藤圭子と娘の宇多田ヒカルは夫の照實氏と確執!前夫は前川清
元演歌歌手の藤圭子は1969年に「新宿の女」でデビュー。1970年に「圭子の夢は夜ひらく」がヒット。1971年に歌手の前川清と結婚も1972年に離婚。1979年に引退を表明して渡米。1982年に音楽プロデューサーの宇多田照実と再婚。1983年に宇多田ヒカルを出産。1986年に宇多田照実と離婚したものの、1カ月たたないうちに再婚するなど、離婚、再婚を6、7回繰り返した。2013年8月にマンションから転落し亡くなっています。
藤圭子が亡くなった真相とは!ギャンブルで毎年1億円も使っていた
2013年8月22日の朝7時に新宿にある高層マンションより飛び降り命を断ってしまった藤圭子。宇多田ヒカルの母としても有名です。藤圭子は若い頃は歌手をしており、お金にも苦労することなく過ごしてきました。新宿のマンションでは、数年前から30代の男性と同居生活をしていたようです。幸せのはずが一体なぜ、自ら命を断つことになったのでしょうか?
藤圭子は、娘・宇多田ヒカルが大ブレーク後に収入が激増した。
それに伴い高級ホテルのスイーツルームを渡り歩いたかと思えば、ボストンバッグに大金を詰め込んで米国に行き、現金約42万ドル(当時のレートで5000万円弱)を差し押さえられたことでも話題になった。
ある音楽関係者が、「元来、頭の回転が早く天才肌だった」と振り返る。
浮世離れしているところはあったかというが、転機は宇多田ヒカルの大ブレークだった。
1998年12月のデビューシングル・Automaticがいきなりミリオンを達成。
その後、ファーストアルバム・First Loveは、日本の音楽史上最高の850万枚を売り上げた。
これで父・宇多田照實氏や母・藤さんに数十億円以上のお金が転がり込んだとも噂されていた。
大金を得たのには間違いないようだ。
「そこからですよ、暮らしぶりが派手になったのは」(藤を知る人物)
藤さんは、第2の故郷、米国と日本を往復する生活で、国内滞在時は都内の高級ホテルを定宿としていました。
ホテル業界に詳しい人物によると、「6年ほど前までは港区のホテル、一泊数十万円もするスイートルームに住んでいました。ここには宇多田さんも別の部屋を借りて、創作活動をしていました」
ただ、そこで目撃された藤は異様なものだったという。
「キレイとは言い難いラフな格好というんですかね。スイートルームに宿泊する人とはとても思えない服装でロビーを徘徊していました」(目撃者)
さらに金使いの荒さも目撃されていた。
「ラスベガスで、一晩で数千万円すったなんてザラですよ。カジノや麻雀や競馬など賭け事なら何でもOKで、年間1億円は負けていると言われていました。それでも本人は節約する気はなかったとか」(音楽関係者)
かなりのギャンブラーだったようだ。
2006年3月に42万ドルをニューヨークの空港で没収された時のことを振り返り、「この5年間は、ほとんど日本には帰らず世界を旅行していた」とした上で、「飛行機はファーストクラス。各国最高のホテルに泊まった。5年間で5億円は使ったわ」と話していた。
こんなこともあったそうだ。
芸能界復帰についてある週刊誌に書かれた時、当時の藤さん本人は記事を書いた記者をキャバレーに呼び出して、「深夜まで、延々と芸能界の悪口を言い続けたこともあったそうです。彼女は芸能界に対する怨念は相当深い」(事情通)
自ら命を断った原因は業界関係者もびっくりするほど、心当たりがないそうです。藤圭子は、男性依存が強いかったようですね。実は同じ男性も含め、結婚と離婚を7回も・・・。
宇多田ヒカルが父との確執があるため母の葬儀にかけつけなかった
2013年8月、遺体が安置されている都内の葬儀場には宇多田の姿はなかった。3日過ぎても一向に姿を見せない宇多田。母との確執が囁かれていたが、実は宇多田は父・宇多田照實との確執があったという。
東京・目黒区の碑文谷会館には50人ほどの報道陣がかけつけた。
しかし、藤が亡くなってから3日か経過しても、宇多田の姿は無かった。
仮に海外にいたとしても3日もあれば帰ってこれる。
「レコード会社も頭を抱えていますよ。照實氏と連絡を取り合っているけど、宇多田本人とは連絡がつけていませんからね。本当に居場所を知らないのでしょう」(レコード会社関係者)
本来なら母の元に駆けつけるのが普通なのだが・・・。
ある音楽関係者が話す。
「宇多田さんは照實さんと会いたくないのかもしれません。これまで2人は何度も親子喧嘩を繰り返してきましたが、今でも確執がありますからね。実はその発端となったのが、2000年に起きた徳島事件です。これが決定的でした」
宇多田は全国ツアーを行った。
2013年8月1日の徳島公演で事件が起きたという。
「そこで公演が中止になってしまったんですよ。表向きは体調不良でしたが、本当は照實さんの女性関係が発覚して、宇多田と激しい喧嘩をしたんです。宇多田は控え室から出てこなくなった。本人を説得しましたがダメでした」(音楽関係者)
だが、違う県からもファンが来ていたので、完全中止にすると大ヒンシュクを買ってしまう。
そこで2013年8月29日に振り替え公演することで決着したのだった。
「宇多田は後に母とも過疎になりましたが、もともとお母さん子です。照實さんのことを今でも許していないのではないでしょうか。照實さんと母は何度も結婚と再婚を繰り返したので、母を追い詰めたのは父と思ってるのかも知れません」(同上)
宇多田は、母が嫌いではなく、父と会いたくないから葬儀場にも姿を見せてなかったそうです。
宇多田ヒカルが母へ絶縁状を叩きつけていた
宇多田ヒカルは、ブログで声明をだしましたが、母は昔から精神病を患っていたと書かれていました。母が亡くなてから3日してもかけつけなかったのは、父と会いたくなかったのが原因とも報じられました。しかし、実は母と絶縁状態だったそうです。
元夫・宇多田照實が乗った車でそのまま都内の斎場へと向かった。
しかし、宇多田ヒカルの姿はそこにはなかった。
藤さんが西新宿にある28階建てマンションの13階から飛び降りたのは2013年8月22日の午前7時頃。
そのマンションの一室には、30代後半の男性と同居していた(マネージャーといわれています)。
男性によれば寝室は別々で、死亡前夜も別の部屋で就寝していたという。
「警察が部屋を特定し、朝8時頃に訪ねたが、男性は寝ており、事情聴取では、昨夜一緒にいたのに・・・と動転した様子で、彼女の転落にも気づいていなかったようです」(捜査関係者)
部屋は74㎡の2LDKで男性が7年前に購入している。
「部屋の購入価格は6000万弱。彼がこの部屋を所有したと同時に、共同生活が始まったようです」(スポーツ紙記者)
藤さんが居候する形での同居だったようだ。
さらに、驚きなのが、男性は警察の調べに対して、「男女の関係はなかった」と答えている。
藤は18才の時に新宿の女で歌手デビューする。
翌年には、圭子の夢は夜ひらくが大ヒットし、紅白出場をする。
華やかな表舞台を踏み始めていた藤だが、プライベートでは起伏の激しい道のりが続いていた。
1971年に前川清と結婚をしたが1年で破綻。
声帯ポリープ手術を受ける不幸にも見舞われた。
1979年には突如、「スターの座を捨てても、第2の人生を歩みたい」と引退を表明し渡米した。
しかし、2年後には、藤圭子似として芸能界に復帰し、翌年、照實氏と再婚をする。
当初、子供は欲しくないと言っていた藤だが、1983年に宇多田ヒカルが生まれるとかわいがっていた。
1993年には、照實氏とU3MUSICを設立し、藤は役員になる。
はぐるまが大きく狂いだしたのは、宇多田ヒカルが歌手デビューをし、その名を音楽業界にとどろかせた後のこと。
宇多田ヒカルの大ヒットにより、莫大な収入を得ることになったのだ。
「鮮烈なデビューを飾った翌年には、藤さんの役員報酬は年間で5000万ほどになりました。幸運をもたらしてくれたヒカルさんとは、当初は仲むつまじい関係が続いていました。2000年には、ヒカルさんのツアーステージに藤さんが飛び入り参加し、圭子の夢は夜ひらくを披露するほどでした」(音楽関係者)
しかし、その幸せは長く続かなかった。
共演から1年後のこと・・・。
「6度の離婚、再婚を繰り返した藤さん夫婦ですが、このころ、藤さんは照實さんと娘のプロデュースをめぐって何度も揉めていました。夫婦としてはもう修復できない関係になっていました。ことあるごとに、ヒカルをここまで成長させたのは私よ!と言い出す母の姿を見て、母娘関係も険悪になっていきました。ヒカルさんは照實さんと行動を共にし、母を避けるようになったんです」(同上)
そんな互いを支え合う父娘の姿を見て、藤さんは疎外感から、さらにヒステリックになっていった。
「ヒカルさんと照實氏はギリギリまで我慢していましたが、それがつに限界に達したのが01年でした。ヒカルさんは藤さんに、もうこの場所にはいないで!と言い放ったのです。娘の突然の絶縁宣言に、藤さんは動揺したのでしょう。当時付き合いのあった関係者に、もうヒカルとは会わないと漏らしていました」(同上)
そして絶縁されてから、藤は5年にわたる海外放浪に旅立ったのだ。
当時、5億円という莫大な金額が話題になったが・・・。
「事務所の役員を務めていた藤さんには、ヒカルさんの活動を口に出さないかわりに、手切れ金が手渡されたようです」(同上)
2005年には、書類上でもU3から藤の名前は消えた。
母娘の決別の代償に手にした大金は、彼女を極度の人間不信にさせてしまう。
銀行さえ信用できなくなってしまった藤は、いつも多額の現金を持ち歩くようになった。
「当時の彼女は、しきりに孤独や寂しいという言葉を発し、誰かと話しをしたくてしょうがなかったという感じでした。人にものを頼む時も、ジュース1本買ってきて貰うのに、ボストンバックから札束を取り出し、これで買ってきて下さいと泣きながら訴えていました。明らかに変調をきたしていましたよ」(同上)
藤は、自らの体調不良をこう訴えていた。
「原因不明ですけど、この20年間、吐きまくりの人生です。だいたい1日に5~6回、週に3日は吐いています」
遺体はかなり痩せていたそうです。
孤独、ヒステリーから精神的に苦しみ、それが原因で体調不良を起こし苦しんでいたようです。
藤圭子の遺骨を巡り実兄と夫・宇多田照實との争い
2013年8月、藤圭子の遺骨を巡って、争いが起きていたそうです。兄はこちらの墓に入れたい、夫・宇多田照實は宇多田家の墓に入れたいと揉めていたという。さらに、藤圭子は、兄とも確執があった過去があったようです。
藤圭子をめぐる騒動は終わる気配がなかった。
藤さんの実兄で元歌手の・藤三郎氏が、警視庁新宿署で遺体との対面で断られ、藤さんの元夫・宇多田照實氏とも揉めていたようだ。
火葬後の遺骨を巡って騒動が起きていた。
当初、正を受けた阿部家(藤圭子の本名は、阿部純子)の墓に入ると思われていたが、死去した実母(旧姓竹山)と絶縁状態にあり、生前「阿部家の墓には入りたくない」と話をしていた。
そのため、遺骨は照實氏が新たに設ける「宇多田家」の墓に納骨されるというのだ。
藤さんの遺志が通るなら、それも仕方ないと思えるが、離婚した夫が設ける墓に入るとなると、実兄の三郎氏が猛反発するのも仕方ない。
関係者によると、「金銭問題を理由に藤さんと母親が長らく絶縁状態にあったのは事実だが、3年ほど前に藤さんが母の元を訪ね、雪解けしている。もともと一卵性親子と呼ばれるほど仲良しだった。照實氏と離婚している以上、三郎氏は、阿部家の墓に入れたいと考えているようだ」
しかし、照實氏は三郎氏と藤さんの対面を拒否するなど、意図的に遠ざけている節がある。
激怒した三郎氏は、週刊文春で、照實氏を絶弾した。
照實氏が自分の借金返済のために藤さんの家族に金銭を無心しておきながら、娘の宇多田ヒカルがブレークするや、宇多田利権を抱えこもうと藤さんを排除。
それが家族離散を招き、孤独になった藤さんの命を断った原因だと主張している。
舞台裏を知る関係者も、「照實氏は元来がセコイ人間。自分の金は最後に手をつけるタイプで、周囲からできるだけ金を引っ張ろうとしたそうです。ある会社社長も、都内の高級ホテルの家賃100万円を工面したが、それが当然という彼の態度に怒っていました」
三郎氏と照實氏は骨肉の争いとなっているが、キーマンは宇多田だ。
「照實氏としては藤さんの遺骨を宇多田家の墓に納骨することで、宇多田ヒカルさんとの繋がりを強化したい考えのようだ」(音楽関係者)
だが、宇多田ヒカルと照實氏の関係は決して良好ではない。
2010年に歌手活動を休止した背景には、「父親が金儲けのことしか考えておらず、それが原因で家族がめちゃくちゃになったと考えていた」ことがあるからだ。
宇多田はその後、ロンドンに8歳年上の恋人で日本画家の福田天人氏と移住。
これも照實氏との距離を置くためと考えられている。
天人氏とはこれからもロンドンで生活をし、ゆくゆくは結婚をし、日本に戻る気はないと。
照實氏は、金のことしか考えていないと三郎氏もその周囲も批判しているようです。
藤圭子さんを狂わせたのは、宇多田ヒカルがブレークし大金を得たことと報じられましたが、照實氏が原因なのでは・・・。
藤圭子の親族が話す宇多田照實の確執
藤圭子がなぜ、命を断ったのかは断定されていませんが、精神病を患っていたことが主な原因だと言われています。そして、遺言書も見つかったも報じられましたが、内容はまだわかりません。しかし、藤圭子は前々から叔母に死にたいことを打ち明けていたようです。
純ちゃんが命を断ったと聞いた時、驚きました。(藤圭子の本名=阿部純子)
同時にあぁ・・・と思う心当たりのようなものもありました。
純ちゃんは今のまま生きていくのが辛かったのでしょう。
無念の思いを語るのは、竹山幸子さんだ。
母・竹山澄子さん(故人)の母で、藤圭子さんにとっては叔母にあたる。
子供の頃から藤圭子を知る親族の1人であり、盲目だった母・澄子さんの晩年には、毎日のように電話で相談を受ける仲だった。
藤圭子が抱えていた絶望について叔母が初めて話す。
私は1人兄弟の末っ子で、すぐ上の姉である澄子とは本当に仲良しでした。
姉は圭子との一部始終を、必ず渡しのところに電話して聞いてきましたからね。
それが、宇多田照實さんと結婚してから、純ちゃんとは家族はばらばらになってしまいました。
今回も、家族や親族がお葬式もできない、純ちゃんと会うことすら出来ない・
照實とヒカルだけで足袋(たび)に付するなんて、不自然なことだし、納得いかないです。
純ちゃんが、なぜ宇多田を選んだのか、これも悲しいけど運命だったのかも知れません。
でも、前夫・前川清さんとずっと結婚生活を続けていたら、こういう形にはなっていなかったと思い、悔いてしまうことがあります。
前川さんは、本当にいい人でね、純ちゃんのことを好いていてくれたんです。お互いに若かったし、それほど深刻な理由じゃないけど離婚してしまって。純ちゃんと離婚する時も、前川さんは、待つと言ってくれたんです。実際に純ちゃんが宇多田さんと再婚するまで、前川さんは結婚をしませんでした。
(1982年に藤圭子はアメリカで知り合った照實と結婚)
結婚当初、純ちゃんと照實さん、姉が広尾のマンションで暮らしていた時期がありました。
家のクローゼットには、照實さんのブランド品がずらっと並んでいましたね。
純ちゃんは、男を立てる性格で、照實さんに全部つぎ込んでいました。
ですがら、自分じゃお金を全然もっていないんです。
2000円のものを買うのでも、照實さんに、買っていい?と聞く。
純ちゃんの稼ぎで、照實さんが贅沢をするという関係でしたね。
さらに、純ちゃんは、照實さんとニューヨークで暮らすためにマンションを売却して。
照實さんの父の借金2000万円を立て替えてあげて、どんどんお金が出るようになって・・・。
そんなことをしているうちに、経済的に苦しくなり純ちゃんは歌手の営業に出なければいけなくなった。
芸能界が嫌で引退をしたのに、また仕事をすることになったんですよ。
その頃、姉は綾瀬にマンションを買ってそこに住んでいました。
ところが照實さんが、「借金があるからマンションを売れ!その金は圭子の金だろ!」と迫るようになったんです。
姉は、毎日、照實さんの怒声を浴びていました。
姉は、「おっかない、このままでは殺される」とおびえていて、一生住むマンションを売却し、お金を照實さんに渡してしまった。
そして、姉は粗末なアパートに引っ越し、照實さんとの関係は、それっきり途絶えました。
純ちゃんは、歌手になって親孝行するのが夢と言って、広尾のマンションや世田谷のアパートを両親のために購入していましたが、照實さんと結婚してから、それらの財産はほとんど売り払われていました。
純ちゃんと姉の間も引き裂かれ、照實さんは純ちゃんに、「母親がおまえを毒殺しようとしている」「あいつは鬼だ」とか吹き込んで、精神的にマインドコントロールしていったんです。(省略)
西新宿のマンションに住んでいる男性についても、照實さんから、一緒に住むように指示されていた人だったそうです。
純ちゃんの体調はあまり良くなかった。
アパートで鮮血を吐いたんです。
あの子は1日にコンビニのおにぎり1個しか食べなくて・・・。
それで、私は純ちゃんに医者にみてもらい、体を治さないとと声をかけました。
姉も診てもらっている病院なら行くと言ってくれて、病院も近いという理由で、三田にマンションを買うことになったんです。
ところが、1週間、姉と暮らしていたけど、「もういい」って気が変わってしまい帰ってしまった。
この当時から精神的に不安定なところがあったようで、それっきり連絡が途絶えました。
ただ、姉が亡くなる前に純ちゃんと再会できたことは本当に良かったと思います。
生前、藤圭子は知人に「ヒカルちゃんが私を遠ざけているの」と漏らしていた。
純ちゃんは、ヒカルの電話番号を知らなかったそうです。
電話はたまにヒカルから非通知でかかってくるだけで、純ちゃんから連絡することはできなかったと嘆いていました。
体調も悪かったし、母親や家族と断絶して、娘とも連絡が取れなくなり、寂しさもあったのでしょう。
姉の前で純ちゃんは、こんなことを言っていました。
「1週間くらい寝そべりながら星を見てね。空を見ながら死にたいの」
それを聞いて、純ちゃんは長生きしないんじゃないかと思っていました。
いつ頃、この話をしたのかは書かれていませんでしたが、死にたいことを漏らしていたようです。
前の記事でも報じられていましたが、原因は精神不安定なこともありますが、健康問題と孤独が大きな原因だったかも知れません。