根津甚八が亡くなる!病気に交通事故で俳優を引退し妻との闘病に終止符
俳優の根津甚八は1969年に唐十郎の状況劇場に入団し、1970年の舞台「ジョン・シルバー愛の乞食篇」でデビュー。1975年にドラマ「娘たちの四季」に初出演。1978年にNHK大河ドラマ「黄金の日日」に出演。1979年に劇団を退団。2001年にはNHK連続テレビ小説「ほんまもん」に出演。2010年に俳優引退を宣言。2016年12月29日に死去されています。
根津甚八が俳優引退の危機
2008年7月に根津甚八の引退危機を週刊誌が報じました。根津甚八は2004年に自家用車を運転中に人身事故を起こして以降、目立った俳優活動は休止状態。2009年5月からブログを始めていたが、メディアの前に姿を見せることはなかった。
週刊誌はそんな根津甚八氏が出演されて作品の続編を作りたいとオファーをしてもいや、俺はもう無理だからって断られました。と引退してしまいそうで心配ですと話すドラマ関係者のコメントを掲載。
また事故の背景にあったとされる右目下直筋肥大については、2001年ごろから発症したとも。
右眼をうまく動かせず視力が低下し、ろれつが回らなくなるという奇病で、役者生命にもかかわることから仕事量も激減。
3回ほど手術を受けたが、なかなか完治とまではいかないとしていた。
それで根津甚八氏の自宅を週刊誌が直撃し、インターホン越しに夫人を取材。
根津甚八氏が仕事依頼に難色を示していることについて、夫人はう~~ん、そうですね。というか、なんか自分の目指してるところまで回復してないんですよね。
持病のヘルニアや目の手術を受けたことを明かしたものの、復帰についてはまだちょっとと言葉を濁していた。
一方事務所は、腰の状態がよくないので、あと目の感覚も治っているんですが、しばらく時間が経つとまた変化がでてきてしまうんです。
根津甚八のプライドとして完璧な状態で復帰したいことから、関係者に迷惑をかける可能性がある限り、オファーは全部ごめんなさいと断っていたという。
根津甚八が芸能界を引退していた
「結婚してから、いろいろありすぎですよ。5年間は本当に苦しかった。その状況を家族みんなで抜け出したんです。波瀾万丈の人生でしたが、根津さんと結婚してよかったなって、今では思っています・・・」
2001年に目の病気を患い、鬱病まで発症してしまった俳優・根津甚八。
さらには2004年7月には、自宅近くの交差点で交通事故を起こしてから公の場への姿はみせなくなった。
2005年7月には、交通事故の後遺症か?椎間板ヘルニアまで患い、手術を行うも、歩行に支障が残ったという。
妻もそんな旦那の看病で不安神経症と診断され、夫婦で病気と闘うことに。
そんな妻に週刊誌が取材することが出来たという。
「旦那が上にいるのに妻だけが働きに出ている、なんていうわけではありませんよ。家計を支えているのは、今でも甚八です。以前からいくつかの会社の顧問を務めていますので・・・。まだ、自宅のローンも残っていますし、息子も私立中学に通っていますし、私の収入だけでは無理です。私が働いているのは外に出ることが必要だったからです」
2005年、根津の足腰が弱った時、夫婦で心の病をかかえたまま自宅にひきこもりになってしまったのだという。
「家にいたときは、ただもんもんとしていました。何をしていたのか思い出せないぐらい。彼の病気を治すことに必死で、焦りと不安の毎日です。寝るのも怖かった。また明日から同じ生活がはじまるんだと思うと・・・。そんな生活を2年したときでしょうか、家にいるよりも、私が外に出てみようと思ったんです。そこで10年来の知人の会社に週3回ぐらい働かせてもらっています。私が明るくなるにつれ旦那の鬱もよくなっていったんです」
根津は、いまではすっかり老いてしまっており、白髪まじりで車椅子生活をしているのだという。
そんな根津の生活も語ってもらった。
「24時間車椅子生活ってわけではなくて、立つことやトイレにいったりは出来ます。歩くときは人の手を借りるのも悪いし、外では杖をついて歩くのも目立つので(芸能人だったこと)、帽子をかぶって車椅子で」
かなり辛い生活をしてきたが、それを乗り越え、心身ともに回復しつつあるようだ。
そんな根津は俳優としての復帰はあるのだろうか?
「本人がもう自分は出ないって決めたんです。次々新しい俳優の子が出てくる中、自分の出る場があるのかなって。実は秋ごろに根津甚八の集大成として本を私が著者となって出版する予定なんです。たぶん、彼としてはその本で完結したい。引退宣言なんですよ。最後に俳優・根津甚八として、もう一度彼をクローズアップしたいと思ったんです。彼を忘れないでいてくれたらありがたいなぁと、いう思いを込めて書きました」
2010年9月に根津は俳優引退を宣言。2015年に映画「GONIN サーガ」(石井隆監督)で、共演者も圧倒されるような壮絶な演技で1作限りの復活を果たしました。そして、2016年12月29日に肺炎とため亡くなったことが明らかになりました。芸術家の篠原勝之は長い闘病生活をしていた状況劇場の盟友がとうとう旅立った。ただ深く黙祷。やっと闘いにピリオド。お疲れさまとコメントしています。