小向美奈子は15歳で彼氏と熱愛し妊娠も死別!逮捕され裁判

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タレントの小向美奈子は2000年に15歳でグラビアアイドルとして芸能界デビュー。2001年にフジテレビ系「ビジュアルクイーン・オブ・ザ・イヤー」に選出。2008年に当時の所属事務所から「音信不通」などの理由で契約解除された。

小向美奈子

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小向美奈子が精神不安定で通院

2009年1月に微量の覚醒剤を共同で所持した疑いで覚せい剤取締法違反の容疑で逮捕された小向美奈子。当時当分の間は、芸能活動が出来るような状態ではなかったという。

覚せい剤取締法違反で逮捕された元人気グラドル小向美奈子の背後には、泥沼愛憎劇があった。
警視庁大崎署の調べによると、小向容疑者は2008年6月下旬、知人男性とともに東京・新宿区にある男性宅マンションで微量の覚せい剤を所持した疑い。
同署が2008年6月、この男を住居侵入の現行犯で逮捕した際に覚せい剤所持も発覚。
小向容疑者を共犯とみて逮捕状を取り捜査していた。
関係者によると、知人男性は小向容疑者と交際していた俳優の男性。
2人は2007年、山梨のローカルラジオ番組の共演で知り合い、2008年初め頃には男性宅で半同棲状態だったという。「男性は最初は優しかったんだけど、途中からシャブの影響なのか、小向への暴力が始まったんです。男性は注射器でやるほどのシャブ好き」。

小向容疑者にも、覚せい剤にまつわる噂が流れていた。
調べには「覚せい剤のことは知りません」と否定しているが、大崎署副署長が週刊誌に「男性の供述以外にも、逮捕状を発行するだけの証明資料は用意していた」と話しているように、何らかの物的証拠が発見された可能性がある。

男性のDVに耐えかねた小向容疑者は男性の部屋を出て、友人宅を転々とするようになった。「ところが2008年6月、男性は小向の行方をかぎつけた。それが男性が現行犯で逮捕された住居侵入現場なんですよ。小向は当時の男性のストーカーぶりに『スゲ~追っ掛けられて怖かった』と言っていましたから」(前同)。

男性の業界内での評判について語るのは芸能プロ幹部。「小向との交際はあまり知られてなかったね。喧嘩っ早く、飲んで手を出したり、暴れることはよくあったようだ」
2003年には、ある映画祭で新人賞を受賞。将来を期待され映画を中心に活動していたが、2年前頃から外見が別人のように豹変したという。「ボディービルで鍛えた筋肉質の体形が、急に激ヤセして10kgほど体重が落ちた。別に体重を落とす役柄もないし、ダイエットにしてはやせすぎなので”クスリ”の噂があった」(同幹部)

所属事務所の撤退が重なり、フリーになった男性には「映画や舞台からお呼びが掛からなくなり、俺らも敬遠するようになった」とは役者仲間。2人を知る周辺の人物からはこんな声も聞かれた。
「シャブはむしろ男性が主導的にやってた。小向だけ逮捕されて、男性にはシャブで逮捕状すら出ないなんて」。
そもそも、小向容疑者が週刊誌で芸能界の売春実態を暴露した2008年11月は既に逮捕状が出ていた時期。別件捜査の目的で、泳がされていたということなのか。いずれにせよ、不可解な事件だった。

小向美奈子

衝撃の告白!15歳で妊娠をしていた

覚醒剤の使用で逮捕された小向美奈子ですが、なんと15歳で妊娠をしていたらしいです・・・。

「そう、今まで誰にも言えなかったけれど。初めての写真集を撮影していたとき、私のお腹の中には小さな命が宿っていた」
2009年11月27日に発売された初の自叙伝(いっぱい ごめんネ)で15歳で妊娠と流産を告白した小向美奈子。
「相手の男性は、芸能界に入ったのとほぼ同時に好きになった人。彼との恋愛は本気の恋でした」 

それから9年後、東京拘置所の中で24年間の人生を見つめ直していた。
小学校6年生ではじめた喫煙、中学1年生で初体験、そして妊娠と流産と世の親が頭を抱えたくなるほどの子供だった。
「若すぎた?ぜんぜん!16歳で結婚するってずっと思ってきたから、愛する人との間に子供が出来たのは当然の成り行きです」と悪びれる様子は全くない。 

しかし、子供は産まれてくることはなかった。
冒頭でお伝えした写真集の撮影がグアムであって帰ってきてから2週間後に状況は一変した。
原付バイクに乗った彼が乗用車と追突事故をおこして帰らぬ人になったのだ。
「その日は妊娠3ヶ月の検診で、エコーでお腹の赤ちゃんを一緒に病院の前で待ち合わせをしていたんです。バイクを運転する彼が私に気付いて手を振ってくれた20秒後・・・彼の体が飛んでいきました。病院に運ばれる救急車の中で、彼はまだ話しが出来てたんです。まさか死ぬなんて・・・。あの日のことは今でもスローモーションで浮かびます」 

彼がこの世を去って2日後、彼女の体の中の小さな命が消えてなくなった。
もし子供を産んでいたら?
「もちろん若いママになっていましたよ」
だって彼の最後の言葉が「大事にして」だったから。
それって命を大事にしてってメッセージでしょう。
私も赤ちゃんの命を守りたかったけど、子供は救えなくて、このままじゃ生きていられないと思ったし、他に何もなかったから芸能活動を続けるしかなかったんです。 

この当時を知る記者は、彼女がアイドルらしからぬ言動で周囲の大人の反応を楽しむ魔性系だったのを思い出した。
彼の死が関係あるのかわからないが、撮影日に目を腫らしてやってきたり、撮影時間に2時間も遅刻。
カメラマンやスタイリストがまたかと苦笑いすることも何度もあったという。

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小向美奈子の彼氏と死別後の心の闇

まさかの妊娠と流産を告白した小向美奈子。そして、愛する人を死別で失った心の闇は続く・・・。

アイドル時代に発売した写真集は10冊。
順風満帆に見えたタレント業だったが、彼女の喪失感は仕事で埋まることはなく「自分の居場所がない」という孤独で心は占拠されていた。
「初めのうちは、アイドル小向美奈子もそれなりに楽しかったんですよ。それまでとはまったく違う世界が見られたし、初めての経験も多かったから。それがやっぱりデビュー前の写真とか、ありえないスキャンダルとか出てくると、いくらやんちゃな私でも傷つきました。ストレスで太ったり痩せたりで、過食嘔吐になって一時は体重が35キロまでになりました」 

そして気付けば、人一倍「誰か私を本気で愛して」と、男性の優しさや愛を渇望してやまない自分。
19歳で一人暮らしを始めてからは、さらに彼女の放蕩(ほうとう)ぶりはエスカートとしていった。
クラブ通い、同棲、ドラッグ、と文字通り道を踏み外していったのだ。
「人は私が男好きで、ドラッグまで手を出したって思うかもしれないけど、薬は別。きっかけは付き合っていた彼から強要され、暴力を受けたことが大きかったですよ。私が拒絶して、徹底的に逃げればよかったんです」 

このように小向はドラッグが好きで薬に手を出したわけではないようだ。
「彼が不法侵入の罪で警察に捕まった時、これでやっと薬から手が切れると安心したんです。それに彼にはそこで気付いてほしかったから、警察に彼が薬を所有、使用している事実を言えない自分がいたんです。ましてや自分が指名手配されてるなんで、想像もしてませんでした」
そして、覚醒剤取締法違反で逮捕され懲役1年6ヶ月と執行猶予3年の判決を受けた。 

最後に自身の告白本で自問していた「小向美奈子にとって、自由に生きるって何?」と。
すると、こう即答した。
「自分の未来を考えることにした。だって、それに向かって生きていることは自由じゃないですか!」
そしてこう続けた
「今でも亡くなった彼を思い出すんです。今なら、自分を大事に生きていこうって、そう思えるんです」
覚醒剤使用での逮捕は彼女にとって、自身を見つめ直す良い時間になったようです。

小向美奈子

激太りした小向美奈子が取材は1社50万円で荒稼ぎも再逮捕

2011年2月、覚醒剤を購入したとして再び指名手配を受けていた小向美奈子。
滞在先で訪れたフィリピンでは、激太りの姿が報じられました。
国外逃亡と思われる行動をしましたが、弁護士との話もついたのか大人しく帰国。
彼女自身も逃げ切れないと思ったのか、取材は1社につき50万円の荒稼ぎをしていたという。しかし処分保留、釈放も・・・。

2011年2月25日、渡航先のフィリピンから帰国した小向美奈子。
その場で覚醒剤取締法違反で逮捕された。
報道陣の呼びかけには終始無言だった。
フィリピンで何をしていたのだろうか?
「彼女は、フィリピン滞在の理由を語学学習とポールダンスのレッスンの修行だと言ってました。逃亡ではないと強調したかったのでしょう。でも、渡航後はすぐにどちらも通わなくなりましたよ。帰国直後にはまた5キロぐらい太ってましたね」(芸能関係者)

彼女は渡航前から太りだし、仕事にも出られなくなっていた。
「最近の彼女は、自暴自棄になってました。逮捕も覚悟していると話してはいましたが、実刑は確実ですからね。ささいなことで怒鳴ったかと思えば、すぐにお腹が空いたから御飯食べさせてとおねだりしたりする。精神的に不安定でした。ストレスだったのでしょう。当初は、現地の知人らが資金援助をしてましたが、連日の報道でほとんどが離れてしまった。資金も厳しくなってから帰国する覚悟を決めたようです」(芸能関係者) 

小向は2011年3月に週刊誌の単独インタビューを受けていた。
取材の裏ではこんなことがおきていた。
「驚いたのは、そのギャラです、たった1回のインタビューなのに、50万も要求したと聞いています。逮捕をにらんで最後の荒稼ぎをしたかったのでしょう」(知人)
取り調べでは否認していたようだが、2011年3月18日、証拠不十分で処分保留、釈放された。

しかし、2015年2月に自宅マンションにて覚せい剤約0.1グラムを所持したとし、三度目の逮捕。同年4月に東京地裁は懲役1年6月の実刑判決を言い渡しています。

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