吉田美和が鎌田樹音と結婚した真相!事実婚・前夫への思い

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DREAMS COME TRUEの吉田美和は2004年5月、映像ディレクターの末田健と不倫状態の上に略奪するも、籍は入れずに事実婚状態だった。2007年9月に末田健は胚細胞腫瘍のため急死。2012年3月にロックバンドFUZZY CONTROLのJUONこと、鎌田樹音と結婚しています。

吉田美和

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ドリカム吉田美和が事実婚だった夫の死への思い

入籍はしてませんが、事実婚で有名だった吉田美和と末田健。旦那は2007年に、33歳の若さで胚細胞腫瘍という病に倒れました。闘病生活を送る末田のために、吉田はライブや活動休止も考えたそうですが、背中を押してくれたのは旦那だったようです。

LOVE LOVE LOVEのアンコールに応えた吉田美和。
大粒の涙を流しながら歌い上げた。
2011年7月24日、ドリカムは4年に1度行われるライブドームツアーを吉田の故郷である北海道でスタートさせた。
前回2007年のツアーは吉田にとってあまりにも切ない日々だった。 

当時は、彼女には9歳年下の事実婚の旦那がいた。
2004年に、白髪が生えるまで一緒にいようと誓い合った映像作家の末田健。
当初は彼もツアーに同行予定だったのだがツアー幕開け直前に体調を崩し、診断の結果、胚細胞腫瘍という重い病気にかかっていることがわかる。
「末田さんの病状が思わしくないことを知った吉田さんは、彼と少しでも一緒にいたいとツアーの中止も考えたそうです」(音楽関係者)
しかし、彼女の背中を押したのが末田さんだったという。
「末田さんは、闘病生活を送るベッドの上から、吉田さんにツアーー凄く楽しみにしているよ!頑張ってきてと声をかけて笑顔で送りだしたそうです」(音楽関係者) 

末田健

吉田は、ツアー中でも日帰りができる時は、東京へ帰って看病をしていた。
「病室を後にするときが本当につらかったようです。地方に行くと泊まりがけで公演が2日間続く。その間は決して東京に帰ることができない。万が一・・・と考えてしまって眠れない日も多かったそうです」(音楽関係者)
末田さんは、吉田がツアーが終わった3日後の2007年9月26日、ツアー終了を見届けるようにして亡くなった。
末田さんがなくなってからというもの、吉田はすっかりふさぎ込み、食欲もなくなり毎日泣いていた。
さらに吉田は、末田さんと一緒に暮らしていたマンションの彼の部屋をそのままにし、思い出の詰まった品々に触れて寂しさを紛らわすこともあったという。 

そして、吉田は、末田さんに捧げる AND I LOVE YOUという曲を創った。
その間もずっと泣いていたが、めそめそしていても彼は喜ばないし、歌ってる私が好きだと思うからと考えを変えて、吉田の再生がはじまった。
末田さんが眠る東京都内の霊園では、こんな姿が目撃されている。
「2010年の秋ごろ、命日近くに吉田さんが末田さんの両親と一緒に墓参りに来ていました。その日だけじゃなく年に何度かは来ているようです」(霊園関係者)
吉田はいまでも末田さんの両親と本当の親子のように絆を深めている。
「いまでも普段から電話などもくれますし、お正月とか、お盆とか、節目にはお墓参りもきてくれます。ただ、2011年は大きなツアーがあるので忙しくてあえませんけど・・・」(末田の父)
吉田が亡くなってから今でも、吉田は末田さんを大切にしている。

吉田美和

吉田美和が鎌田樹音と再婚した真相

2007年に内縁の夫を亡くしてから5年が経過し、突然、再婚を発表した吉田美和。結婚相手は共に音楽活動をする鎌田樹音。どうして彼と結婚を決めたのでしょうか?吉田美和の実の弟が2012年にその理由を語っています。

「親しい関係者でさえもびっくりしたという電撃結婚ですが、吉田さんは事実婚の夫を2007年に他界した末田さんの墓前に報告をしたそうです」(音楽関係者)
ロックバンド・FUZZY CONTROLのボーカル鎌田樹音と結婚したことを2012年3月発表した。 

ブログにはこう綴っていた。
「ふたりで開けるこのドアが、どこに通じているかはわからないけど、共に愛する音楽をますます大切にしながら一歩踏み出してみます」
2007年9月に映像ディレクターだった末田健と死別。
その悲しみを乗り越え、こうして幸せをつかむまでには、葛藤と心の揺れがあったという。
「吉田さんにはふたりの実弟がいます。その上の弟さんと話す機会がありましたが、彼も非常に驚いていました。姉から結婚報告はあったけど、まだ会ったことがないと」(弟の知人) 

吉田美和 鎌田樹音

さらに彼はこんな事も話をしていました。
「ふたりが付き合い始めたのはつい最近のことだと思う。2011年までは、姉さんは末田さんの親御さんたちとの付き合いもあったし、墓参りや末田家による法事などにもよく参加してたし。それに精神的に昨年もすごく落ち込んでいたから・・・。なかなか末田さんのことが忘れられなかったみたいなんだ」(同上) 

末田さんが亡くなって1年半が経った2009年2月。
ドリカムのシングルに鎌田のバンドが参加し、ふたりは出会う。
同年末の紅白でも、吉田のバックで鎌田も一緒のステージに上がっている。
「出会った当初、吉田さんは悲しみが癒えていない状態でした。なので、男性に対して壁を作って距離を置いて接していたんです。鎌田くんにも、そういう接し方をしていましたが、彼の自然体の明るさが、徐々に吉田さんの凍った心を溶かしていったようです」(音楽関係者)

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結婚への決意を後押ししたのは東日本大震災

2009年の出会いから3年、鎌田と仕事で何度も接するうちに、吉田のなかで恋に前向きなエネルギーが沸き始めていたという。
「それでも吉田さんは踏み出せなかったみたいですよ。鎌田さんの存在が大きくなるにつれ、天国の夫への罪悪感のような気持ちも大きくなっていったようです。もう一度、幸せになっていいの?と葛藤したようです。そんな吉田さんの気持ちは鎌田さんと一緒に制作した その先へ という曲が表れていると思います。 愛なんて見えもしないもの 求めるもの 出口の見えない暗闇さえ 歩いて来たはずだろう? だからこそ その先へ という歌詞は彼女の揺れ動く心の叫びだったのではないでしょうか?」(別の音楽関係者)

吉田美和 

ガンで休止した夫と、年下でも心の支えとなりつつある彼との間で揺れる吉田の心。
そんな彼女の結婚への決意を後押ししたのは、あの大震災だったという。
「弟さんは結婚のきっかけは震災だと思う。僕が宮城のボランティアに行っていた関係で、姉も宮城に来て復興ライブをしたいといってました。被災地のひどい状況のなかで、助け合う強い家族のつながりとかを見て、すごく感動していたみたいだし、それで自分も家族がほしいとようやく思えるようになったんだと思います」(弟の知人) 

吉田は震災支援活動をしてきた。
2011年6月にはベストアルバムを緊急発売し、収益から1千万円を義援金に、8月には被災地4カ所を巡る無料ライブもしている。
被災地を励ますうちに吉田も背中を押され、新たな家族をもつ勇気をもらったようだ。
「年の差婚で、鎌田くんとは19歳の差がありますが、まったく気にしていないようです。鎌田くんは、若さに似合わず父性的な包容力がある男ですから。すでに子供のいる中村さんには、もし子供ができたらいろいろ教えてと頼んでいるようです。ママになりたい願望も漏らしていたようです」(別の音楽関係者)
内縁の夫の死後から5年が経ち、ようやく女の幸せを手に入れた吉田美和だった。

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