内村航平が嫁姑バトルに挟まれる!母は結婚に猛反対していた
体操選手の内村航平は、元体操選手の両親が体操教室を営んでいたことから3歳から体操をスタート。2008年北京五輪個人総合銀メダル、2012年ロンドン五輪では個人総合金メダルを獲得。2012年11月に同じ日体大体操部だった上谷千穂と結婚。2013年4月に長女が誕生しています。
内村航平が母の反対を押し切り結婚
大学時代に知り合った現在の嫁・上谷千穂と1年の交際を経て結婚をした内村航平。祝福されていると思いきや、母は猛反対したそうです。まだ若いし結婚は早いということだったようですが、母が子離れできていないための反対だったようです。
「航平がリオを目指すなら死ぬまで応援したいと思います」
ロンドン五輪体操個人総合で息子が見事に金メダルを獲得した時にこう語っていた内村航平の母・周子さん。
だが、良好だった親子関係が息子の結婚によりギクシャクしていた。
2012年11月11日、大学時代に知り合った1学年下の上谷千穂と1年の交際を経てゴールイン。
同年10月中旬には、埼玉県内にある練習場から近い3LDKのファミリータイプのマンションで新生活をスタートさせていた。
しかし、周子さんはその結婚を快く思っていないとの声が・・・。
学生時代、体操の選手だった周子さんは、同じく体操選手だった夫・和久さんと結婚して夫婦で体操教室を開設。
そんな家庭に生まれた内村は自然な形で体操を始める。
内村は実力をつけていき、より高いレベルでの環境を求めて、高校入学とともに上京を決意するが、周子さんは猛反対。
「成功するとは限らないし、挫折した時に近くにいて守ってあげたい」という母心から反対をしていたそうだ。
結局、内村の熱意に負け東京に送り出した。
内村は見事に成功し世界選手権で3連覇するなど体操界の頂点に立った。
しかし、この頃になると母子の距離は離れていく。
内村はインタビューで母を、「うざい」「最も嫌いなタイプ」と公言するようになる。
この時の心境を周子さんは週刊誌に明かしている。
「もうショックで泣きましたよ。せっかく育てたのに、どうしてって・・・」
そして、周子さんは距離を置くことで修復させた。
母子の絆は回復したが、しかし息子の突然の結婚には戸惑いを隠せなかったそうだ。
「周子さんは、航平、航平と溺愛している母ですから、自分の手元を離れて息子が他の女性と一緒になるのがいやだったみたいです。まだ早すぎる!と猛反対したそうですが、父が説得し渋々認めたそうです」(内村家知人)
母の反対を押し切った結婚はどういう結果になるのだろうか?
リオでも金メダルをとれるだろうか?
結婚した後輩女性は4年間交際していた内村の元彼女から略奪
突然の結婚をしたロンドン五輪金メダリスト・内村航平。
その理由は一つ年下の後輩女性との間に子供が出来たためでした。
内村の母が結婚に納得していないのは、親が子離れできていないためとも報じられましたが、でき婚が原因だったようです。
さらに、内村には4年も交際していた同じ年の体操選手の彼女がいたそうです・・・。
2012年11月11日に突然入籍をした内村航平と1学年年下の嫁・上谷千穂さん。
しかし、ふたりの結婚には多くの関係者から疑問の声があがっていたのだ。
なぜなら、内村は上谷千穂さんとは別に、交際4年といわれた岡部紗季子さんの存在があったからだ。
岡部紗季子さんも4歳から体操を始めた超エリート選手で、ジュニア時代には輝かしい成績を残している。
内村とは同い年で所属していた体操クラブが一緒だった。
大学は別々になったようだが、体操関係者の間では公認のカップルだった。
「北京五輪の前から付き合っていたんですが、内村選手が北京五輪で銀メダルを獲って人気選手になってからは、人目を忍んで交際を続けていました」(体操関係者)
そんなふたりだが、2011年夏くらいから距離を置くようになったという。
「ロンドン五輪で金メダルを目指す内村選手にとって、何よりも優先するべきことは体操でした。しかし、彼女の方は2年前に大学を卒業してからは体操の代位線から身を引いたみたいで・・・。ふたりの間に微妙な食い違いが生まれていったそうです。それでも岡部紗季子さんはロンドン五輪が終わるまでと距離を置くことを決めたそうです」(岡部紗季子さんの知人)
恋人との時間も絶ち、体操に打ち込むはずだった内村の前に現れたのが現在の嫁・上谷千穂さんだった。
上谷千穂さんも名の知れた体操選手だ。
「千葉県出身の上谷千穂さんは、体操留学のため高校は他県の名門校に進学しています。大学は内村さんと同じ日体大で、レギュラーとして活躍し、全国大会で3位になったこともあるんです。また一つ下の学年には内村選手の妹の春日さんもいて、ふたりは結構仲良しです」(日体大関係者)
上谷千穂さんは学年幹事を務めるしっかりものの一面もあったが、体操部では珍しいギャルっぽい派手な美女だったとのこと。
そして上谷千穂さんは内村に憧れていた。
内村が岡部紗季子さんと距離を置いたことを知ってから上谷千穂さんが猛アプローチをかけたようだ。
「内村さんはすでに卒業してコナミに所属していました。学校で会うことは難しかったんです。そこで上谷千穂さんはコナミの友人にお願いして、内村さんとの飲み会をセッティングしてもらったそうです」(日体大関係者)
そして上谷千穂さんのアプローチに陥落した内村は2011年10月頃から交際をスタートさせたのだ。
内村は岡部紗季子さんと上谷千穂さんとの間で揺れ動く気持ちを抱いたままロンドン五輪本番を迎える。
金メダル確実といわれていたが、予選では鉄棒あん馬で落馬するなど信じられないミスが続いた。
もしかするとこのミスも女性問題が原因だったかも知れない。
「実は極度のプレッシャーを感じていた内村は、高校時代から良き相談相手でもある元カノ岡部紗季子さんに相談をしたそうです。しかし、それが上谷千穂さんにばれて、五輪期間中に大喧嘩をしたそうです。それで私達の間では、あの落下は上谷千穂さんとの喧嘩が原因だったなんていわれるようになったんです」(体操関係者)
岡部紗季子さんは内村がロンドン五輪後に自分の元に戻ってくれると信じていたようで、
「岡部紗季子さんは、内村選手はいつか必ず自分の元へ戻ってきてくれると信じていたみたいなので、この急展開の結婚にショックを受けているそうです」(体操関係者)
でき婚をしたふたりですが、でき婚は上谷千穂さんが計算をして仕組んだことだったのかも知れませんね。
内村航平の母と妻・上谷千穂が早くも姑バトル勃発
長年付き合った彼女と別れ?距離をあけている時に、現れた同じ体操部の大学の後輩・上谷千穂さんとでき婚をした内村航平。
でき婚をしたので、結婚を認めざるを得ませんでしたが、息子に溺愛をしていた母は、内村航平が若いこともあり結婚には猛反対していたようですね。
そして、上谷千穂さんと内村の母の間では、早くも嫁姑バトルが勃発しているという。
でき婚は離婚の確率が高いことで有名ですが、このままいけば、嫁姑問題が原因で離婚ってことも・・・。
前代未聞の世界体操・個人総合4連覇を達成した内村航平。
ベルギーまで応援に駆けつけた母・周子さんは、花束を手渡されると、「子を持つ親の気持ちがわかってきたのかな。私に対して優しくなった」と照れくさそうに笑っていた。
周子さんは、北京五輪の時から、おさげ髪に日の丸の髪飾りをつけて、息子の応援に声をからす名物母として知られている。
学生時代、体操の選手だった周子さんは、同じく体操選手だった和久さんと結婚して、夫婦で体操教室を開設し、息子を見事に金メダルまで育て上げた。
しかし、2012年11月に、大学の後輩だった上谷千穂さんとでき婚したことで、母子の間に溝が生じ始めた。
「周子さんは、徹平、徹平!と溺愛していましたから、自分の元を離れて息子が他の女性と一緒になるのが嫌だったのでしょう。まだ早すぎると結婚に猛反対していたんです」(内村家知人)
反対を押し切り結婚した内村。
周子さんのやり場のない怒りの矛先は、今度は上谷さんに向かった。
「今も内村選手の試合に周子さんも来ます。そこでコメントを貰うんですけど、結婚して強くなりましたか?と質問をすると、結婚とか関係なく、前から強かったですから!と決して奥さんの存在は認めません」(スポーツ紙記者)
2013年9月中旬、三重県で行われた全日本社会人体操競技選手権では、こんな一幕もあった。
上谷さんは、2013年4月に生まれた長女を連れて来場。
周子さんも来ていました。
「上谷さんは体操の試合会場にも似つかわしくない露出度の高いギャルっぽい服装とピンヒールでした。そんな上谷さんを避けるかのように周子さんは少し距離をあけて応援をしていました。ほとんど会話もせず、終了後も別々に帰っていきました」(同上)
この時の周子さんの心底を内村家の知人が話す。
「上谷さんも元体操選手ですから、試合会場がどういう場所かわかっているはず。それなのにあんな服装できたことに腹が立ったようです。とにかく航平くんを取られたという思いが強いから、奥さんのやること全てが気にくわないようです」
嫁と母の仲は、かなり険悪みたいですね。しかし、小さな子供を連れてピンヒールを履いているのも、あれれって感じはしますね。