ケンタロウはバイク事故から妻の看護で現在は奇跡の回復
料理研究家のケンタロウは大学在学中にイラストレーターを始め、雑誌や書籍、店舗のロゴマークなどを手掛ける。料理研究家としても活動し、「簡単でおいしく、しゃれっ気があって現実的」というテーマの家庭料理で人気に。2012年2月東京都新宿区の首都高速道路を大型オートバイで走行中、単独事故を起こし、頭と足を骨折する重傷を負った。母は2014年1月に死去した料理研究家の小林カツ代さん。
ケンタロウがバイク事故!両手足麻痺で寝たきり状態
2012年2月4日、首都高速道路をバイクで走行中に転倒し、約6メートル下へと落下する大事故に遭った料理研究家のケンタロウ。打ち所が悪かったようで、事故から半年経った2012年8月、入院中で頭と脊髄を強く打ったため、記憶障害や両手足麻痺で寝たきり状態だったという。
「ケンタロウさんは、テレビに出ていた頃とはすっかり変わってしまいました。いまだにベッドで寝たきりで10キロ以上も激やせしています」(知人)
事故から6ヶ月たった2012年8月、ケンタロウの回復状況などはどうなっていくのだろうか。
入院先の病院関係者はこう話す。
「入院時、彼は左大腿骨骨折、右足関節脱臼骨折、顔面骨折に加えて、脳挫傷、外傷くも膜下出血など、挙げればきりがないほどの大怪我でした。一命はとりとめましたが、事故に遭った際に脳神経のあちこちに重大なダメージを負っていたのです。人工呼吸器をつける日々が続きましたが、意識ははっきりとせず、術後は良好とは言えませんでした。水頭症といわれる脳の中に髄液がたまる合併症を引き起こし、再度手術も受けました。入退院を繰り返し、リハビリ専門の病院に転院されたようです」
そんな彼を支えているのは妻でライフスタイリストの大谷マキさん。
「マキさんは、今でも毎日欠かさず夫の元へ通っています。結婚3年目にして夫が闘病生活に入ったのですから、マキさんは心身ともに疲れが溜まっているはず。しかし、彼女は泣き言など言わずに毎日身の回りの世話をしているのです」(知人)
ケンタロウの状況は予想以上に厳しいと病院関係者は話す。
「ケンタロウさんは、両手足が麻痺していて、ベッドの上ではずっと赤ちゃんのような姿勢でいました。意識はありますが、高次脳機能障害といって、記憶できないこともあるようです。言葉も発するのがやっとの状態。感情表現もほとんどできず、たまに手を握ったりして反応を見せる態度でした。食事も鼻からチューブを通って取っていました。最後に病院を移ったのが7月ですから、いまも改善しているとは思えません」
神奈川県三浦郡葉山町にある、自ら改装したお気に入りの自宅でケンタロウとマキさんは暮らしていたが、夫の看病を考え、マキさんは都内にあるマンションへと生活拠点を移した。
「マキさんは夫に向かって毎日、今日はこんなことがあったよとか、トイレいきたい?などと積極的に話かけているようです。状況は厳しくてもそう話かけることで少しでも反応がよくなってほしいと祈っているそうです」
さらに困難は続く。
リハビリ専門病院の退院期限が2012年10月に迫っていた。
今暮らしている都内のマンションにはエレベーターが無く、歩行もできないケンタロウには、厳しい状況だ。
もし退院をして自宅でリハビリを続けるのであれば、電動車イスなども必要になり多額のお金が必要になりそうとのこと。
今後の回復の可能姓について、大阪にあるクリニックの先生は、
「ケンタロウさんは、高次脳機能障害、両手足の麻痺、寝たきりの状態で、その改善が半年たった今も見られない。脳神経というのは一度ダメージを負うと回復しませんから、今後についてはかなり厳しいと言わざるをえません」
日本で治療が困難な場合は、海外にも行く覚悟をしているそうです。
バイク事故で体重は激減20キロも激やせ
バイク事故から1年が経過した2013年2月、ケンタロウはどうなっていたのでしょうか。
「この1年間、ケンタロウさんはベッドで寝たきりの状態が続いたため、体重が20キロ以上も落ちるほど激やせをしてしまったそうです。そんな夫のために、妻のマキさんは言葉に表せないほど頑張ってきました」(ケンタロウ夫妻の知人)
バイク事故から1年、妻でフードスタイリスト・大谷マキさんは、夫への献身的な看護を続けていたという。
「マキさんは、都内の自宅マンションを引き払ったそうです。建物内にエレベーターがないため、ケンタロウさんが退院しても生活できないからです。一時は、彼の海外治療も考えたそうですが、最終的に病院の近くに引っ越すことになったようです。それだけに夫が元気に退院する日を信じているのでしょう」(同上)
ケンタロウはどんな状態なのだろうか?
前出の知人が話す。
「ほんの少しですが、体を動かすことができるようになったそうです!さらに人の手を借りてではありますが、口から流動食を食べられるまで回復したそうです。感情も徐々に出すことができるようになってきたみたいで、奥さんの話を聞いて笑うこともあるようです。この1年のリハビリの成果がでているのでしょう。奥さんも回復の兆しが見えたことで安堵と喜びをかみしめているようです」
一時は回復は絶病的といわれていたケンタロウだが、奇跡の回復に!
これも妻の献身的な介護のおかげだろう。
しかし、まだまだ退院というわけにはいかないようだ。
「医者からは退院についての話は、まだ聞いていないそうです。ケンタロウさんは、少し前のことも忘れてしまうこともあるようです。また、全身の筋肉もかなり落ちていて、体力面でもまだ・・・」(ケンタロウ夫妻の知人)
ケンタロウの母も2005年にくも膜下出血で倒れて以来、療養生活が続いているそうです。
こちらはケンタロウの姉が介護をしているそうです。
だから、ケンタロウを支えれるのは、妻・マキさんだけのようです。
言葉では表現できないほどの介護の苦労をしているようですが、ようやく少し回復の兆しが見えてきたようです。
ケンタロウ奇跡の回復をみせる
ケンタロウの事故当初から妻・大谷マキさんに看病をしています。愛情を注ぎ続けた看病の結果、1年経過した当たりから少しずつ体を動かすことができるようになり、口から流動食を食べられるまで回復したと報じられましたが、まだまだ体の自由が利かない大変な闘病生活をしていましたが、少しずつですが、確実に回復をしていっているようです。自分でご飯を食べることができるまで回復したそうです。
あの事故から1年2ヶ月たった2013年4月。ケンタロウは闘病生活を続けていた。
そんな彼を献身的に看病しているのが、妻・大谷マキさんだ。
ケンタロウさん愛用の包丁を製造している刃物店の店主が話す。
「奥さんは、病院に通いやすいように、神奈川葉山の自宅から都内のマンションに引っ越しました。病院と自宅を往復する毎日だそうです」
マキさんの献身的な看病もあり奇跡の回復を遂げていた。
「まだ病院での24時間体制介護は必要だけど、当初意識不明状態だったのが、意識も戻って、リハビリもできるようになっていると聞いています」(店主)
事故直後は、意識もはっきりせず、言葉もでなかったのだが、今では会話もできるまでに回復をしているそうだ。
「片言ではありますが、病室で奥さんと会話もできるようになったみたいです。食事も、自分の手でスプーンやフォークを使って、口元まで運べるほどに回復しているそうです」(店主)
その姿をみてマキさんは泣いたという。
国分太一と男子ごはんを一緒にしてきたケンタロウですが、国分がいまでもこの番組を別の料理人と続けているのは、ケンタロウにいまでも頑張っているよと姿をみてもらって、それでケンタロウも頑張ろうと思ってくれたらいいなと思って続けているそうです。
回復は絶望的だとも報じられましたが、奇跡の回復をしていっているそうです。
支えてもらいながら歩けるまで回復
最初は、バイク事故で両手足が麻痺をし、寝たきり状態でした。回復は絶望的といわれても、妻・大谷マキさんの献身的な看病の結果、ついに大きな前進へ!支えながらではあるけど、少し歩けるようになったそうです。
2013年上旬、都内のリハビリ介護用車両が横付けされていた。
病院からスタッフがストレッチャーを押し出してくる。
その上にはケンタロウの姿があった。
体は動かないように完全にベルトで固定されている。
ケンタロウは、2012年2月4日に、首都高速道路をバイクで走行中に転倒し、約6メートル落下する大事故をした。
さらに、左大腿骨骨折、右脚関節脱臼骨折、顔面骨折、脳挫傷、外傷性くも膜下出血など満身創痍の状態で、脳にダメージもあり記憶や感情表現の支障をきたす高次脳機能障害に苦しんできた。
絶望的なケンタロウをずっとそばで支えきたのが妻・大谷マキさんだった。
この日も彼女は、スタッフと一緒にストレッチャーを押していた。
マキさんは一緒に来ていたケンタロウの姉らと車に乗り込むと、都内にある別の病院に向かった。
「向かった先の病院では、最終的な体の検査を受けていたのでしょう。というのも、ケンタロウさんは、来月末にも退院する予定なんだそうです。マキさんの喜びもひとしおでしょうね。彼女はこれまで彼のために頑張り続けてきましたからね」(夫婦の知人)
「ケンタロウのお母さんである小林カツ代さんも、2005年にくも膜下出血で倒れリハビリ中のため、お父さんもお姉さんも介護をしなければなりませんでした。だからケンタロウさんの介護ができるのはマキさんだけだったんです。かなりのプレッシャーもあったと思います」(夫婦の知人)
実際にマキさんは、夫の置かれた状況を受け入れることができずに、精神的に追い詰められることも多かったそうです。
そんな介護の結果もあり、徐々にケンタロウの体は動くようになっていった。
「その後も、彼女は介護の方法についての勉強をしたりしていました。2012年秋には、ケンタロウさんが胃に直接栄養を送るための穴をあける手術をしたそうです。退院してからも介護スタッフの助けなしで栄養を受けられるものだそうです。そのことについても熱心に勉強していました」(夫婦の知人)
だが、それでも退院のメドは立たなかった。
そんな介護のなか、マキさんは2012年8月にケンタロウの個人事務所の取締役に就任。
さらに仕事も多忙となった一方で、彼女は退院に向けても併走していた。
夫が退院しても一緒に暮らせるようにと、バリアフリーの住宅へと2度目の引っ越しをしていた。
「当初、病院からは介護施設への入所を勧められていたそうです。しかしマキさんは、介護施設は高齢の方が多いから、そんななかで主人がひとりでいるのがかわいそうだから、私が自宅で介護しますと先生に申し出たそうです」(夫婦の知人)
自宅介護に向けて動き出したマキさんに嬉しいことが起きた。
「ケンタロウさんはリハビリスタッフに支えてもらいながらですが、少しだけ歩くことができるようになったそうです。とはいっても、普段はまだベッドで寝たきりの生活であることは変わりません。以前なら考えれないほどの回復ぶりですよ。さらにマキさんが話していることを理解したり、少しずつ話せる言葉も多くなってきているそうです」(夫婦の知人)
事故から1年3ヶ月、ようやくマキさんにも少し笑顔が戻ってきたそうです。
完全復活にはまだまだ時間がかかるようですが、少しずつですが着実に回復への進歩を見せているようです。
母・小林カツ代さんが死去!事故のことは知らずに亡くなっていた
ケンタロウがこんな大きな事故に遭ったにもかかわらず、母・小林カツ代さんには知らされなかったそうです。そこにはある事情があったそうですが、ケンタロウは事故から2年経った2014年1月、その間も母には会っていなかったようです。
2014年1月23日に人気料理研究家の小林カツ代さんが亡くなった。
死因は多臓器不全。
簡単な家庭料理で日本中の主夫から慕われていた。
カツ代さんは、1937年に大阪で、製菓材料卸問屋を営む一家に生まれた。
食べることが大好きだったという両親に育てられたので、いつも周りにはおいしいものがあったそうだ。
生前、カツ代さんはこんなことを話している。
「父は庶民的な料理が好きで、母はフランス料理や日本料理が好きで家族揃ってでかけていました。そのため値段によらず、おいしいと、自分の舌で納得することができたんです」
こうやって小林カツ代の下地は、両親によって育まれた。
しかし、子供の頃は絵や漫画に興味を持ち、母から料理を教わることが無かった。
ダシを取ることすら知らないまま21歳で結婚し主婦になる。
そんなカツ代さんが、夫へ初めて作った味噌汁は、水に味噌を入れ、もどしてないわかめを入れただけの味噌汁だった。
いうまでもなくまずかったw
「こんなものを毎日食べるのは嫌だ!」と思い、カツ代さんは本格的に料理へ取り組む。
カツ代さんは食べることだけが大好きで、料理下手だった。
実は、NHK連続テレビ小説・ごちそうさんで杏が演じるヒロイン・め以子役がそのものだった。
カツ代さんを一躍全国区にしたのは、1994年の人気料理番組の料理の鉄人だった。
いもをテーマにした鉄人との対決に勝利をしたのだ。
これで人気者になったカツ代さんは、テレビなどに引っ張りだこになった。
超多忙になり、ほとんど休み無しで働いてきた。
2005年に突然、病に伏す。
2005年8月にくも膜下出血で倒れた。
以来、療養生活を続けていたが、残念ながら再び公の場に姿を現すことはなかった。
さらに、追い打ちをかけたのが、長男・ケンタロウのバイク事故だった。
「療養中のカツ代さんに心配をかけたくないと家族が判断して、知らせなかったそうです」(料理業界関係者)
ケンタロウは奇跡的に回復をし、退院して自宅療養をし、母に元気な姿を見せるためにリハビリを頑張っていたが、その思いは果たせぬまま、カツ代さんは天国へと旅だってしまった・・・。
ケンタロウはまた料理番組に復帰できるように、2014年6月に退院。現在は自宅療養中だという。