有森裕子は旦那・ガブリエルと離婚でもう結婚はこりごり

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元女子マラソン選手の有森裕子は、1992年バルセロナ五輪女子マラソンで銀メダルを獲得。1996年アトランタ五輪では銅メダルを獲得。1997年に語学留学でボルダーに滞在中に知り合ったガブリエルと1998年結婚しましたが、2011年に離婚しています。

有森裕子

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有森裕子の民主党出馬に反対した父

民主党は、次の総選挙で著名人を擁立すべく、候補者探しを行っていた。
中でも、最大のターゲットが、元女子マラソン選手の有森裕子さんだった。
しかし、父親が首を縦に振らないという。その「政治活動歴」をひもとけば、なるほど納得。

一部スポーツ紙が、有森さんの出馬話をしたのは2008年9月中旬。
小沢代表が「目玉候補を擁立せよ」と号令をかけ、有森さんの名が浮上。
近々、正式に出馬要請をするというのだ。
有森さんと言えば、バルセロナ五輪で銀、アトランタ五輪では銅メダルを獲得した御仁である。
「彼女は知的なイメージがあるし、厭味な感じもしません。他の選挙区にも波及効果が見込める候補者になるでしょう」(政治評論家)

しかし、「有森さんには2007年の参院選でも声をかけました。あの時は、本人はやる気があったが、父親の茂夫さんら両親に反対され、出馬話が流れたのです」と打ち明けるのは、ある民主党関係者。
「元々、茂夫さんは共産党の支持者です。他の政党から出馬するのが嫌なのでしょう。今回は、菅直人代表代行が彼女を担当しています。父親はまた反対しているそうですから、交渉が難航することは必至でしょう」
茂夫さんは、裕子さんの故郷・岡山県で教員として1958年から1995年まで公立高校に勤務。
その後、私立高校に移り、4年前まで非常勤講師として働いた。

岡山市の共産党市議によれば、
「茂夫さんは、かつて岡山県の教職員組合の幹部をされていたこともあり、古くからの共産党員ですよ。7~8年くらい前までは、よく会合でもお会いしました」
ここ数年は、子育てに悩む保護者の相談にのる運動にかかわっていたという。
「人柄は、非常に誠実。立派な人ですよ。でも、私の選挙運動を手伝ってもらったことはないし、最近は党にも協力していないようです」(同)

茂夫さんの自宅近くに住む老人はこう証言する。
「まだ裕子ちゃんが小さかった頃、近所の集会所で共産党議員の演説会があるというので、先生に誘われ、参加したことがあります。先生から頼まれ、共産党議員の署名集めに協力したこともあるよ」
茂夫さんは、憲法改正に反対する『岡山県九条の会』の呼びかけ人でもある。
「以前、お会いした際は、護憲の大切さを切々と話しておられました。
ただ、ほかの県の九条の会でも娘さんに講演をお願いしたところ、健さんから、特定の会で活動しているというイメージを一般の人に持たれたくないと断られたそうです」
娘に政治色が付くことを気にしていたようである。
「今回、娘が出馬の要請をされたとは聞いていません」

茂夫さんに代わって、母親が語る。
「2007年夏も民主党の岡山県連の方がこちらに来て、娘の出馬について打診を受けました。
私達は、娘が政治の世界に入るのは反対。今のあの子には、ボランティア活動が一番大事です。
本人にもその気がないことは確信しています」
と断言し、こう続ける。
「今の政治はおかしいと娘に伝えたことはあります。でも、選挙に出るな、と言ったことはありません。それは本人の自由ですから。夫は高教組の活動の一環で、共産党に党費を払っていました。しかし、現在は党員ではありません」
強い信念がおありのうようで。民主党にとっては、やはり手強いご両親である。
2008年10月4日に有森裕子さんの父・茂夫さんは亡くなっています。

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有森裕子が離婚をしていた!原因は何

ゲイ(詳しくは男性も女性とも恋愛OKなバイセクシャル)だったことを結婚直前に告白した、夫・ガブリエル。結婚当初から、ふたりの結婚は上手くいなかないと予想する人が多かったですが、ふたりの結婚生活は破綻したようです。離婚の原因は何だったのでしょうか?

2012年6月16日、東京有楽町で劇場版・ライバル伝説・光と影が公開された。
有森裕子とかつてはバルセロナ五輪の出場枠をかけて争ったライバル松野明美と20年ぶりに再会した。
「再会を避けていたのは、自分でもどこかで逃げているのかなと感じたこともあります。もうお互いに話ができるのかなと思いました」
彼女の心境の変化には何があったのだろうか?

「全く公表されてませんが、有森さんはアメリカ人の夫・ガブリエルさんとしばらく話し合いを続けた結果、離婚になりました」
2008年10月4日、有森の父・茂夫さんが亡くなった時には、ガブリエルは葬儀に出席している。
しかし、一周忌、三周忌には彼の姿はなかったようだ。
「法要の日程は有森さんのスケジュールにあわせて決めたようです。彼はアメリカに滞在しているので来るのは大変だろうと思っていました。ただ、彼は茂夫さん亡き後、何度か実家を訪ねていたそうです」(知人)

茂夫さんが亡くなる前後のインタビューでは、
「闘病中、ガブは本当によく母をサポートしてくれました。私が仕事で実家に行けない時は、ひとりで岡山に行って母を助けてくれました。また父が亡くなってからは岡山にひとりでいる母を心配してアメリカから電話をしてくれます」と2009年5月のインタビューで告白している。
3年前は夫婦関係もガブさんと母の関係も良好だったのに、何があったのか?

母に話しを聞こうと岡山にある実家を訪れた。
何と対応したのは有森本人だった。
ガブリエルさんのことで聞きたいと訪ねると、有森の表情がこわばった。
「お話できませんので」
そして、窓は閉められ聞くことはできなかった・・・。

有森の著書であるわたし革命ではこのように綴られているとこもあった。
「彼には弱さも暗さもある。弱さのひとつの現れが金銭感覚。私としてはその弱さに直接触れることで彼を傷つけることが怖かった。彼の弱さも暗さも育ってきた家庭環境の中のもの。だから表だった弱さにも触れることで、ずっと奥にある影を呼び起こしてしまうことが怖かった。ガブリエルに惹かれたのは、彼の暗さに渡しの暗さが反応したからだ」

「お父さんが亡くなって、彼女は今後の人生を冷静に考えたのかも知れませんね。ガブリエルさんとの結婚は、両親が大反対したことで、意地で押し切った面もある。父の死を契機にお互い無理をしない生き方を選んだのでは?」(ふたりの知人)
結婚当初から、ガブリエルの方は、無職でヒモ報道もされていました。
結婚後も、金銭感覚は変わらなかったようですね。

有森裕子

有森裕子が元夫・ガブリエルのゲイ告白にずっと苦しんでいた

1998年に両親の反対を押し切って強引にガブリエルと結婚をした有森裕子。しかし、2011年に離婚をしました。離婚の原因もよくわかりませんでしたが、人に言えない苦悩を抱えていたようです。

2012年6月、米国人の夫・ガブリエルさんと前年に離婚していたことを発表した有森裕子。
1998年にカレがカミングアウトした「アイ・ワズ・ゲイ」は流行語にもなった。
以来、12年、結婚が続いていたことの方が意外な印象だ。

「離婚後、彼女はそれをバネにするかのように、NPO法人を立ち上げ、走ることの意義を教えたり、ハツラツと活動をしています。母校の日本体育大学で、若い頃からの夢である教員にもなりました」(芸能レポーター)

現在も全国のマラソン大会で走っている。
驚くのはそのギャラだという。
「1本100万程度とマラソン界では最高ランクですよ。スケジュールは、半年前には埋まっています」(マラソン関係者)

仕事は順調のようで、プライベートでは、岡山の実家に暮らす母を心配し、年に数回帰郷したりしている。
「彼女は、結婚はもうこりごり・・・と周囲に漏らしています。 恋人はほしいけど、結婚はね・・・と消極的ですよ。よほど前の夫との結婚生活に懲りたんでしょう」(芸能レポーター)

ゲイ告白した旦那とはどんな生活をしていたのかは、知られていませんよね。
ふたりの間には子供もいないことから、あまり上手くいっていなかったのでしょうか?

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