たむらけんじは焼肉店を経営!嫁と離婚し子供の親権を失う
「たむけん」の愛称で知られるお笑いタレント・たむらけんじ、本名・田村憲司は1992年に漫才コンビ「LaLaLa」でデビュー。1999年に解散し、ピン芸人に。副業で焼き肉店「炭火焼肉たむら」を経営し、チェーン展開している。
たむらけんじは35年ローンで購入した家に1度も入れず嫁と離婚
芸能人より焼肉事業で大成功をしているたむけん。35年ローンで購入したマイホームには一度も入ったことがないそうです。たむけんは妻子とは別居し、嫁に家を取られてしまった。さらに、たむけんは芸能界引退を考え、政治家になろうとしたこともあったと告白しています。
「ここ10年間、芸人としていっさいネタを作ってないんですよ」
そう告白したのは2012年、芸能生活20周年を迎えたたむらけんじ。
2012年1月には政界進出が報じられた。
この転身については次のように語る。
「いま初めていいますけど、実は芸人を辞める気だったんです。2011年3月の大震災が起きたとき、何かやらなきゃと強く思った。でも結局何もできなかった。芸人としての無力を感じ、どうすればいいかと悩んでいた時期もありました。その時、政治家になればいいんとちゃうかと思って、それで橋下市長に会うことにしたんです」
橋下市長は次のように言ったという。
「2011年11月の大阪W選挙の前に橋下市長に、政治家をやってみたいんですといいました。そしたら、気持ちはわかるけど、政治って凄く地味な仕事ですよ。華やかな世界だと思っていたらギャップが凄い。だから、一度、市議会議員などを経てみたほうがいいんじゃないですか?と言われたんです。そこで冷静になれて気持ちだけでは無理だと悟りました。もしあの時、ゴーサインが出ていたら選挙に出ていたかもしれませんね。今は芸人が面白いので政界進出は考えていません」
たむけんといえば、焼肉。
自身の経営している焼肉店は大変だったという。
2011年4月に発生したユッケ集団食中毒以降、ユッケやレバ刺しなどの生食基準が強化されたことで大打撃を受けたそうだ。
「2011年、焼肉業界は大変でした。震災に、生食規制、セシウム牛などマイナスニュースばかりでした。ピーク時は年商6億円ありましたが、2011年は5店舗で年商が3億2000万ほどまで減少しました。でもそのおかげで通販事業は好調でした。炭火焼肉たむらのお肉が入ったカレーは100万個以上うれました。」
私生活では、離婚騒動も報じられた。
夫人や長男、長女、二女とは別居生活を送っていたという。
「離婚報道はホンマですよ!ただ、あまり進展していないです。弁護士に入ってもらいお互いの意見を聞いてもらってます。離婚の原因が僕がちょっと嫌気が差してしまったというか、糸が切れてしまって家に帰らなくなったんです。嫁の顔を見ると喧嘩になるし、子供にそんな姿を見せるのがいやで・・・。女性の家に転がり込んだことも報じられました。確かにお姉ちゃんと遊ぶことはありましたけど、ずっと一緒にいたわけじゃないし、それよりも前、2009年頃から別居しています」
さらにたむけんは続ける。
「僕は家を35年ローンで買ったんです。その家に嫁と子供は生活しています。僕は一度も入ったことがありません。離婚の条件で家を建ててくれと言われたので・・・。だから今はローンだけ僕が払っている状態です」
子供には会わせてもらっているそうです。
運動会や参観日などに参加とのこと。
その後、2013年7月に別居中だった妻と離婚が成立。たむけんと妻の間には3人の子供がいますが、親権は妻になるそうです。35年ローンを組んで購入した家は、妻との離婚の条件だったようです。
売れてない時に世話になって譲り受けた嫁の親からの焼肉屋を巻き上げて。
売れてない時に素人の嫁さんが一緒に出てくれたから一ヶ月一万円生活に出演出来て。
ネタがないこいつの為に小学生の息子が一緒に関西ローカルのテレビ、そして全国テレビにも出てくれて。
で、売れました。はい!不倫!家には帰りません。お店も渡しませんって。
コイツほんとにすっごいな。怖っ。
嫁さんも子供達も縁切れてむしろ良かったと思うよ。
関西の鬼女を敵に回した以上もう関西では無理、東京でも当然もう無理。
自業自得で今迄の行いも本人に返ってくるんだから、巻き込まれる前に縁切れてほんとに良かったね。