北島三郎の紅白歌合戦卒業の理由と妻・雅子さんへの感謝
演歌歌手の北島三郎は北海道生まれ。1954年に歌手を夢見て上京。1960年に作曲家の船村徹氏の門下生に。1962年6月に「ブンガチャ節」でデビュー。「函館の女」「まつり」「与作」「風雪ながれ旅」などヒット曲多数。「NHK紅白歌合戦」に史上最多の50回出場。また、競馬が好きで1963年から所有した競走馬は計170頭。2015年10月の第76回菊花賞にてキタサンブラックが優勝し、北島に初めてGI競走勝利の栄誉をもたらしています。
NHK紅白歌合戦史上最多の50回出場
演歌といえば北島三郎といっても過言ではないほど、演歌界に貢献をしてきました。サブちゃんの愛称で国民から愛され、昔はCMなどでもよくみかけたりしました。そんな北島三郎が紅白歌合戦を2013年で引退することを発表。これまで紅白は50回も出場し、連続出場は23回は歴代トップ!年齢的なものもあったのかも知れませんが、実は別の理由があったそうです。そして、今まで表舞台にほどんどでることがなかった妻・雅子さんへの感謝も語っています。
最後のNHK紅白から1ヶ月経ちましたが、ひとつの区切りといいますか、ひとつの線を引いて、また心新たに、これからも歌の道を歩いていきたいという気持ちには変わりないです。
実は、デビュー50周年を迎えた2011年に紅白を卒業しようかと考えたことがあったんですが、その年に3月11日東日本大震災が起きてしまったんで・・・。
そこで、今は自分の50周年をどうかいってる場合じゃない。
被災した方たちに少しでも元気を出してもらえるような歌を歌わなければいけないと考えるようになりました。
北島三郎は紅白は2011年に卒業を考えていたそうですが、震災があったので延期して、2013年に決めたそうです。
2013年に決めた理由というのが、「今年、紅白に選んでもらうと出場50回になる。ひとつの線を引くにはいい機会だなと。そう思った背景には、時代の流れとともに、歌を聴かせる紅白から、ショーアップして見せる紅白に変わってきている。こうした流れを維持して、日本の紅白ではなく、世界の紅白になってほしいというのが私の願望です」
紅白に出場して50回ですが、いろんな思い出がありました。
中には亡くなった方もいます。
そうなした中で、一番印象深いのは、やはり美空ひばりさん。
彼女はまさに、プロ中のプロで、多くのことを学ばしてもらいました。
ひばりさんのすごさ、偉大さを身をもって実感したのは、私が白組のトリの時、私が出て行こうとすると、横からひばりさんが、「サブ、頑張って!」と思いがけない声援に内心戸惑って、「なんだよ、これから歌おうとしているのに・・・」と思ったけど、なりふりかまわずに全力で歌いました。
そのあと、ひばりさんがぱーっと歌ったんですけど、それを聴いたら、私を含めてそれまで歌っていた40組ほどの歌手の歌がどこかへと吹っ飛んでいってしまった。
悔しいけど、ひばりさんはそれぐらいすごい歌手でした。
ひばりさんは、若手や新人を自分の楽屋に呼んで褒める。
「あなた、歌上手ね」って。
でも言われた方は、ひばりさんの歌を聴くと、とてもこの人にはかなわないと思ってしまうんです。
そんな彼女を見てから、プロとしての意識を感じるようになりました。
結婚するならこの娘しかいない
そんな北島三郎の歌手人生を裏で支えていたのは妻・雅子さんだった。
雅子さんは、北島が上京後に住んでいたアパートの大家の娘で、恋仲になり、1959年11月に結婚をする。
以来、2014年で結婚生活55年を迎えた。
嫁さんと恋仲になった当時は、まだ音楽学校に通いながら、渋谷の飲み屋街でギターを抱えて流しをしていました。
生活は不安定というより、いつも金欠で、着るものも1着ぐらいしかなかった。
そんなある日、嫁さんに、「もし俺たちが結婚したとして、俺が歌手としてうまくいかなかったら」と言うと、即座に「大丈夫!2~3年は私が食べさせたあげるから」と言われたんです。
当時の私にとって、この言葉はまさに百人力で、「結婚するならこの娘しかいない」と思いました。
それから50年になりますが、歌ひと筋の私に代わって家庭を守り、5人の子供を横道にそれることなく、りっぱに育ててくれた。
さらに、私をずっと支えてきてくれました。
「デビューした当時は、しょっちゅうテープを投げに来てくれてね。私が歌ってるとサブちゃん!と言ってテープを投げてくる。あれ?どっかで聞いた声だなと思ったら嫁さんで(笑)。夫婦でテープを引きながら歌ってる時代もありました。私は原穣二のペンネームで作曲や作詞をしていますが、新しい曲ができると、真っ先に嫁さんに聴かせています」
だから、自作の「妻よ」「夫婦一生」「ふたり咲き」・・・こうした歌に「ありがとう」という嫁さんへの感謝を託しています。
夫婦のこれからは、お互いに残された時間はあまり長くないので、これからも仲睦まじくやっていきたいと思います。
最後に演歌についての今後を心配されていました。
歌は世につれですから、演歌が存続していくためには、新しい楽器を取り入れるとか、時代にマッチしたスタイルを確率していく必要があるし、歌い側も意識を変えていく必要があると思います。