由紀さおりの若い頃は恋人より母の夢である歌手業を優先

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歌手の由紀さおりは、幼いころから姉で歌手の安田祥子とともに童謡歌手として活躍。1969年にはソロ曲「夜明けのスキャット」がヒット。1985年頃からは安田祥子と童謡コンサートを開いています。

由紀さおり

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アルバム「1969」が欧米など世界的にヒット

由紀さおり&ピンク・マルティーニによるコラボ・アルバム1969が各国でチャート1位を獲得し2011年12月、話題になりました。ヒットを生み出した裏には、夢を捨てずに頑張ってきた生い立ちなどがあるようです。

アメリカのiTunesジャズチャートで1位、カナダでも1位、日本のオリコンでも7位にランクインし、女性歌手としては史上最年長のトップ10入りをした由紀さおりが2011年10月に発売した1969のコラボアルバムの記録が止まらない。
なぜ売れているのだろうか?
「彼女の声は透明感があるんですが、その中に湿度があります。外国で大ヒットしているのは、日本語で歌っていますから歌詞を理解してではなく、曲と透明感がポイントでしょう。彼女の声は癒されるこの時代にあったんだと思います」(音楽プロデューサー)

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1965年に歌手デビューを果たした由紀。
ヒット曲に恵まれず、1969年に夜明けのスキャットでブレイクした。
それから42年、再ブレイクするまでには母の存在があった。
3歳の時に、姉の後を追いかけるようにして合唱団に入団。
小学校になると、由紀は童話歌手として日本各地を回った。
由紀が歌手デビューをすると、素人ながらもマネージャーとなり、個人事務所を起こすなど、母は自分の人生を後回しにして支えた。 

「私の理想の母親像は、私の母。私が母になれなかったのは、仕事を持っていたら、こんな母親になれないと思ったから」
そう話す由紀は母が自分の歌声に託してくれた夢を胸に生きていく覚悟をした。
由紀は37歳の時に子宮筋腫を患っている。
長く悩み続け4年後に子宮全摘出手術を決断する。
由紀は20歳の時に1度目の結婚をしている。
相手は10歳年上だったが、14年目に離婚。
そして、子宮全摘出手術後に出会ったのが、アメリカ在住の日本人男性だった。 

再婚を考えるまで交際をしたが、母が猛反発した。
「由紀さんは仕事をやめて、彼の住むアメリカへ行くつもりでした。でも母が彼女の歌声を諦めきれなかった。そんな母の気持ちを由紀さんも無視することができませんでした」(知人)
結果的に、恋人より母をとったことで、彼との間に距離ができた。
その母は1999年に死去。
2000年に由紀はその男性と8年越しの愛を実らせたが、仕事は辞めなかった。
結局、アメリカと日本での事実婚状態になり、すれ違うばかりで06年にふたりの関係は終わった。
「歌うことが人生」といってるように、母の夢を優先したことが再ブレイクにつながったようです。

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