華原朋美の昔の薬物依存に兄や母は!彼氏と破局に小室哲哉への未練も
歌手の華原朋美は高校2年の時にスカウトされ芸能界入り。1995年9月に小室哲哉プロデュースによる「keep yourself alive」で歌手デビュー。1995年の「I BELIEVE」、1996年の「I’m proud」とミリオンセラーを連発した。
華原朋美の不安定だった時を兄が告白
「小室さんのことで、朋美の不安定な部分がぶり返してしまったこともあったんです。やっぱり寝れなくなりましたよね。どうしようもないんですよ。24時間起きていたり、ひどい時は2日間起きていたこともありました。ただ、今回は家族でしっかりケアしましたし、もう以前のような大事にはならなくなってきました」
華原朋美の兄がはじめて週刊誌の取材に応じてくれたという。
2008年11月、小室哲哉逮捕で再び注目を集めた華原。
騒動の間、いっさい姿を現さず、自室前の廃品のドアがおかれていたことから籠城とも報じられたが、兄は苦笑しながら否定した。
「あのころ、ちょうど朋美の新しい住まいを探していたことだったんです。小室さんの件はタイミングが悪かったというか・・・。もう新しいマンションに移って一人で住んでいます。簡単な料理を作ったり、犬の散歩に出かけたり。」
「ご存じだと思いますが、彼女は眠れないということから睡眠薬を飲むようになり、精神的に辛くなったり、思いつめた時に大量に薬を飲んでしまうこともあるわけですね。今、それを一生懸命治している最中なんです。特に持病があるわけではありません。病院の診断では本人の気持ちの問題が一番大きいようです」
華原の奇行が報道されるようになったのは、1999年1月の自ら命を絶とうとした未遂からだった。1998年11月、小室から与えられた高級マンションの部屋から、家具一切が運び出されていた。何も知らされていない華原は、ガランとした部屋で呆然と立ちすくむしかなかったという。その2ヶ月後に未遂騒ぎを起こし、それから10年、彼女は休業と復帰を繰り返してきた。
その間には結婚を意識した恋人も何人か現れた。しかし、2007年春にある青年実業家と破局したころから、再び奇行が目立ち始めた。路上で号泣したり仕事もドタキャンが続く。
華原は今も懸命に戦っていた。
ガラス細工のように壊れやすく不安定な心と。
そんなとき、小室逮捕が伝わり、マスコミが大挙して押しかけたのだ。
「でも、ここ半年から1年くらいは落ちていています。睡眠剤はまったく飲んでいないんですよ。病院から処方された軽い安定剤を規則正しく飲んでいます。たしかに、一時は興奮状態になると、ものを投げたり、自分の体をつねってアザができてしまったりしていましたが、今はそこまでにはならないですよ。最近は本人が疲れるまで付き合ってます。とにかく睡眠剤は飲ませない。本人が疲れて寝るまでそのままにしておくんです。たとえばカラオケに行くと8時間とか彼女が死ぬほど歌って疲れるという感じですね」
眠れない華原に付き合う家族はさぞ大変だろう。
しかしお兄さんはこともなげに言い、ゆったりと笑っていた。
「お酒は、飲ませると興奮したりするかもしれないので飲ませていません。カラオケでは自分の歌はあまり歌わないですね。マライア・キャリーなどの洋楽や、いろんな歌を歌ってますよ。でも、小室さんが作詞作曲した歌が多いかな(笑)。自分が作ってもらった曲ではなくて、globeやtrfだったり。」
globeのボーカルは小室の妻・KEIKOだ。
その歌を聴く家族の心境まで痛々しく思える。
しかし、華原の兄は毅然として言った。
「今まで彼女は、芸能界という僕らがわからない世界にいて、そのなかで精神的にやられちゃって、今の状況にあるということですからね。お医者さんにも数年前から、家族が中心となってサポートしてあげなさいと言われています。小室さんの事件いついては何も言っていませんでしたよ。自分をトップにあげてくれたのは小室さんですから、感謝する気持ちは今でも忘れていません。でも、(逮捕は)すごく悲しかったとは言っていましたね。感謝してるからこそ悲しかったと。ただ逮捕が大打撃となって症状が悪化するほどではなかったんです。もう、そこまで小室さんが大きな存在ではなくなったと言いますか。小室さんの歌を歌うのも、いい意味で割り切れているからじゃないでしょうか。それでも感謝しているということだけは再三言ってますから。僕ら家族だって小室さんには感謝していますよ」
2008年春には華原自信が「年内には復帰したい」と言っていた。
「復帰の話は今のところまったくないですね。本当に症状や体調が落ち着いてからだと思いますよ。もちろん本人は、いまだに芸能界で仕事をしたいと言っていますよ。ただ健康面にも関わってくるので家族としてはあんまり復帰はしてほしくないんですけどね。一番願ってることは結婚です。もう34歳なんでね。結婚して子供を産んでくれれば落ち着くんじゃないかと家族では話しているんです。でも今は相手がいないんですけど・・・」
当時家族が華原朋美をサポートしていたという。本人は芸能界復帰を目指して頑張っていたけど、仕事のオファーは無かった。
華原朋美が薬物依存か?また警察のお世話に
仕事をドタキャンをして、もうこれ以上は面倒はみきれないと、所属する芸能事務所を解雇され、芸能界復帰を目指していた華原朋美だったが、当時病状は悪化してたという。
華原朋美が急性薬物中毒の疑いで搬送されたのは、2009年の1月17日のこと。
それから半年が経過し、またしてもやってしまった。
「2009年5月下旬、港区の路上で意味不明に騒いでいたそうです。目の焦点は合わず、足下はフラフラで・・・。そのうちに、あまりの危なっかしさを見かねて、誰かが110番通報。華原だとは気づかなかったようです」(芸能プロ関係者)
また警察にやっかいになってしまった華原。
これで人生7度目だという。
2007年6月、今回の場所と同じく、港区の路上に酩酊状態で倒れ、そのまま病院へと搬送される騒ぎが。
さらには、その1年後の2008年6月、東京・東中野での路上号泣騒動を本誌がキャッチ。
「彼女の奇行の原因は、精神安定剤や睡眠薬の乱用といわれています。お菓子を食べるように薬を飲み、さらにアルコールで流し込むこともあるそうだから」(芸能プロ関係者)
そんな薬の影響もあって、芸能界から姿を消すことに・・・。
「そうとう精神的に不安定な状態が続いているんです。仕事どころではない状況なようです」(スポーツ紙記者)
歌手としての再起が難しいほど、ぼろぼろになった華原が、恋人とおぼしき男性と手をつなぎながら公のイベントに姿を現したのは2008年7月。
そこで「年内には復帰したい」と宣言。
しかし、彼女は冒頭のように変わり果てていた。
「通報があって、麻布署に保護されたんです。華原のお母さんと、2008年イベントに来ていた恋人男性が、深夜1時過ぎに迎えにいったようです。そこから車で3分とかからない六本木の高級マンションに行ったんです。どうやら恋人の家のようです」(全国紙記者)
その恋人とは、実業家Aさん。
アラフォーのイケメンでヒルズ族といわれている。
「Aさんも華原につきっきりで、お母さんとふたりで、もう薬を飲んじゃいけないと常々いっていたんです。だけど、朋ちゃんはそれを振り切って薬を飲み、また酩酊状態になってしまったそうなんです」(華原の知人)
家族と恋人がバックアップをしても、更生計画が水の泡に・・・・。
「実は、お母さんとAさんは、もう手に負えないと感じているんです。本当は通院で治療していきたいんですけど、更生施設に入れた方がいいんじゃないかという話まで出ているようです」(華原の知人)
その事実を確かめるべく、食品会社の社長を務める母親を直撃。
だが記者が何を聞いても「すいませーん」と、言うだけで中へと入ってしまった。
「会社の上の階に住居があって、朋ちゃんは4月ぐらいまではいたんです。犬の散歩もしたりして、だけど最近、見かけなくなったんですよ」(近所の住民)
施設に入ることになったら芸能界復帰は・・・。
華原朋美が連日デートする男性と同棲
芸能界を引退しても奇行行動が話題になっていた華原朋美。2009年8月の誕生日には湘南でデートをした男性と連日のように半同棲生活をしていたという。
「いつも、土日に来ていますよ。大きなサングラスをしていても、やっぱりすぐに朋ちゃんってわかります。私が見たときは、恋人のような男性と腕を組んで、嬉しそうに歩いていました。」(海水浴客)
湘南の鎌倉に週末は連日のように訪れている華原朋美の姿があった。
「ふたりは、いつも決まって砂浜の波打ち際を歩くんですよ。人目につきにくいですからね。帽子をかぶっていることもありますよ。決めている海の家があるらしく、そこに出入りしています」(海の家関係者)
どうやら、恋人と言われている40代前半の実業家・A氏と、週末になると湘南でデートを楽しんでいるようだ。
どうやらジェットスキーを楽しんでいるようだ。
ジェットスキーが始まると朋ちゃんはヒートアップ!
身体を前後上下に揺らしながら、キャハハハハ~、ヒュウ~~などと絶叫し、辺りの海面にその奇声を激しくこだまさせる。
まるで海水浴客に見せびらかすかのようにジェットスキーを走らせる。
「ヨットやサーファーといつになく混み合った海を猛スピードで飛ばし始め、とても正気とは思えない雰囲気でしたよ」(居合わせたジェットスキー客)
そんな朋ちゃんと付き合っているA氏とは、どういう人物なのか?
「Aさんは、42から43歳の実業家で、都内で多くの飲食店をプロデュースし、都心の高級タワーマンションに住んでいます。華原さんとは5年前から交際をしていて半同棲状態だと聞きました。」(芸能事務所関係者)
半同棲ということは、ゆくゆくは結婚も考えているのだろうか。
そして、行きつけの海の家だが、「Aさんは海の家のオーナーでもあるんです。いつも体格のいい若いお付きの人を数人、従えていますね」(海の家のアルバイト)
つまり、この海の家、都内でオシャレな飲食店を多数経営するA氏が手掛ける店のひとつで、そこで朋ちゃんは、オーナー夫人のように扱われているのだという。
半同棲も発覚し、週末になると連日のデート。相手は超がつくほどの金持ち。
6年付き合っていた彼とDVが原因で別れていた
新宿でタクシーの中で倒れ、救急車に運ばれた時、睡眠薬を所持しており、過剰摂取の疑いがもたれておりましたが、本人はなぜか、はめらたと意味不明な弁解をしておりましたが、最近また情緒不安定なようです。
原因は6年付き合っていた彼との破局のようです。
男性依存の強い華原朋美なので、睡眠薬を多用しているかもしれない?
華原本人に真相を聞いていますが、芸能界復帰に必死なのでしょう・・・嘘をついているようです。
2010年8月29日未明にまたもや救急車で病院に搬送された。
お酒を飲んでいる様子はなく、睡眠薬を所持していた。
真相はどうなのか華原本人を直撃した。
「私は歌舞伎町にはここ7年から8年は行ってません。体もこんなに元気だし、ですのでとんでもない誤報ですよ」
と警察発表をなぜか完全否定。
そして自分がこれまでに薬に依存してきた理由は、2010年1月まで交際してきたAさんが原因だといいだしたのだ。
Aさんは40代の実業家で華原の両親とも親交があり、結婚秒読みともいわれた相手だ。
「彼とは6年付き合いました。2010年の1月に別れましたが、その理由はDVです。暴力は付き合いはじめて2~3ヶ月後にはじまりました。マンション24階のベランダの手するに片足を上げられ、俺のために死ねとか。口論になって殴られ尾骨を折ったり、右耳はほとんど聞こえない状態になりました」
えっ?と驚く証言。
Aさんに真相を聞くと、
「それって話すことなんですか?私は話すことも出来ないと思います。ごめんなさいね」との答えだった。
華原はそれでもAさんと付き合い、華原の言い分によれば、精神安定剤と睡眠薬がないといきられなくなったらしい。
だが今は芸能界復帰について頑張っているようだ。
「5.6.7月と警察病院で違法薬物検査と睡眠薬、安定剤、抗うつ病の検査を受けました。だから一切、薬には手を出していません」
最近では時給700円のペットショップでバイトをしたり、フィリピンまでいってボランティア活動などをしているようだが・・・。
矛盾点も多い。
警察の発表では睡眠薬を所持していたとあり、華原は一切薬には頼ってないといっていたという。
フィリピンで歌の練習!復帰は小室にプロデュースしてほしい
KEIKOが脳梗塞で倒れ、globeの復活は絶望的に・・・。このタイミングを計っての復帰宣言?をした華原朋美。まだ小室に対しての想いがあったようです。
「家族は華原さんの復帰への決心について聞かされた時、突然のことでかなり驚いたようです。彼女の精神状態は以前と比べて安定してますが、まさかこのタイミングでいいだすとは・・・」(芸能関係者)
2011年10月30日、兄のブログで突然復帰宣言をした華原朋美。
彼女は今後の復帰についてこう綴っていた。
「2011年内に日本に帰国して、ボイストレーニングやお芝居の稽古など、芸能界復帰に向けて頑張る事に決めました」
華原が所属事務所を解雇されたのは2007年6月だ。
奇行が目立ち、仕事をドタキャンしたり、救急車で搬送されたりしたことなどが解雇された理由だ。
実は、この直前、華原は6年交際していた男性との破局があったのだ。
この男性は加護ちゃんと現在同棲している男性だ。
復帰するとなれば4年ぶりになる。
復帰宣言は、KEIKOが倒れた1週間後のことだった。
「そもそも彼女が精神的に不安定になったのは、小室との破局です。それからずっと小室のことを引きずっていて、彼には今でも恩を感じています。私にとって彼は神様みたいな存在なんですと常にいってました」(芸能関係者)
当時、彼女はフィリピンにいたという。
「フィリピンの教会で毎日歌を歌っています。そういう宗教的な施設なら、その場所に寄り添ってるだけで、精神的なよりどころになります」(芸能リポーター)
過去にもマザーテレサがフィリピンでつくった孤児院でボランティア活動をしていた。
「今回の復帰は、教会で歌ってる時に突然ひらめいたようです。復帰といいだしたのはいきなりですからね。彼女は芸能活動をしていない時でも、ずっと小室さんの動向が気になっているようでしたね。以前、彼女と復帰について話をした時に、やっぱり小室さんにプロデュースしてほしい。できるならもう一度、小室さんと一緒に歌いたいと話していました」(彼女の知人)
精神状態も安定した華原朋美。でも復帰の受け入れ先はあるのでしょうか?
芸能界復帰宣言もまだまだ精神的に不安が
小室哲哉のことをまだ好きだったようで、KEIKOが脳梗塞で倒れた苦しい時に華原朋美はブログで復帰宣言をしました。その行為にネットでは配慮が足りない、非常識だと当時批難されました。華原としては、歌えなくなったKEIKOのかわりをするとでもいう気持ちだったのでしょうか?華原の母は芸能界復帰にはまだ早いと思っていたという。
2011年12月中旬、千葉県の大型スーパーマーケットを仲良く連れて歩く母娘が・・・。
娘は華原朋美だった。
華原は大きなマスクで顔がほとんど隠れるくらいで、体形は以前よりふっくらしている。
2011年10月末に兄のブログで復帰宣言した華原。
華原はフィリピンでの教会で毎日歌や祈りなどを捧げていたが、日本に帰国していたようだ。
華原の母は、1997年に健康食品会社を立ち上げ、毎日多忙だったが、いまは息子に会社を譲っている。
新社長は、スポーツ用品販売に力を入れ、業績も順調だ。
母娘をみかけた4日後に母を週刊誌が直撃。
「あまり今は、お話することができないんですよ・・・」
そう言いながらも、母は笑顔を絶やさなかった。
「芸能界復帰は、あの子は今、兄が彼女に代わってブログに書いてくれたままの気持ちでいます。親としては前向きになって元気を取り戻してくれただけで今は幸せです。まだ、これからどうなるかわからないので心配です」
華原の心の傷については、いまでも不安のようだ。
華原は復帰はぜひ小室にプロデュースしてもらいたいと言っていた。
しかし、KEIKOが手術をして退院したばかりだ。
「それは娘も、もちろん奥さんの1日も早い回復を願ってますよ。早く元気になられるといいですね。でも、これ以上はもう・・・」
そういうと深々と頭を下げてから去っていった母。
華原は復帰に向けて頑張っているようだが、まずはダイエットから頑張らないとだめ?
華原朋美が禁煙で体重激増のデブに
華原朋美が事務所を解雇されて約5年近く経とうとしてた。解雇の理由はは、仕事をドタキャンしたり、遅刻などを繰り返したためでした。この時からすでに精神状態は不安定になっており、解雇されてからも、薬が原因で何度か救急車で運ばれるなどの騒動を起こしていました。
なんとか芸能界復帰に向けて努力をしていますが、復帰の目処は立っていなかった。2011年、兄のブログで本格的に復帰に向けて始動をはじめたようなことが書かれてた。禁煙も復帰のための一環だったのでしょうか?禁煙をしたら、逆効果で体重が増えたそうです。
「実はたばこをやめたせいで8キロも太りました。禁煙してから食事がおいしくて」(華原朋美)
しばらく公の場から姿を消していたが、2011年10月に兄のブログで芸能界復帰を示唆した。
しかし、いまだに復帰はできていない・・・。
そんな彼女の近況を聞くために週刊誌が直撃。
2012年7月7日、午前8時過ぎ、自宅マンションから犬の散歩にでかける華原。
「最近ですか?念願だった運転免許をやっと取れて、行動範囲が広がりました。自分の車はまだですね。私働いてないし、無職の身なので・・・」
しかし、兄のブログによれば、兄が経営する建設会社が手掛けた介護付き有料老人ホームへ華原は頻繁に足を運んでいる。
どうやら、お年寄りと接することで心が和むとのことだ。
気になる芸能界復帰はどう考えているのだろうか?
「プロの先生2人についてもらって、ボイストレーニングをしているのですが、つい最近これまで知らなかった自分の声が出てきたのは大きな喜びでした。でも歌手として皆さんの前にでるにはまだまだ準備が必要です。いまは焦らす一歩一歩前進しているとこです。もうちょっと時間を下さい。お願いします」
華原は、喫煙をして太ったようですが、精神的には安定している状態のようです。芸能界への復帰は歌手として考えているようです。現在は見事に復帰した華原ですが、2012年当時復帰にはまだ時間がかかるようだった・・・。