂々と同伴させていた」(ゴルフ関係者)
菊池は、親しい知人に
「男は浮気をするものだから仕方ない。でも、できれば家に帰ってきて欲しい・・・」
菊池は最後まで西川を信じようとしていた。
だが、離婚を決意させる最大の要因がお金だった。
「競走馬関連会社の社長に就任した時は、経営もうまくいっていたそうですが、やはりビジネスの面での素人ですから、徐々に業績が悪化し、菊池さんが彼の役に立てばとかなりの額を支援していたみたいです。援助してもらっていたのに、相当な借金を抱えてしまっていたそうなんです」(別のゴルフ関係者) 

そして、膨れあがった借金は、今度は菊池と子供にのしかかってきたのだ。
「菊池さんがお母さんとふたりのお子さんと暮らしていた家を、返済が滞る西川さんに業を煮やした債務者が差し押さえると主張してきました。これには菊池さんも危ないと思ったようで、西川さんと話し合いを持ちました。そして子供達を守るために離婚を決意したんです」(ゴルフ関係者)

西川哲

菊池桃子が離婚後、思い出の家で再出発

結婚生活17年にして離婚。離婚の原因となったのは、夫の借金と浮気と育児放棄。さらに菊池はシェーグレン症候群を患っており大変だった。そして2012年4月、差し押さえ危機にあった家に戻って、再出発を決めたそうです。

「菊池さんは離婚直前から自宅を離れていました。でも、息子さんの高校入学にあたり、やっぱり住み慣れた思い出の家でもう一度始めたいと自宅に戻ったみたいです」(ママ友)
2012年1月に、プロゴルファーだった西川哲と離婚した菊池桃子。
西川の借金問題で子供達と一緒に住む家を失う可能性が出てきたため、17年に及ぶ結婚生活にピリオドをうった。 

2012年4月上旬の昼下がり、菊池の家がある都内の自宅を訪れると、買い物から戻った菊池が白い大きなマスクをして現れた。
記者:長男の高校入学おめでとうございます。
菊池:ありがとうございます。でも、まだ引っ越し作業がはかどってなくて、お恥ずかしいです。

菊池は2年前から難病であるはシェーグレン症候群を患っている。
目や口のひどい乾き、関節の痛みなどの症状がでる。
完治の難しい難病だ。
現在の体調はどうなのか?
「このとおり、全然元気です。全然大丈夫なので安心して下さい。でも事務所からは止められているし、あまりお答えすることができません。これからも頑張りますのでよろしくお願いします」 

「菊池さんは3月に、大学院を修了しています。街づくりの政策を学ばれたようです。4月からはコメンテーターとしてレギュラー番組も決まってるようです。今後は大学院で学んだことをいかせる仕事もしたいといってるようです」(レポーター)

菊池桃子

夫からは慰謝料も養育費も貰えず!姑・五月みどりからの援助もなし

離婚の原因は西川のお金と女性問題だと報じられてましたが、菊池桃子は離婚原因について一切話しをしていません。さらに慰謝料と養育費も貰っていないそうです。そして姑である五月みどりとの仲は。

古い家が建ち並ぶ郊外にひっそりと佇む薄桃色の二世帯住宅。
ここに菊池桃子と高齢の母と長男と長女が住んでいる。
菊池は離婚の原因については明かさなかったが、西川の多額の借金や女性問題が明るみになった。
しかし、彼女は西川から慰謝料や養育費は一切受け取っていない。

「菊池さんからすれば、離婚の際、慰謝料などの権利を主張しようと思えばできたのですが、西川には多額の負債があり、さすがにかわいそうになったんでしょう。17年も連れ添った仲ですからね」(ゴルフ関係者)

都内に3階建てで100㎡を超え建物と敷地だけで数億円とも言われた家に住んでいた。
「その家は西川さんの借金の債権者が差し押さえると主張してきたんです。菊池さんにしてみれば、子供達が安心して暮らすことが第一。結局、今の借家に引っ越して、その家は売りに出しているんですよ」(同上)

2012年8月現在、菊池はとくダネ!のコメンテーターを務めるなど、以前にもまして仕事に積極的だ。
とはいえ、母の介護と子供を抱えているので活動の場は増やせないようだ。
「最近、桃子さんのお母さんの足の具合がよくないようで、その介護も彼女にのしかかりつつあり、なかなか仕事全開というわけにはいかないようです。経済的にも楽ではありません。元は西川の借金が原因の生活苦ですから、お義母さんに相談するしかないと思ってお話をしたそうです」(菊池を知る芸能関係者)
西川の母は五月みどりだ。

元姑である五月にとっても菊池の子供はかわいい孫であることは違いない。
「桃子としては、生活を援助して貰おうというのではなく、ご主人の借金を含め、今後どうしたらいいか相談したかったんだと思います。でもその話を聞いた五月さんは、どんな状況であろうとも私は手助けしませんと相談に乗らなかったようです」(同上)

実は五月も援助したくてもできない理由があった。
西川の父でもある最初の夫との結婚を機に芸能界を引退した。
長女と西川を授かったものの。結婚生活は6年で終わった。
そして、芸能界に復帰したが、以前のような活動はできなかった。
その後、2度の結婚と離婚を経て、現在は自身のマネージャーで所属事務所社長を務める男性と事実婚状態に。
都内の一等地に建てた豪邸から、神奈川県内に敷地面積160㎡を超える豪邸を建て、移り住んだ。
その近くには五月が経営するギフトショップもある。
「五月さんの口癖は、お金がない。スタッフのことや経営のことを考えれば自分のことで精一杯ですからね。子供達にアテにされては困るっていうんですよ」(五月の知人)

五月は雑誌のインタビューで、このように言っている。
「自分が好きでやったことなら、その責任を取るのも自分自身です。娘と息子にも、願わくは、そういう生き方をしてほしいと思ってます」

五月みどり

菊池桃子が母校・戸板女子短大の客員教授に転身

元・プロゴルファーの西川哲と離婚した菊池桃子が次に選んだ人生は、母校の客員教授!豪邸も売却し一からのスタートを決意したようです。さらに、彼女は頭もいいそうです。

「菊池さんは卒業生で何度か講演していただいた縁もあり、2012年秋、教授就任に至ったそうです」(学校関係者)2012年1月に離婚をした菊池が母校・戸板女子短大の客員教授になっていたのだ。

その初授業が、2012年10月中旬に行われた。
メガネ姿で現れた菊池は、服飾芸術科の1年生を対象としたキャリア学の講義を行った。「授業は50人ほどの少数で行われています。生徒からは、芸能人の授業というより、普通の授業内容でした。ただ、肌がすごく綺麗といった率直な感想も聞きました」(別の学校関係者)

菊池は2児のママで育児生活も一段落した後、40歳で法政大学の大学院に入り、キャリア形成や雇用政策を学んだ。芸能活動と並行しながら今春、無事修了した彼女は半年で教わる側から教える側へ。

「生徒のひとりから聞いたら、菊池さんは最初の授業の冒頭に、私が大学生だった頃はバブル全盛期で、服やバッグはブランド品で固めていた時代。いまの学生さんはユニクロなどがあって、エコでいいですねなどと話をしていて、会話も上手だったそうです」(大学関係者)

菊池は、2012年夏に、9年前に建てた都内の270㎡の自宅を売却していた。
「広すぎる家だったので、西川さんが去った今、このまま維持する必要もないからと売却したそうです」(菊池の知人)
現在、菊池は子供2人と借家暮らしをしている。
女優は不安定な職業なので、これから子供を食べさせていくために、客員教授に転身したようです。

菊池桃子

菊池桃子が衝撃告白!シェーングレン症候群に長女は左手足麻痺

ブログやインタビューで自身や家族の闘病生活を明かした菊池桃子。さらに夫とも離婚をし、女手一つで家族を支えていかなければなりません。そんな菊池桃子の生活ぶりが2013年6月に報じられました。芸能界に復帰したのは、離婚した夫が原因だといわれていましたが、実は家族を支えるためだったようですね。

2013年6月上旬、エコカーから降りてきたのは菊池桃子だった。彼女が向かったのは、新築されたばかりの2階建て住宅だ。ここには5月に引っ越しをしてきたばかりだ。

菊池がプロゴルファー・西川哲との17年に及ぶ結婚生活を終えたのは2012年1月のこと。
菊池の知人が話す。「菊池さんは、西川さんと暮らしていた家を、2012年夏に売却しました。その後は借家生活を続けながら、新居を建てるための土地を探していたのです。彼女がこだわっていたのは、子供たちの通学に便利なとこでした」(借家暮らしは経済的に苦しいためと思われていましたが、新築を建てるためだったそうです)

菊池には16歳の長男と11歳の長女がいる。
以前生活していた家は、82坪あったが、今回は35坪で、前に住んでいた家の半分の広さになる。「土地と建物合わせて1億2000万前後の物件でしょう」(不動産業者)決して安くない物件だが、菊池はローンを組まずに購入したそうだ。

菊池は2012年から母校・戸板女子短期大学で、客員教授をしている。
実は、タレントである菊池が労働問題に強い関心を持つことになった理由のひとつが長女の障害だった。

インタビューでこのようなことを話している。
「希望したがっこぅに受け入れてもらえず就学がとっても難しかった。国の政策や社会構造に疑問をもった」
長女は乳児期に脳梗塞になり、左手足に麻痺が残ったのだ。

「明確なデータはありませんが、10万人あたり数人程度の脳梗塞患者がいると推計されています。乳幼児期の脳梗塞も成人と同じく、後々まで後遺症が残ることがあります。しかし、成人と異なり、子供の体は発達途中ですので、リハビリをすれば手足の障害なども改善する可能性が高いです」(クリニックの院長)

菊池の長女はすでに歩けるようになっており、都内にある特別支援学校に通学している。
送り迎えは菊池が付き添いをしているが、以前の家と比べると新居は学校からかなり近くになった。
新居は長女のためにバリアフリーを徹底した設計になっているそうだ。

さらに菊池は自身の病気も告白している。
「私にもシェーングレン症候群の診断が下り・・・。おかげさまで私の病気は薬で上手くコントロールできています」
シェーングレン症候群とは、自己免疫疾患の一種で、唾液や涙が出にくくなるなどの症状を伴う。
病気を告白するのは、イメージが暗くなるので周りからは止められたそうだが、公表に至った。
苦境にめげずに、親と娘が前へ進むためにも告白をしたようだ。

菊池桃子

菊池桃子が障害者持ちの親の苦労を語る!娘は左手足麻痺障害

菊池桃子は芸能界を完全引退をすることも考えていたそうです。その理由は、生まれて間もなく、娘に障害があることがわかったからです。菊池桃子がこれまでの苦悩を告白しています。

「娘はご存じの方いるかも知れませんが、障害を持ちました。生後7ヶ月で、左手足に麻痺が残る脳梗塞の跡があることがわかったんです」
2014年2月15日に450人の前で女性の社会参加をテーマに講演を行った菊池桃子が自身について語り出した。

菊池は15歳で芸能界デビューし、長男と長女を出産する。
菊池は意を決したように、表情を変えて娘のことを話だした。
「私は考えました。芸能生活はここでいったんやめよう。そして、娘の抱えた病と真剣に向き合ってみようと思ったんです」

これまで娘の障害については、公の場で語ることはなかった。
講演会で菊池は一番辛い思いでをこう語った。
「娘が幼稚園に入ること、自分自身の将来について私にいろいろ質問してきたんです。ママ、私って普通の小学校に行けるの?とか、私は将来、どんな仕事ができるの?とか。確かな答えを持っていなかった私は、いい加減なことを言ってその場をごまかしてしまったんです」

障害を持った娘は、これからどんな未来が待っているのか・・・。
娘からそんな不安をぶつけられた母は、きちんと答えられなかったことで自責の念に苦しんだのだ。

この講演から5日後の徹子の部屋に出演した菊池は、黒柳徹子に、「長女から、私のこと恥ずかしいの?隠したいの?って言われたんですって?」と聞かれ、菊池はこう答えた。
「娘が隠したいの?と言った時に、私はこういう仕事をしているし、必要以上に娘の話題が大きくなるのもどうかなと思ってしまって・・・」

娘にどう答えるべきだったのか、その時、菊池は痛切に学びの必要を感じたという。
長女の言葉でいろいろと学ばさせられた菊池は、39歳で大学院に入学。
長女の方は、名門小学校に合格して通っていたのだが、体が不自由なこともあって、特別支援学校に転校したこともあった。
それでも長女は負けずに頑張り、2014年春に見事に有名私立中学を受験し合格をしている。

そして、ここにきて長女にある変化が。
「おかげさまで、今ではかなり回復しまして、いわゆる独歩という、自分で歩けるところまでにはきています」(徹子の部屋より)
最愛の娘と力を合わせて12年。
障害を乗り越えて、中学受験も合格した母にとって、最高の金メダルになったに違いない。

娘の障害のことを話すきっかけになったのは、娘が障害を乗り越えたことが大きかったそうです。
これまでは、長女の受験などで、時間を優先してきたけど、2014年は芸能生活30周年、5月にコンサートを行った。

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