泉水ピン子の性格や橋田壽賀子との関係は!牧伸二との確執も

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女優の泉ピン子は1966年に牧伸二に師事して歌謡漫談家としてデビュー。1975年に日本テレビ「ウィークエンダー」のリポーターを経て女優に。1983年にNHK連続テレビ小説「おしん」、1990年からTBS系ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」シリーズ、1992年にNHK連続テレビ小説「おんなは度胸」、2013年のTBS系ドラマ「なるようになるさ」など、多くの橋田壽賀子の脚本ドラマに出演しています。

泉ピン子

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意地悪な性格が災いして仕事激減の危機

泉水ピン子といえば、性格の悪い女優としてもよく報じられたり、俳優や女優からもいじめられたなどと暴露されたこともあります。そんな性格が災いをもたらす?2012年に渡る世間は鬼ばかりが終了し、仕事数が激減することが予想されていたが。

1990年に放送が始まり、2011年9月9月に21年間に及ぶ歴史に幕を落としたドラマ・渡る世間は鬼ばかり。
泉ピン子はは、放送開始からフル出演をしていた。
国民的ドラマにまで成長した。
だが、番組終了と同時に渡鬼スタッフや共演者たちから、「ピン子さん、本当の鬼はあんただよ!」を告白する記事が報じられた。 

彼女を知る関係者
「その記事を見て、先日非常に怒った様子で周囲にまくしたててました。みんないろいろ好き勝手いってるけど、渡鬼では役に合わせて意地悪なイメージを作っていただけ!それに私は仕事を絶対に断らないの。テレビ局に使われていることをわかっているから。だから渡鬼が終わっても仕事が減るわけじゃないよ!」
自分に関するいびり報道を必死に否定していたという。

渡鬼が終わった後の仕事は順調のようで、
「ピン子さんの性格がきついのは間違いないですが、視聴率を取る個性派女優なのも事実です。これまで出演していた単発ドラマやミステリー系シリーズなどのレギュラー化も検討されているようです。それに加えて新作ドラマの撮影も始まったみたいですし」(テレビ局関係者)
その対策としてイメチェンをはじめていたようです。

泉ピン子

師匠・牧伸二の確執!師弟関係なのにお悔やみの言葉すらなし

2013年4月、牧伸二さんが自ら命を絶ちました。泉ピン子は若い時に、8年も付き人をしていたそうです。いってみれば師弟関係なのですが、しかし、ふたりの間には亡くなってもなお解消されない確執が。泉ピン子は、牧さんの付き人をしていて、かなり根にもっていることがあったようです。

芸歴56年、そんな大御所の突然すぎる訃報だった。牧伸二が多摩川に自ら身を投げて亡くなったのだ。通夜と告別式は家族葬の形で親族20人のみが参列した。

牧さんが会長を務めていた東京演芸協会で650万円の運営資金が行方不明になっており、会員から牧さんの責任を追及する超えが高まっていた。
この件が自ら命を絶った原因という報道もあった。

そんな牧さんの突然の訃報に、親交のあった著名人が次々と追悼コメントを出す中でひとりだけ沈黙を守る女性がいた。
かつての愛弟子、泉ピン子だった。
彼女にとって牧さんと過ごした日々は消し去りたい過去だったのだろうか?

芸能界に憧れて高校を中退し、三門マリ子の芸名で劇場の前座歌手として歌っていたピン子が、漫談歌手の道に入ったのは1966年の18歳の時だった。
牧さんが所属する事務所の社長に声をかけられたのがきっかけだった。
この時に、泉ピン子という芸名をつけられ、牧さんの付き人になった。

しかし、それはピン子にとって過酷すぎる日々の始まりだった。
「当時、牧さんはいわば神様のような存在で、誰も彼に逆らえませんでした。ピン子さんは雨の時も傘をさすことすら許されず、牧さんの荷物持ちをさせられていました。地方キャバレーの営業周りの時は、宿すら用意されませんでした。素泊まりはキャバレーの楽屋でした。ピン子さんはまだ20代で、キャバレー経営者が夜這いに来るので、震えながら寝ていたそうです」(芸能関係者)

キャバレーではピン子もステージに立ったが、客から「ブス引っ込め!」とヤジが飛び、テーブルの料理を投げられることは日常だった。
当時のピン子の給料は8000円で、家賃も8000円だったので、お金が足りない。
そのため、夜は飲食店の皿洗いのバイトとかをし、お金を稼いだ。
しかし、牧さんはそんなことは当たり前といって、ピン子を突き放した。

泉ピン子

こんな生活が8年も続いた頃、ピン子に転機が訪れた。
1975年に情報番組でリポーターに抜擢される。
一躍、人気者となり、ようやく牧さんの付き人から解放された。
その際、牧さんからこう言われたと告白している。
「実ほど頭をたれる稲穂かな、というように、売れても礼儀を忘れるんじゃない!」

ピン子は1983年に女優として、NHK連続小説ドラマ・おしんで大ブレイク。
脚本家・橋田さんに認められ、橋田ファミリーの一員として、その後、数多くの作品に出る。
一気に売れたことでピン子の金銭感覚は麻痺をする。

「ブランドにはまってしまい、全身シャネルと言われるほど買い漁るようになる。ブランド品を買うために事務所に借金するのは当たり前で、貸すのを渋ると、誰のおかげで事務所が食えてるんだ!と怒り出したそうです・・・」(芸能関係者)
それでも借金をすることはやめず、1999年には事務所からの総額借金は、3億9000万円を超えていると報じられた。

「さすがに事務所側も堪忍袋が切れた。それ以上、お金を貸すことを拒否し、肩代わりしていた自宅の公共料金の支払いもストップした。これに激怒したピン子は、師匠である牧さんに黙って、事務所を飛び出す形で独立したんです」(同上)
この時、ピン子は自分に一切非がないような言い方で、独立を正当化した。

この件で、牧さんとピン子の関係は修復不能になる。
さらにピン子は牧さんを激怒させることを言う。
「ピン子さんはインタビューで、自分にとっての恩師は杉村春子先生と言い、牧さんの名前どころか、漫談歌手時代の話すらでませんでした。これには牧さんは大きな失望を覚えたようで、彼女を恩知らずだと破門にしました」(牧さんの知人)
2002年に、牧さんが脳梗塞で倒れた時もお見舞いすらいってなかったという。
牧さんが亡くなった当時、何もコメントを出していなかったそうです。

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泉ピン子が脚本家・橋田先生のドラマに私を出さないのはおかしい

泉ピン子の出演作品で有名なのは、渡る世間は鬼ばかりですが2011年9月、放送が終わりました。渡る世間は鬼ばかりの脚本家は橋田壽賀子です。その橋田氏が2013年、連続ドラマ・なるようになるさで脚本を担当。なんと、そこへ当初は出演予定のなかった泉ピン子が、強引に出演させろと割り込んできたそうです。

橋田氏が16年ぶりに書き下ろした連続ドラマ・なるようになるさ。
出演は、舘ひろしと浅野温子など。
浅野が演じる主婦が長年の夢だった、自宅レストランを開店。
そこに集まったワケありの従業員・舘と浅野夫婦が本当の家族のように絆を築いていく心温まるストーリー。

初回は16.9%という高視聴率を記録し、TBSでは半沢直樹に続く視聴率をキープしている。
このドラマは泉ピン子が浅野の姉役で登場しているのだが、実はこんな経緯があったそうだ。
「当初、ピン子さんはキャスティングされていませんでした。それを知ったピン子さんがTBSに乗り込み、橋田先生のドラマなのに、私が出ないのはおかしいじゃない?とゴリ押しをして出演が決まったそうです」(TBS関係者)

橋田さんはピン子のことを私の娘のような存在と公言するほど、ふたりは強い信頼関係で結ばれている。
にもかかわらず、なぜキャスティングされていなかったのだろうか?
「橋田先生は、今までの私のものとは違う作品にしたいと言って、自ら主役の舘さんと浅野さんを口説き落として出演を依頼しました。ですから、渡る世間の色を消したいというのが橋田センセンの本音だったため、ピン子さんは外されたんです。正直、橋田先生も仕方ない・・・といった感じでピン子さんを加えたんですよ」(同上)

ピン子は、これまで、えなりかずき、桜井幸子、藤田萌子といった共演者に厳しく指導してきたことでも有名だが、今回は現場での様子が、これまでとはちょっと違うという。
「舘さんがリーダーとなってアドリブを入れたり、セリフもアイデアを出して変えたりと、現場でドラマを作りあげているんです。でも、渡る鬼スタイルでやってきたピン子さんは、それが気に入らないんです。ただ舘さんは橋田先生の肝入りで出演をお願いした人な上に、先生も舘さんがいい空気を作ってくれていると大絶賛しているため、ピン子さんも舘さんだけは口が出せない状況なんです」(TBS関係者)

そして、そんなピン子はストレスが溜まり、スタッフに当たりまくっているという。
「スタッフも渡る鬼とは違うメンバーが多くて、ピン子さんに気を使う人が少ないんです。ですから事あることに嫌味を言いまくって、スタッフを困らせているみたいです」また、泉ピン子の性格の悪そうなエピソードが。

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