大滝秀治の闘病生活は手術も放射線治療も拒否!関根勤は本当の父親のようだった
俳優の大滝秀治は1948年に民芸の前身劇団の養成所に入り、1950年に民芸創立に参加。1975年のNHK連続テレビ小説「水色の時」の医師役でブレイク。1977年のテレビ朝日系ドラマ「特捜最前線」の老刑事役で人気に。ひょうひょうとした独特の演技で数多くのドラマや映画に名脇役として出演。2011年10月に文化功労者に選ばれ、11月に天皇・皇后両陛下主催の茶会に出席。2012年10月に肺へん平上皮がんのため、87歳で死去されています。
俳優・大滝秀治の闘病生活!手術も放射線治療も拒否
2012年10月、肺がんで死去した俳優・大滝秀治。手術をしないと助かる可能性は無かったそうですが、手術をすれば高齢なこともあり体に負担もかかり、役者ができなくなるということで、手術や放射線治療を拒否していたという。最後まで役者一筋にかけた人生だった。
大滝さんは、2011年末から体調不良を訴え、2012年2月に末期肺がんが見つかった。
「主治医からは病名を告げられても、体へのダメージが大きく、役者復帰に支障がでるからと、手術や放射線治療を拒否したそうです」(知人)
ガンは発覚後、大滝さんは2012年6月の舞台を降板。
抗がん剤治療に専念していたが、2012年6月末に間質性肺炎を併発し入院することになった。
「大滝さんは若い頃から胸に持病を持っていて、30歳の時に左胸の切除をしている。残った右の肺までガンにおかされていたのだから苦しさは並大抵ではなかったはず」(同上)
そんな状態でも、復帰を信じて、リハビリのために病室に昔の舞台の台本を持ち込み、暇さえあれば目を通していた。
そして、2012年9月上旬には病状が安定したため退院し、自宅で療養を続けていた。
次女の久美さんが語る。
「60キロあった体重が自宅に戻った時には42キロまでに減っていて・・・。入院中にドラマ出演の依頼もあって、お医者さんからはとても無理と言われていたのに、12月にはロケだ。体力をつけないと、カツ丼やステーキを食べたりしていました・・・」
2012年9月末には、色紙に「舞台にもう一度立ちたい」と書き、自らを奮い立たせていたが、現実は残酷だった。
「末期の肺がん退院するということは、最後は自宅で家族が願うケースです。大滝さんは、在宅医を常駐させていたので、おそらく退院の時点で余命わずかだったのでしょう」(医療関係者)
2011年4月にはテレビCMで歌を披露した大滝さん。
自身のパートは数秒だったが、そのためにヘッドホンステレオを片手に、自宅付近を散歩しながら一生懸命に歌の練習をする姿がみられていたという。
どんな小さな役でも手を抜かずに演じてきた名脇役。
2012年12月の仕事は残念ながら出演することはできなかったが、最後まで役者を貫いていたそうです。
大滝さんの物まねをレパートリーとしていたタレントの関根勤は、物まねを始めたのは1992年。個性的な実力派俳優だった大滝さんを親しみやすいイメージとしてお茶の間に浸透させた。
生前、大滝さんは関根勤のものまねについて「しっかりと特徴をつかんで、よくデフォルメしてる。大滝秀治本人より大滝らしいなんて言われることもあって、別に悪い気はしない」とコメントしたという。
生前、2人で伊豆を旅する番組で御一緒させていただいた際に関根は、仕事や人生に関するお話をたくさんして頂き、本当の父親との時間を過ごしているだったという。その話の一つ一つから伝わるプロ意識に驚かされたことは、今も忘れられない思い出だそうです。