岩崎宏美と結婚した夫・今拓哉と父親との確執!妹・岩崎良美や子供は
歌手の岩崎宏美は高校1の時、日本テレビ「スター誕生!」の決戦大会で最優秀賞受賞。1975年4月に「二重唱(デュエット)」でデビュー。1982年の「聖母たちのララバイ」が大ヒット。妹は歌手の岩崎良美。1988年に商社マンと結婚。1989年に長男、1992年に次男の2人の子供をもうけるも1995年に離婚。2009年に俳優の今拓哉と結婚しています。
岩崎宏美が実の父に訴えられる
岩崎宏美は2009年4月、ミュージカル俳優の今拓哉と結婚しました。
そして2011年は妹の岩崎良美も結婚し、岩崎家は幸せ絶頂のはずなんですが、父だけは怒っていたという。
娘が結婚してしまって、あることがきっかけで、父との娘たちの不仲、争いが始まっていたという。
2009年4月に今拓哉と再婚した岩崎宏美に次いで2011年11月に大学病院の勤務医と結婚した妹・良美。岩崎家は2012年1月、大きなトラブルに直面していた。
「実は2010年9月にお父さんが娘である宏美さんたち家族を訴えて係争中だったんですよ」(岩崎家の知人)
父が原告となって起こしていた民事訴訟。
被告は父が作った宏美の元のマネジメント会社である「株式会社スリージー」。
宏美が代表取締役を務め、姉のA子さん、良美が取締役、そして母が監査役となっていた。
父は2003年まで代表取締役を務め、肉親ばかりで成り立っていたこの会社をなぜ訴えることになったのだろうか?
「お父さんの主な訴えは、2009年10月に会社の取締役を辞任させられたことを不当とするものです。これに対して、宏美さんの夫である今さんが間に入って猛反論していたんです。法廷では、今さんがこれまでのお父さんの横暴ぶりを告白するなど泥沼化しています」(岩崎家の知人)
スリージーの代表を務める宏美の夫として、今は陳述書の中で、宏美の父が愛人と25年にわたる不倫関係にあったと主張。
さらには、2009年11月に宏美が会社の事務所を父が所有するビルから移転しようとした際、怒った父が宏美の顔面を殴り顎にひびがはいる怪我を負わされたとしている。
かつては、父を中心とし仲良し一家だった岩崎家だが、このように泥沼になっていた。
デビュー当時から宏美のステージパパだった父だが、妹・良美には厳しかった。
「宏美さんに憧れて歌手になりたいと、良美さんは家族に申し出ましたが、お父さんが宏美の邪魔になると猛反対したんです」(音楽関係者)
そのことを知った宏美が父を説得し、歌手以外でならという条件付きで女優デビューをすることになった。
2年後には歌手としてデビューもしている。
ヒット曲を連発し、姉妹で歌手として成功をしていた岩崎家だが、父が経営する木材機械の会社は経営が悪化し1985年に倒産している。
マネジメント業に専念する予定だったが、良美は「タッチ」をリリースした同年に歌手業を休止。
一家の稼ぎ柱は宏美だけとなった。
そのためか?宏美が結婚しようとするたびに、父は「歌がうたえなくなるから」といって口を挟んできたという。
岩崎宏美はなぜ泥沼係争に
1988年に俳優の内田直哉と結婚目前も破局。しかし、30歳までに結婚を夢見ていた宏美は、1989年に商社マンである一般人と結婚。
最後まで反対していた父だったが結婚式には駆けつけた。しかし、結婚生活は長く続かず1995年に離婚した。
「宏美さんが結婚し、仕事が激減してしまったことで、スリージーはもう後がない情況だった。そこで、お父さんは宏美さんの旦那がドイツに転勤になった際に、黙って宏美さんの仕事を受けたんです。旦那さんは宏美さんと結婚したら仕事は控えると約束していたので激怒しました。しかし、宏美さんは家族のこともあったし、結婚前みたいに歌いたいという願望が強かったので、離婚して実家に戻り父についていくことを決めました」(音楽関係者)
旦那との間に生まれたふたりの子供の親権は前夫に持って行かれた。
宏美は父を選んで離婚をしたのだが、仲良し家族は崩壊してしまうのである。
「お父さんは、愛人関係にあった女性と結婚するため、2002年5月にお母さんと離婚したんです。お母さんは良美と一緒に家を出てしまったので、宏美さんは老いたお父さんのことを思って実家に残ることにしたんです」(岩崎家の知人)
2003年に再婚した父は、年齢的なこともあり、会社の代表を宏美に譲った。
会えなくなってしまった子供、両親の離婚、会社の経営、たくさんの苦悩を抱えていた宏美を支えていたのが2001年から交際をしていた今だった。
「今さんは宏美さんの相談に乗るだけではなく、当時闘病中だったお父さんの治療に付き添ったり、医師を紹介したりと献身的に看病をした。お父さんも今さんのことが気に入って2003年には一緒に暮らさないかと持ちかけたんです」(今の知人)
父は、今との結婚を宏美に勧めた。
しかし、そこには条件があった。
「お父さんは今さんに婿養子に入ってほしかったんです。岩崎家には娘しかいないからなんです。でも、今さんはこの条件には賛成しなかったんです」(今の知人)
今が婿養子を拒むと、父は一転して、結婚に反対するようになっていった。
さすがの宏美も、この時は今を選んだ。
2009年4月、宏美は実家を離れ、今と再婚することに。
そして、これを機に父と決別することになる。
「2009年12月に、有限会社スリージーから株式会社スリージーに社名を変えて、お父さんを会社の役員から外したんです。そして、今さんがマネジメント会社を作り、宏美さんをそっちに移籍させました。これまでスリージーから父に支払われていた金額や役員報酬や会社が入っていたビルの賃料など約80万円ほどが、会社の形態が変わり支払われなくなった」
冒頭の裁判で争われているのは、この際の父の役員辞任が正当なものだったのかどうか。
事前に承諾はなかったという父に対して、宏美側は承諾はあったと主張していた。
再婚をしてしまったことで、父と宏美との間に遺恨ができてしまったようです。
その後、2015年4月22日のテレビ番組で宏美は、2001年から難病のバセドー病、橋本病を患っていることを公表しています。