やしきたかじんのガンの闘病生活!再々婚妻や母と確執に財産分与は
歌手のやしきたかじんは1971年にシングル「娼婦和子」で歌手デビューも、刺激的作風から発売禁止に。1976年にシングル「ゆめいらんかね」と、アルバム「TAKAJIN」でデビュー。その後「あんた」「やっぱ好きやねん」「なめとんか」「東京」などがヒット。2012年1月に食道がんを患い闘病の末、2014年1月に64歳で死去しています。
兄もガンで命を落としていた
2012年2月、やしきたかじんの芸能活動休止が報じらた。理由は、初期の食道ガンであることが分かったからだった。本当に初期だったので、入院はしてなかったが、たかじんの母は、息子のがんについてはテレビで知ったという。そして、たかじんの兄はがんで命を落としていることが分かりました。
「検査の結果、初期の食道がんであることが判明したので、治療専念のためレギュラー番組などをしばらく休ませてもらいます」
やしきたかじんが食道がんであることを発表した。
息子のがんを母親はどう受け止めているのか訪ねてみた。
「息子とは全然交流がないし、今回のことも朝テレビで知りました。食道がん言うてたのでね。もうびっくりして・・・」
たかじんは、男4人兄弟の二男に育った。
だが、若いころ、厳格な父から勘当されて家を出ている。
しかし、母とは全く音信不通といったわけでないという。
「以前も、私の喜寿のお祝いを兄弟みんなそろってやってくれたりしたんです。ふだんは音信不通で連絡もありませんよ。どこに住んでいるかもわからないけど、親孝行なんです。今回もがんの報道をみてすぐに電話をしましたが、繋がりませんでしたね(笑)」
当時、中学の校長をしていた三男がたかじんのマネージャーと連絡を取って病状を聞いていたそうだ。
「三男によると、別に心配するほどの状況ではないし、そっとしたらええとのことでした。初期の段階で本人もまだ入院してませんし、いまはどこの病院で治療するのか相談している最中と言ってました。でも、実はあの子の兄はがんで亡くなっているんですよね。できた場所は違うけど心配です」
体力低下で休養の真相!がんの再発と転移
初期の食道がんのため、約1年2ヶ月ほど休み、2013年の3月21日に復帰したやしきたかじん。2013年3月22日に放送された、たかじん胸いっぱいを視聴したネットユーザーからは、顔色が悪い、痩せすぎてる、老けたとか心配する声があがっていましたが、復帰からわずか2ヶ月ほどで、また無期限の休養に入りることが発表された。
理由は体力低下のためとのことでしたが、写真週刊誌ではがんが再発したと報じられました。前回は初期といえ、2回も手術をしています。実はこれは初期ではなく、すでにステージ3だったようです。
2013年5月17日、東京品川駅でやしきたかじんがいた。
顔はやや痩せ細っているが、時折、連れの女性に冗談を言って笑わせたりと、体調はきわめてよさそう。
あれ?たかじんって、一部の報道によると、緊急搬送されて、一泊12万円の特別質に入院しているはずなのに・・・。
「先週の週刊文春の記事には驚きましたね。緊急搬送されVIPの個室に入院したと書かれていましたが、全部嘘です。収録に倒れたともありましたが、それも嘘ですよ」(たかじんの知人)
たかじんは、関西でレギュラー番組3本を抱える売れっ子司会者だった。
しかし、体調不良を訴え休養宣言をしたのは2012年1月末だった。
全レギュラー番組を降板し入院治療に専念した。
「病名は食道がんで初期のがんと報じられていたが、実際はステージ3だった。5年生存率約30%と決して楽観できない状態だ。手術も声帯には傷つけないようにしながら切除して、かなり大変なオペでした。その後、1度、縫合不全のため再手術をし、6月末に退院しました」(大学病院関係者)
この日、付き添いの女性は、当時の交際相手Aさん。
ふたりの関係は2年近くに及び、その間、Aさんはずっとたかじんの付き添いと闘病生活を支え続けている。
「Aさんは30歳くらいの美女です。数年間、ヨーロッパで仕事をしていたこともあると聞いています。たかじんとは財界人らも顔を揃えるパーティーで出会ったそうです。たかじんの一目惚れで、それまでの女性関係を断ち切ってまでAさん一筋になりました。もはや事実上の妻といってもいいでしょう」
手術後は抗がん剤治療で、東京で暮らしていたが、副作用で髪の毛が抜け始めたため、治療を中止し、療養のためにハワイや北海道でAさんと一緒に過ごしていた。
2013年3月に復帰をしたが、5月にはいって番組を立て続けにキャンセル。
理由は体調不良と言われているが、実際は2013年4月下旬に受けた検査の知らされ、急遽、対策を講じなければならなくなったためである。
そしてその検査の結果・・・。
「食道周辺のリンパ節へのがんの転移が判明したんです。すぐに上京し主治医から説明を受けました。本人も覚悟していたようで、まぁしょうがないなと、きわめて冷静な様子だったそうです。でもAさんは取り乱してしまいかなり大変だったようです」(製薬会社関係者)
「ステージ3でリンパ節への転移の再発ですから、根本的に治療するために、放射線治療か抗がん剤治療が一般的です。ただそれなら外来治療でも可能なので、入院をせず、自宅で療養することにしたのでしょう」(知人)
Aさんと一緒にマンションに住み、治療も付き添っていたそうです。
食道がんを再発したやしきたかじんの病状は深刻だった
2013年3月に1年2ヶ月ぶりに食道がんの手術と治療から復帰したやしきたかじんでしたが、復帰後1ヶ月半ほどで、再び食道がんの再発で芸能活動を無期限休養に。食道周囲のリンパ節へ、がんが転移したことが判明で治療に専念することに。
「メールや電話をしてもまったく返事はありません。今までこんなことはありませんでしたよ。本人が徹底して病状を隠したいということはかなり深刻の事態なのかと心配になります」
2013年3月に食道がんの手術と治療から復帰したものの、わずか1ヶ月半で再び無期限の休養を発表した。
彼と親しいタレントの1人はこう不安を口にした。
2013年5月の休養発表直後、たかじんは2012年六本木に購入したマンションを拠点に通院生活を続けていた。
しかし、フライデーが食道周辺のリンパ節へのがんの転移と再発説を報じたことで状況が一変する。
「実はフライデーの記事が出た後、たかじんさんは自分の病状に関する情報が手術を担当した都内の病院側から漏れているのではないかと怒り心頭だったそうです。その病院はチーム医療を信条としており、彼の治療に関しても、大物野球人などの手術を手がけた名医をトップに執刀医と看護師などで専門のチームが組まれていました。関西では絶大な人気があるたかじんですが、東京の医師や看護師はたかじんさんのことをよく知らなかったようです。結局は、病院側の情報漏れの不信感が拭えず、たかじんさんは大阪に戻って療養生活を初めました」
その後の療養生活や病状については、徹底した箝口令が敷かれ、周囲でもほとんど知る者はいないそうです。
「事務所のマネージャーは、2013年3月の復帰後、無理をしすぎたので、万全を期するために療養していると言うばかりで、正直、再発かどうかわからない状況なのです」(親しいタレント)
たかじんは、周囲とも連絡を断ち、闘病を続ける。
たかじんを支えているのは内縁の妻の存在だという。
「約2年のお付き合いだそうですが、入院時には看護師による世話を嫌がるたかじんのために、病院に泊まり込み、栄養管理なども学び献身的な看護を続けています」(事情を知る関係者)
たかじんの状態は、がんの再発で間違いないようですが、病に勝ち、テレビでたかじんの毒舌が聞ける日が来るのはいつになるのだろうか・・・。
やしきたかじんが再々婚した32歳年下の女性の正体
2013年10月、やしきたかじんが再々婚をしました。21歳の時に1回目の結婚し長女をもうけるも7年後に離婚。2回目の結婚も、お相手は15歳年下のモデルで2006年に離婚。そして、3度目の再々婚は、お相手は一般女性で32歳の女性。たかじんが当時64歳で、32歳もの年の差結婚だった。
「色が白くてすらっとした美人ですよ。たかじんは3回目の結婚ですからね。よく彼女も決意したというか」(テレビ局関係者)
2013年5月からがんの治療のため再休養中のたかじんが再々婚をした。
2012年1月末に、がんによる休養を発表し、2013年3月には復帰をしたのだが、わずか1ヶ月半の5月始めに再び休養に入った。
休養に入った理由は、食道がんが転移したのが見つかり治療に専念するため。
休養中に何度か週刊誌に女性とのツーショット写真が撮られた。
それが再々婚相手のAさんだった。
「Aさんは32歳です。もう3年近いお付き合いになるでしょうか?今年の春に一度復帰した際には、復帰と婚約を祝う会を京都・祇園の行きつけの店でして、近い人達にはお披露目が済んでいます」(芸能記者)
たかじんは、21歳で初めて結婚をし長女をもうけ、7年後に離婚。
「ちょうど20年前に、Hさんという15歳年下モデルと再婚をしました。身体をこわして救急車に乗ったときに連絡先になる人が誰もいないことに気づいて、それがきっかけで結婚したと言っていました。しかし、2006年には向こうから離婚届けを送りつけてきたなんでネタにしながら離婚をしましたが、今回のAさんも結婚のきっかけは似たようなものです。下の世話まで嫌がらずにやってくれているのが決め手だったようです」(同上)
2人の出会いなどは?
「元々は大阪北新地のお店で働いていた女性だそうです。でもこの再々婚のお相手を飲食店で出会ったと報道した関西のテレビ局には、以前海外ボランティアをしていたことのある女性だと訂正要請が来ているようです。視聴率男にお世話になった局としては、気を使わざるを得ない事情があります」(テレビ局関係者)
さらにこんな話も!
「元気な時には、グラブ関係の綺麗どころ4~5人と交際していたんですが、最後に絞り込んで入籍までした彼女がナンバーワンですからね。療養中は2人でハワイや北海道などに滞在しています。夏にはハワイで指輪を買って貰ったとAさんは喜んでいましたよ」(芸能記者)
とても幸せそうなたかじんとAさんでしたが、体調が心配さていた。
たかじん死去!親族は誰も葬儀に呼ばれていなかった
2014年1月3日にやしきたかじんが亡くなっていたことがわかりました。1月7日にこの件が報道され、やしきたかじんの死に悲しむ人がたくさんいました。葬儀は密葬で行われ、親近者のみで行われたのですが、ここにはたかじんの母が含まれていませんでした。
このことから、たかじんと母は何か確執があったのかと予想できたのですが、なぜ母は呼ばれなかったのでしょうか?葬儀に呼ばれたのは、最初の時の妻との間に産まれた長女だけだったという。
食道がんの闘病生活を献身的に支え看取ったのは、2013年秋に再々婚した32歳年下の妻Aさん。
密葬はこの妻のほか、最初の妻との間に産まれた長女もかけつけたそうだ。
たかじんの死は、芸能界からも悲しむ人がたくさんいた。
しかし、もっとも悲しみに暮れているのは、大阪市内に住むたかじんの母だろう。
記者が実家を訪ねると、「足腰も弱っていますし、体調もよくないので・・・。突然聞かされたばかりで気が動転してますし・・・」
母はとても取材を受けられる状況ではなかったという。
そこで実家近くに住む親族の男性が母のの様子などを話してくれた。
「ある人から聞いた話では東京で亡くなったそうです。私のところに連絡があったのは2014年1月7日の夕方遅くでした。無言電話がかかってきて、こちらが「もしもし?」と言っても黙っている。いたずら電話かと思って切ると、またかかってきてそれが3回続いたんです。おかしとおもって着信番号を見ると、たかじんの母からでした。「どうしたの?」と訪ねると、母は「たかじんが死んだ・・・」と絞りだすように答えた。亡くなったことを知らせるために電話をかけてきてくれたのですが、いざ伝えるとなると声がでなくて・・・それほどショックを受けていたようです」
その後、母の元にかけつけた男性は、たかじんの母と話しをした。
「お母さんは、息子が亡くなったことをこの日の夕方5時に知ったそうです。死から4日後ですよ?関東に住むたかじんの長女から電話があったそうですが、葬式もすでにすませたと言ったそうです。お母さんは息子の死を受け止めることができずに絶句していました」
親族の男性は少し怒った様子でこう話しを続ける。
「せめて亡くなる直前には、お母さんや兄弟にたかじんが危ないねんと知らせるべきでしょう。東京にいたので大阪から駆けつけても間に合わなかったというのであれば、亡くなったその日に連絡をするべきです。死んでから4日も経過して葬式も済ませて骨になりましたと連絡を入れるのはあんまりですよ!お母さんの姿を見て、それはないんじゃないかと思いました。訃報を聞いて兄弟らは母の実家に集まりましたが、何もできないと気づきそのまま解散しました」
たかじんはなぜ、母へ連絡しなかったのだろうか?
たかじんにはこんな過去があるようだ。
たかじんさんは大学時代に父から勘当されて疎遠になっていた時期があり、復帰後も頻繁に実家に連絡を入れたりはしていなかった。
実際、男性はたかじんの母やその親族を取材したことがるが、その際も、「食道がん休養」や「結婚」という人生の一大事をテレビで知ったと明かしている。
「疎遠になっていたといっても昔の話し。亡くなったお父さんとも酒を飲み交わしていましたし、お母さんとも何度も会っています。それにたかじんが最初に離婚した時も、長女を引き取ってくれたのは彼の両親です。父も母もたかじんを応援していたんです」
さらに親族の男性は声を上げる。
「奥さんは献身的に看病をしてくださったと聞いています。でも実は、親族の誰も彼女と会ったことがないんです。連絡先はおろか、名前も知りません。長女とも、今は連絡がつかない状態になっています。遺骨は大阪に戻ってきてるという話しもありますが、親族は誰もたかじんの骨は見ていません」
死の間際で、たかじんが何を思ってこういうことをしたのかは分からなかった。
残された母は今もショックを受けて動けないようです・・・。
たかじんはなぜ、長女には知らせ、親族にはしらせなかったのでしょうか?
やしきたかじんの密葬に呼ばれたのは5人だけ!財産分与で協議
やしきたかじんが2014年1月3日に亡くなった。葬儀は密葬で親しい親族のみで行われたと報じられました。そして、密葬に呼ばれた5人が判明。たかじんと再々婚をした女性、前妻、前々妻(故人)の娘、京都の会社社長、弁護士の5人だったそうです。
「たかじんさんは2012年1月に食道がんが発覚して芸能活動を休止。それ以降はマンションや別荘のある札幌やハワイで療養をしつつ、抗がん剤治療などの闘病生活を続けていました」(スポーツ紙記者)
さらに、東京都内の通院していた病院の近くにもマンションを購入。
大阪の自宅マンションと東京のマンションでは、2013年入籍した3番目の妻と同居生活をしていた。
闘病生活をしていたが2014年1月3日にたかじんは亡くなった。
しかし、亡くなってからいろいろと疑問が浮上している。
「実の母親をはじめとした親族にも2014年1月6日以降になってようやく知らされたんです」(たかじんの親族)
なぜ、このようなことが起こったのか母も知らないと困惑をしている。
さらに連絡をもらった時はすでに葬儀は終わっていた。
たかじんの親友が話す。
「参列者は付き人を除けば、現在の妻、2006年に離婚した元モデルの前妻、前々妻の娘、それにたかじんと親しい京都の会社社長と弁護士の5人だけです。報道では密葬はたかじんの遺志として報じられていますが、本当にそうだったのか。あれほどの人の死が、なんで仲良くさせて頂いた私たちにさえ遅れて伝わってきたのかが納得できません」
たかじんの最後を看取った現在の妻はどんな人物なのだろう?
「Sさんはイタリアでネイリストをしていたとも報じられていますが、親族とも付き合いがないようで詳細はわかりません。海外生活の経験があり、知人の紹介で知り合ったそうです。密葬にしたのは、たかじんの考えか、Sさんの考えなのかは説明がないのでわかりません。遺産の分配は旧知の弁護士と税理士が入って現在調整中だそうです。実はたかじんはずっと前妻と復縁したがっていたので、Sさんと入籍したのは意外でした」(別の親友)
たかじんが亡くなった時、関西では追悼番組を放送したが、たかじんがレギュラーを持っていなかった局は制約がかけられているそうだ。
「過去に放送した番組のトーク部分はたかじんさんの遺族の意向で使用ができない状況なんです。なぜ使用して欲しくないのかわかりません。レギュラーを持っている局でも、遺族の希望で別枠で追悼番組を作ることができなかったそうです」(関西のテレビ局ディレクター)
とのことですが、たかじんさん追悼番組「そこまで逝って委員会」に決定したようです。
1本目はたかじんさんの冠番組「たかじんのそこまで言って委員会」のタイトルを変えた「たかじん追悼スペシャル そこまで逝って委員会」という番組。
2本目は2008年に大阪市内で行われたコンサート「Koi―con」を再編集した番組。同コンサートはたかじんさんがプロデュースを務め、松山千春、堀内孝雄、故・桑名正博さんらが出演していた。
関西ではたくさんの人から愛されたたかじんですが、最後は寂しい追悼になっていましたが、遺族の方からは許可がおりたようです。
やしきたかじんと再々婚をした女性は在日韓国人だった
やしきたかじんが亡くなるぬ直前に再々婚をした女性がいます。再々婚をした女性は、たかじんより32歳年下の女性だと報じられました。元々の出会いは、北新地の夜の店で、お水の女性です。
そして、この女性は自分のことを韓国人と名乗っていたそうです。でも実家が兵庫県にあるそうで、在日朝鮮人の可能性が高いようです。この女性に対して、たかじんの親族が激怒をしてい。葬儀に呼ばれた親族は、前妻、前々妻(故人)の娘だけでした。さらに葬儀に参加した人からも、この女性の振るまい方などに激怒している人がいたそうです。
「再々婚したSさんとは会ったことはおろか、電話で話しすらしたことありません。どんな方なのか、本当に籍を入れているのかも知りません。たかじんの死去から3週間が経過しますが、母親にすら何の連絡もありません。許されることではありません!」(たかしんの親族)
たかじんが2014年1月3日に亡くなったが、当初S夫人は、たかじんの死をごく少数の関係者にしか伝えていなかった。
「たかじんさんの死を3日に知らされたのは、前妻、前々妻(故人)の娘、京都の会社社長、長年付き合いのあった弁護士、30年来のマネージャーだけだった」(たかじんの親友)
S夫人は、なぜか彼らにすら、たかじんの死を隠そうとしたという。
「Sさんは最初に知らせた5人のうちのある人への電話でも、すぐに来て欲しいとしか言わなかったそうです。病状はそんなに悪いのか?すぐに来て欲しいと言われても都合がつかないと返事をすると、実は亡くなったんです。火葬に来て下さいとようやく打ち明けたそうです。さらに亡くなったことは言わないで下さいと口止めもしたそうです」(在阪テレビ局関係者)
S夫人は、たかじんの母親や弟には死を伝えようとしなかったそうだ。
その理由は、「お義母さんは車椅子だから・・・という回答が返ってきたそうです。確かにお母さんは体が悪いそうですが、車椅子だからといって息子の死を知らせない理由にはなりません。娘にも当初は知らせるつもりはなかったそうです。周囲からの反対を受けて渋々連絡をしたと聞いています」(たかじんの親友)
火葬が行われたのは亡くなってから2日後の5日だったという。
「火葬の際のSさんの振る舞いは、最愛の夫を亡くした未亡人とは思えなかったそうです。Sさんはひたすらハニー(たかじん)がいかに私を愛してくれていたかということと、私がいかに看病でハニーに尽くしたのかという、まるで作ったかのような話を語っていた。さらに参列者を驚かせた言葉がある。遺骨が火葬炉から出てきた際のSさんの発言です。Sさんは遺骨を見るや、へらへら笑って、うわぁ~、焼き上がったマカロンみた~いと言い放ったそうです。これには参列者は唖然としたそうです」(同上)
S夫人はたかじんの娘に敵対心をむき出しにしていたという。
別の友人が話す。
「娘さんは、たかじんさんの母親や弟が火葬に参列できなかったことを気に病んでいたようです。お墓や遺骨をどうするのかということも決まっていなかったようですからね。火葬場を離れ、ホテルで食事を取っていた時のこと。娘さんがSさんに対して、うちのおばあちゃんはどこに向かって手を合わせたらいいのですか?と聞いたようです。するとSさんは態度を豹変させ、興奮した様子で、私には優先順位があるんです。親族の方々に会いたくないって、ハニーがいったんです。ハニーは親族とは一生会わなくていい、絶対に呼ぶなって言っていたんです。私の意思でお嬢さんを呼んで差し上げたんだから、それだけでも感謝してもらわなければ困りますということをまくしたてたらしいです。父の死にショックを受けている娘に対してこんないい方はないでしょう」
たかじんが死んだ今となっては、本当にたかじんが親族を呼ぶなと言っていたのか知ることはできない。
それにしてもS夫人の葬儀での振る舞いはやはり異常すぎる!
S夫人はどんな人物なのか?
報道では、32歳女性で北新地で出会ったや、パーティーで出会ったなどと報じられていますが・・・。
S夫人の家庭環境について、たかじんの飲み仲間が話す。
「3人兄妹の2番目ですよ。お母さんは元ナースでお父さんはたかじんさんと同時期にがんになったそうです。Sさんは18歳まで日本に住んで、どこかの専門学校に通っていたそうです。兵庫県の方に実家があると聞いています。葬儀にはSさんの親族は出席していないと聞いています。もしかしたら、たかじんさんとの結婚を彼女は親族に知らせていなかった可能性すらありますね」
イタリアでネイリストをしていたという情報もある。
「彼女自身の口から、私は韓国人だということを聞いたことがあります。育ちはイタリアだと言う。とにかくしゃべり方が変わった人で、普段は片言の日本語で、イタリア育ちのはずが、なぜか時折英語を交えて話します。でも興奮してくると、流暢な日本語の標準語でしゃべるんです。一見、不思議ちゃんかな?という印象です。元々たかじんのマンションの向かいに住んでいましたが、気付いたらたかじんと一緒に暮らしていました」(彼女を知る人物)
さらに、S夫人は、たかじんの死後、テレビ局への関与を強めているそうだ。
「たかじんさんは、長年代表取締役を務める個人事務所に所属していました。たかじんさんが亡くなると、Sさんは私が事務所の社長になると言って、テレビ局関係者の窓口役をやっています。さらに、追悼番組などの収録現場にまでやってきて、過去のトーク映像や写真の使い方にまで注文を付けている」(メディア関係者)
遺産についても口を挟んできているそうです。
Sさんは、遺産についても弁護士に相談をしているそうです。
たかじんの遺言状があるようで、詳細はわからないそうですが、親しい友人ら59人に残されているという情報もあるそうです。
やしきたかじんの親族と再々婚妻が初めて対面
やしきたかじんの親族とたかじんの再々婚妻が揉めていました。揉めていた原因は再々婚した妻のたかじんの親族への対応でした。たかじんの葬儀に親族は呼ばれませんでしたね。さらに葬儀が終わってから亡くなったことを告げられていました。
この件で、たかじんの母はショックで引きこもり状態になっていました。それからは、再々婚妻からまったく連絡がない状態でしたが、ついにたかじんの母と再々婚妻の初対面が実現したのですが・・・そこでもまた親族側は不快感を感じたようです。
「ひとつのけじめをつけるために、親族一同でお別れ会に出席することにしたんです」(親族の1人)
2014年1月3日に亡くなったたかじんのお別れ会が3月3日に大阪市内のホテルで開かれた。
午後1時からの1部は一般参列客も献花できたが、午後6時からの2部は親族や関係者のみで行われた。
この会で注目されていたのが、嫁と姑の初対面が実現するとみられていた。
実は、この会の前に再々婚妻と親族の対面は行われていた。
前出の親族関係者が話す。
「実は1ヶ月ほど前、やっと遺骨と対面できたんです。たかじんが住んでいたマンションのことでした。彼の死後、母は突然泣き出したり、なんで言ってくれへんかったんや・・・と悔しさを口にするようになりました。息子が死んだのに火葬場にすら呼ばれなかったことがショックの原因でしょう。たかじんが死んでから母は日に日に憔悴していっていました。それで母親が息子の遺骨に手を合わせる機会を作ってほしいと彼女にお願いをしたんです」
再々婚妻は親族と遺骨を対面させることを了解した。
「そして15分ほどでしたが、お母さんと兄弟一緒に遺骨へ手を合わせることができました。お母さんは言葉が出ないぐらい泣いていました。こういう形でしか息子に会えなかったのが悲しかったと思います」
そうやく対面でき、再々婚妻から出てきた言葉は、謝罪ではなく意外な言葉だった。
「彼女は自分がいかに最期まで夫を介護したかを話すばかり。謝罪の言葉すらありませんよ。それ以降、彼女からの連絡はありません」
一部では再々婚妻はたかじんの遺産目当てで結婚をしたといわれている。
たかじんの資産は5億円ほどあると報じられた。
それについて親族に聞いて見ると、「まぁ、およそ言われているようなことでしょうね・・・」と答えた。