鈴木明子は摂食障害を乗り越えた苦悩人!両親の支えが
元フィギュアスケート選手の鈴木明子は6歳からスケートを始め、2001年のジュニアGPファイナルで優勝。2003年には摂食障害に苦しんだが、2007年ユニバーシアード冬季大会の金メダルで復活。2008年のNHK杯で2位となりGPシリーズ初の表彰台に。2010年のバンクーバーオリンピック8位。2011年のGPファイナルで銀、2012年の世界選手権で銅。2013年の全日本選手権優勝。2014年のソチオリンピックでも8位入賞を果たしています。
摂食障害で体重が16キロも減った過去
フィギュアスケート女子は、浅田真央、荒川静香、安藤美姫、村主章枝、中野友加里、村上佳菜子などが目立っていましたが、鈴木明子も、ライバルとして見事な成績を収めてきました。そんな鈴木明子の父が話すスケート人生とは。
「親バカと言われるかもしれませんが、娘の演技を見て、正直最高でした!」(父・和則さん)
2013年12月の全日本選手権で初優勝し、念願のソチ五輪代表の出場を決めた鈴木明子。その演技を見た父は喜んでいた。
嬉しいのは、娘の苦労と努力をしっている父なら当たり前だろう。
鈴木明子は、13回目の出場で初めて全日本選手権で優勝をしたのだ。
鈴木のスケート人生は浮き沈みのあった22年だった。
スケート人生で最大の試練は、摂食障害に苦しんだことだろう。
2003年、東北福祉大学に進学した鈴木は、初めて親元を離れ仙台で一人暮らしをスタートさせる。
しかし、完璧にこなす性格が災いし、精神的に追い詰められ摂食障害に陥ってしまう。
48キロあった体重は、3ヶ月で32キロまで激減した。
父・和則さんはその時の娘についてこう話している。
「もう別人でした。激やせというんでしょうか。頬もこけてしまって・・・。かわいそうで声もかけれなかったです」
実家に戻った鈴木を母親は付きっきりで看病した。
和則さんは改めてあの苦悩の日々を語る。
「あの病気になると、みんな表に出たがらないそうです。年頃の女の子があれだけ激やせしてしまったら、そう思うのもわかります。でも娘はフィギュアをやっていたからこそ、どうしてもまたみんなの前で滑りたいという強い気持ちがあったのだと思います。もし、フィギュアをやっていなければ病気に負けていたかも知れません」
両親の支えで摂食障害を乗り越えた鈴木は着実に力をつけていった。
その集大成が全日本選手権での初優勝だった。
7つのジャンプを全て成功させ、スピンやステップでも最高難度のレベル4を獲得し完璧な演技だった。
鈴木は母親から、こんなことを言われているのも強さの秘訣だという。
「残りのスケート人生を、私のために滑って」と言われたことが心の支えになっているそうだ。
そして、鈴木は2013年~2014年シーズンで引退を表明していた。
そんな鈴木に父は、「ソチ五輪では、いつもどおり、気をつけていっておいでだけです。頑張れとか他の言葉をかけることはありません。五輪ではチャレンジしてほしいです。メダルとか関係なく。私はそれだけで十分です」
ソチ五輪で引退を発表していたのが、高橋大輔、浅田真央(2015年競技復帰)、安藤美姫(ソチ五輪出場できず、全日本選手権で引退)。
そして、引退を表明した鈴木明子。
これまで、日本のフィギュア界で中心だった人ばかりが、一気に引退をすることになりますね。
2014年2月のソチオリンピックにではSPでミスが出て8位、フリーでは転倒し8位となり総合では8位入賞。前回バンクーバー五輪の8位に続いて、冬季五輪2大会連続入賞を果たしました。
同年3月の世界選手権出場を最後に競技生活からの現役引退。現在はプロスケーターとして、スケート関連のテレビやラジオ番組出演等を主に活動しています。