元横綱・朝青龍は優勝25回も事件で引退!妻と復縁し子供は
大相撲・元横綱の朝青龍はモンゴル・ウランバートル出身。1997年に高知・明徳義塾高に相撲留学しその後、高砂部屋に入門。1999年初場所で初土俵。2001年の初場所で新入幕。2002年の秋場所に大関昇進。2003年の初場所後に第68代横綱に昇進。2005年には年6場所完全制覇に7連覇。2010年2月に引退しています。
引退後はモンゴルの大統領への野望
2008年9月場所の3日目、雅山に負けた後、朝青龍は師匠の高砂親方にどうしても調子が出ませんと珍しく弱音をはいていたという。
その後、真夜中に知人に電話して、今までありがとう、俺は引退するよともらしたという話です(相撲担当記者)
大相撲9月場所で10日目から途中休場し、一部でも引退がささやかれていた朝青龍。
表向きは強気の姿勢を見せているが、その胸中にはさまざまな思いがるようだ。
「横綱が一度、公に引退を口にしたら、土俵に立ち続けることはできません。電話を受けた人たちは、翌朝、懸命に説得して引退を思いとどまらせたそうです」(相撲担当記者)
朝青龍の両親、兄妹たちも横綱の引退には反対のようだった。
「横綱は休場中の2008年9月27日に誕生日を迎えました。モンゴルから来日していた彼の母親と妹が、朝青龍の好きなモンゴル料理を作って誕生日を祝い、再起を促したそうです」(朝青龍の知人)
朝青龍は引退後の具体的なライフプランがあるという人もいる。
「朝青龍は、モンゴル大統領のエンフバル氏(2009年6月退任)の選挙応援をするなど親しい関係にあります。引退後、彼は大統領の導きで政界に進出し、将来はモンゴルの大統領になる野望を持っているようです。彼は日本の政治家で好きな人として石原慎太郎知事の名前をあげ、モンゴルの英雄チンギス・ハーンは永遠のヒーローだと語っています。帰郷するたびに開発が進み自然が破壊されている様子を見てなんとかしなければと口にすることが多くなりました」(朝青龍の知人)
モンゴルの大統領は45歳以上、まだ先の早い話と思いきや、朝青龍の政界進出の先駆けるかのように、兄・スミヤバザル氏が2008年10月の首都ウランバートルの地方選挙に出馬していた。
横綱としてさらに実績を積みながら、モンゴルの政局の行方を慎重に見定めたほうが現実的だという。
2008年10月3日、朝青龍は大相撲八百長疑惑裁判に証人出演。
八百長質問には、全否定を繰り返し、相撲への熱い思いを語った横綱だったが、気に入らない質問には「あなたは相撲をとったことがありますか。いつも真剣勝負です!」と声をあらげたり弁護士に「あんた誰ですか?」と怒りをあらわにして質問をさえぎる場面もあった。
朝青龍は将来はモンゴルの大統領になることが野望みたいです。
休場後に優勝した要因は娘の力だった
引退危機とまで報じられていた朝青龍が奇跡の2009年1月優勝をはたした。3場所連続で休場中で腕の怪我も完治していない状態。そんな中で優勝をした力の源はモンゴルから来日をしていた娘だったという。
幾度も引退説が報じられた彼に2009年1月場所、何があったのだろうか?
「体が重く、動きも持ち前の鋭さがなくなっていたことを本人も自覚し、大好きなお酒とお肉を控え、食事は出来るだけ野菜中心に変え、初日を迎えた時はベストに近い体重と体調に戻ってました。私らは安心していましたよ」
と後援会関係者は語るが、実はそれ以上の理由があると朝青龍の知人は語る。
「2008年末の九州・沖縄巡業が終わることに、朝青龍はモンゴルから3歳の長男を呼び寄せたんです。稽古に専念した後は、長男に会い気分転換ができる。長男と一緒にいる時間が多くなることで、結果的に夜遊びも少なくなりました。横綱の体調管理に長男が一役買ったというわけです。」
その後、2008年の12月29日、朝青龍は長男と共にモンゴルへ帰国。
そして年が変わり、初場所が始まる頃には、今度は5歳の長女が来日。
朝青龍のマンションへ滞在した。
モンゴルの国内では当時、朝青龍の離婚問題が何度も報じられていた。
長女の親権はタルミ夫人が持つ、という話まで出ていたのだが。
「年明けのモンゴル紙で朝青龍が新年祝賀の席で復縁を申し出たという記事がでたそうです。それもあってか、タルミ夫人は幼稚園を休ませてでも、朝青龍が望むよう、長女を日本に行かせるのを承諾したようです」(知人)
名目は長女の治療ということになっているようだ。
その娘の見ている前で父親としてぶざまな負け方をしたくない強い気持ちが表に出て、今回の快進撃に繋がったようだ。
朝青龍にしてみればまさに娘は勝利の女神だったに違いなかった。
妻のタルミ夫人とは2002年12月に7年間の交際の末に結婚。子供は長女、長男の2人をもうける。2009年4月に離婚を発表するも実際には離婚しておらず2010年には復縁。そして、2010年初場所中に泥酔暴行騒動を起こし、責任を取って同年2月4日に引退。優勝25回。通算669勝173敗76休。横綱在位は42場所。
朝青龍また暴行事件を起こしていた
2010年に一般人に暴行したことが原因で相撲を引退に追いやられた朝青龍。事件は示談成立済みでモンゴルに帰って大統領になる宣言もしてましたが、当時日本で生活してたそうです。事件は、また酒の席で起ってしまったようです。
朝青龍が、2011年11月下旬、福岡市内で20代女性に殴る蹴るの暴行をし全治2週間の怪我を負わせていたことがわかった。
関係者の話では、知人のホームパーティーに参加し、酔いも手伝ってか、女性とトラブルになり、手をあげてしまったという。
被害者女性は朝青龍に謝罪を求めたが、誠意のない対応に激怒。
警察へ被害届の提出を検討しているようだ。
2010年2月に東京・西麻布で起こした暴行事件の責任を取り相撲を引退。
その後は、モンゴルで実業家として事業を行っていた。
朝青龍の知人X氏はこう話す。
「実は2011年11月に福岡で女性に蹴る殴るの暴行を加え、いまもその女性が被害届を出すか出さないか揉めているんです。あまり大ごとにならなければいいんですが・・・」
「パーティーには男女14人くらい参加していたんですが、酔っぱらった朝青龍がちょっとしたイザコザから、居合わせていた20代女性を殴ったり蹴ったりしてしまったんです。翌日になっても女性は痛みが取れなかったので病院に行き、全治2週間と診断されたそうです」(X氏)
本人は軽いつもりでやったようだが、元横綱だ。
「事件の翌日以降、被害者女性は謝罪を求めて何度も朝青龍に電話をしたんですが、加害者意識のない朝青龍は取り合いませんでした。女性は誠意のない対応に診断書を持って警察に被害届を提出しようとしたほど。結局、周囲の説得もあり現段階ではまだ出していません」(X氏)
女性が被害届けを出せば、問題になったかもしれませんが、引退後もやりたい放題のようです。