藤田まことは最後まで借金と病気と闘う!娘が語った闘病生活

俳優の藤田まこと(享年76)は高校卒業後に歌手として芸能界入り。1957年から大阪の劇場にコメディアンとして所属。1962年から出演したコメディードラマ「てなもんや三度笠」がヒット。1973年から時代劇「必殺仕置人」に出演し人気に。1988年から出演したドラマ「はぐれ刑事純情派」の安浦刑事役で知られています。

藤田まこと

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最後まで借金と病気で闘って

名俳優として人気のあった藤田まことが2010年2月に突然の死・・・。ファンなどから悲しみの声が多く聞かれました。闘病生活の中での仕事はかなりきつかったと思います。

「突然の出血で、すぐに意識を失い、まったく苦しまずに亡くなったそうです」(所属事務所)
必殺やはぐれ刑事のシリーズものだけでなく、テレビや映画で大活躍だった俳優の藤田まことが2010年2月7日午前7時過ぎに大動脈からの出血のため、大阪市内の病院で亡くなった。
「2010年1月のCS放送の時代劇専門チャンネルで、久しぶりに元気な姿を見せていたんですが・・・」(スポーツ紙記者) 

2008年5月には、食道ガンで8時間にも及ぶ大手術。
術後も肺炎を起こし、さらに総拘束の兆候もみられ、数ヶ月の寝たきり生活を経験した。
ドラマ「JIN-仁-」の出演も決まっていたが、降板していた。
その後は、リハビリで驚異の回復を見せていた。
藤田の復帰へのモチベーションであると同時に、病気と同じぐらい彼を苦しめ続けたのが借金だった。
「奥さんがレストラン経営などの事業に次々と失敗。一時は闇金融や暴力団関係者の紹介で受けた融資が問題化したこともあったんです。負債は30億円以上に膨れあがったともいわれています」(スポーツ紙記者) 

「2009年9月には大阪地裁で滞っていた3億円の支払いが命じられました」(スポーツ紙記者)
しかし、もともとは「てなもんや三度笠」出演時の藤田さんの高級クラブ通いから始まったという借金生活。
自著でも関西のプレイボーイは俺で最後やと書いてたほどで、
「若いこと、女遊びや仕事ばかりで家庭を顧みず苦労かけたからと、何があっても奥さんを責めず、自分の稼いだお金も最後まで奥さんに渡していました」(芸能プロ関係者)

これまでも幾度となく、藤田は妻をかばってきた。
奥さんが自己破産すれば解決するのでは?という問いに対しては、
「そうすると、妻の人権が制限されるのでかわいそう。それまで家のことは妻が守ってくれていたので、今度は私が守る番と、債権者に逃げずに全部返しますといい、コツコツと返しました。狭いマンションに引っ越し、精神的にも身軽になると、支えてくれる人たちが増えて仕事も順調になりましたね」
恩義を大事にする藤田まことの精神がよく分かるエピソードです。

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娘が語った藤田まことの闘病生活と家族

藤田まことは2010年に他界しました。代表作はドラマ・必殺仕事人が有名でした。順調に人生を歩んでいましたが、還暦になってから環境が激変・・・妻の借金で家を失い、食道がんになったりと波乱万丈。父の死から2年たった2012年、気持ちの整理ができた娘さんが父について告白をしています。

早いもので、父・藤田まことの3回忌を迎えました。
私には父の死そのものがいまだに実感できません。
大阪では、今でも父が出演したドラマが再放送されてますし、生前、父は仕事で1~2ヶ月家を留守にすることも多かったですからね。
なんとなく帰ってくるんじゃないかなぁって思ってるんです。
こう語るのは藤田まことの長女・原田敦子さん。
株式会社藤田まこと企画の代表取締役を務める彼女は32歳の時に、ハワイ在住の日系三世のゴルフのインストラクターと結婚。
13歳の女児の母でもある。 

父は、授業参観に来てくれたけど、「藤田まことだ」と大騒ぎになって、いつも校長室に避難することに・・・。
ですから、父は一度も授業を見たことがなかったんです(笑)。
父は私と妹にはとても優しかったです。
弟にはかわいそうなくらい厳しかったです。
弟は父と同じ芸能界を目指そうと思ったようですが、父は聞く耳をもたなくて。
長男である弟には、一般人として堅実な人生を歩んでほしいと願ったんでしょうね。
挨拶や言葉遣いなど厳しく教えていました。
ですから、弟は父が亡くなるまで敬語を使ってました。
弟は現在、不動産関係の仕事をしてます。 

1973年、必殺仕置人に出演し、俳優としてブレイクした。
その一方で、レストラン業など夫人が手掛けていた事業がバブル崩壊を境に不調に陥り、30億円ともいわれていた負債を背負うことになった。
母が負債を背負った時、父は「任せた俺にも責任がある」と言い切って、母を責めることは一切無かったです。
中には、母に自己破産を勧めた方もいました。
でも父は「破産をすれば家内の人権が著しく制限されてしまう。それでは家内がかわいそうだ」と言って・・・。
当時、父は60歳でしたが「俺がみんなを守るから心配するな。俺についてこい」と言ってくれました。 

ほとんど休みも無く働き、藤田は見事に負債を全額返済をした。
その反動からか、2008年4月に検査の結果、食道がんがみつかる。
出演していた舞台を降板することになる。
手術は無事に成功をしましたが、術後ICUに運ばれたました。
2008年5月25日に手術をし、ICUには同年7月20日までおりましたけど、ICUにいた2ヶ月間は、ほとんど食べ物を口にすることができず点滴だけでした。
その後、父の強い要望で一般病棟に移りましたが24時間寝たきりの状態でした。
その後、筋力が落ちて歩けなくなりましたが、リハビリを頑張り手術から5ヶ月後の08年10月に必殺仕事人で仕事復帰を果たしました。 

しかし2009年11月、慢性閉塞性肺疾患のため、出演を予定していたドラマ・JIN-仁-を降板、2010年3月撮影予定の必殺仕事人2010での復帰を目指して療養生活をしてたが、2010年2月16日に倒れ、17日に帰らぬ人となった。
父が自宅で倒れた日は、私と妹で父の大好きなカキフライやお刺身のサラダを作って、父と母、私と主人と娘、妹の6人でご飯を食べてました。
食後、しばらく世間話をして、その直後に父が倒れました。
倒れた日もベッドの上で、お話をいただいた必殺の準備稿を読み込んでいる父の姿がありました。
亡くなる直前まで俳優でした。
私は父を尊敬し誇りに思ってますと語ってみえます。

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