淡路恵子の最期を長男・島英津夫が語る!4人の息子にドラクエ好き
女優の淡路恵子は1949年に「野良犬」で映画デビュー。1957年に映画「女体は哀しく」「下町」でブルーリボン賞助演女優賞。1966年に俳優の萬屋錦之介と結婚して引退。1987年に離婚し女優に復帰。同年に映画「男はつらいよ 知床慕情」、1989年に「男はつらいよ 寅次郎心の旅路」に出演。2014年1月に食道がんのため80歳で死去されています。
自ら死期を悟り亡くなっても悲しまないで!天国で家族に会えるから
2014年1月11日に食道がんのため亡くなった淡路恵子さん。長男で俳優の島英津夫が当時波乱万丈の母の人生を語っています。
母子の最後の対面は、亡くなる当日。病院から連絡を受けてかけつけた島さん。
「病院から知らせを受けたのは午前5時頃でした。もうほとんど脈が取れない状態で・・・。その日は午後から私が座長となっての舞台がありましたが、朝7時から2時間半ほど母と一緒にいられました。やがて時間が来たので、俺は今から舞台なので、守ってくれよとはなしかけたんです。2013年11月から始まったモルヒネ投与で、いくら話しかけても反応しなかった母があ~、う~といって口を動かしてくれたんです」
そして、午後4時過ぎに息を引き取った。
体調を崩した母を、島が病院につれて行ったのは2013年6月の頃だったという。
「検査から2日ほどたって、母の家に行き、どう?と聞いたら、そんなことよりも、お芝居のお稽古を頑張りなさいと言われました。その後、僕に内緒で入院したんです。僕への気遣いだったんでしょうね」
そしてある日、病院から、「ご長男のあなたに、お話ししたいことがあります」と緊急電話が僕の携帯に入りました。
急いでかけつけると、先生に、「あと1週間遅ければ亡くなっていたかも知れないほど、お母さんの体にはがんが広がっていますと告げられました。もっても半年の2013年12月ぐらいまでだろうと・・・。実際にレントゲンを見せてもらいましたが、素人でもわかるほど、母のお腹にがんがたくさん転移していました」
つらい闘病生活で、淡路さんが喜んだことがあったそうだ。
「母に頼まれて新しい携帯電話を買ったんです。母はスマホがいいといったんだけど、もうスマホをいじる力もなくなっていて、結局、ガラゲーを買いました。2013年10月ぐらいまでは、よく電話を掛けてきて話しをしていました」
しかし、がんの進行が進み、モルヒネ投与の量が増えると、連絡はパッタリと無くなったそうだ。
強い母が弱っていく姿を見るのは本当に悲しかった。
しかし、淡路さんは最後まで弱音を吐かなかったそうです。
「女優として復帰したい」という執念を見せていたという。
「うわごとのように何回も、もう1回、私は映画に出たいと漏らしていて・・・。やがて、余命が短いことを悟と淡路さんはこう言った。(私に何があっても悲しまないでね。お母さんはきっと楽になって、天国でお父さんや三男と四男に再会が叶うんだから)」
淡路さんは、1954年にフィリピン人歌手ビンボー・ダナオ氏と事実婚をし、長男の島と次男をもうけたが、1965年に関係を解消。1966年に萬屋錦之介と再婚し、21年連れ添った末に離婚した。
その夫との間に授かった2人の息子、三男・晃廣(バイク事故で死去)と四男・哲史(自宅マンションで自ら命を断つ)がいる。
そんな亡くなった家族をいつも想い続けてきたそうだ。
錦之介さんは、1982年に経営していたプロダクションが破綻し、借金苦のさなか重度の筋無力症に倒れた。
そして、淡路さんが必死に働きながら借金の返済をし、看病をする日々が続く。
そして、父が退院の日を迎える。
「退院の日、母は親父が好きだった鮭のハラスを焼いたりしてお祝いの準備をしていました。いざ家に親父が帰ってくると、母は親父の匂いを嗅いで、よかった~おかえり!と本当に嬉しそうにしていました」
しかし、奇跡の退院をした夫・錦之介さんに浮気が発覚。
しかも相手は淡路さんの後輩・甲にしきだった。
「母は私がこれだけやったにもかかわらず、元気になった途端に女に手を出すなんて許さない!といって離婚を決意したそうです。それは怒って当然だと思います」
これが原因で離婚をしたそうです。
淡路さんは、私生活では、生半可なドラクエ好きだったそうです。
徹夜で朝までやっていたそうです。
ファイナルファンタジーはキャラの声がでるのが嫌いだったそうです。
なんでこんな下手な声優が、私の夢を壊すのという理由だそうです。
「今思えば、ドラクエをやり出したのは、父と離婚した時ですね。ドラクエでストレスを発散してたのかもしません」
亡くなった三男の娘が当時25歳になり、自分も男ばかりじゃなく、娘を一人ほしかったそうです。
一緒にショッピングなどに行くことが夢だったそうです。
お墓は数十年前に、鎌倉にある萬屋錦之介さんと同じ霊園に買っていたそうです。
ここに離婚した夫と一緒に入り、弟の墓もこちらに移し、家族仲良くこの霊園で再開できるようです。