米村知子は元インテル社長・吉田和正と不倫も!医者と結婚も離婚

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元プロテニスプレイヤーの米村知子は8歳でテニスをスタート。熊本鎮西高卒業後の2002年にプロへ転向。同年の全日本選手権でペアで準優勝。全日本選手権シングルスで2005年、2009年、2010年に準優勝。女子ダブルスでは2007年、2009年に優勝。2006年のアジア大会で女子ダブルス団体で銅メダル。2011年に現役引退。2006年に開業医と結婚したが2013年4月に離婚しています。

米村知子

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米村知子とインテル・吉田和正元社長と24歳差不倫

2013年4月に離婚したばかりだった元プロテニスプレイヤーの米村知子選手でしたが、離婚をする前からインテルの吉田和正社長(当時)と不倫関係にあったと2013年6月に報じられました。

東京・広尾(渋谷区)の商店街にたたずむ焼き鳥屋のカウンター。
日曜日の夜は客もまばらで、道ならぬ恋の舞台にはぴったりだ。

地位や名誉も手に入れた白髪まじりの男性は、家庭のことも忘れて娘ほど年の離れた美女の濃しをさすっていた。
この男性はインテルの吉田和正社長である。
インテルはアメリカに本社を置く、世界最大の半導体メーカーであり、吉田氏は日本法人のトップだった。

「アメリカの大学を卒業後、インテル本社に入社し、2003年に44歳の若さで日本法人の社長になった超エリート。私生活では洋菓子・堂島ロールをヒットさせたモンシェールの専務と数年前に再婚しています」(インテル関係者)

吉田和正

そんな吉田氏の隣で身を預けていたのは、元プロテニスプレイヤーの米村知子である。
現役時代はヨネトモの愛称で親しまれ、全日本選手権のシングルスで3度準優勝をしているが、2012年に引退している。

「ふたりが出会ったのは2012年10月、大阪で行われたヒューレット。パッカードオープンの会場ですぐに男女の仲になりました。お互いをカズさん、トモと呼び合うようになりました」(共通の知人)

米村は2013年4月に開業医との離婚が成立したばかりだった。
弁護士を立ってて何年も話し合いを持っていたというが、約6ヶ月間は時期が重なっていたことになる。

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実は、焼き鳥屋のデートまで3軒もハシゴをしていた。
2013年6月上旬の日曜日の夜7時頃、東京・六本木のけやき坂にあるバーで待ち合わせしたふたりは、すぐにそばにある寿司屋に入店。
1時間半ほどで店をでて、今度は西麻布のバーへ。
吉田氏はVIPらしく葉巻に火を付け、うまそうに紫煙をゆらす。
まるで映画のワンシーンのようだった。

ここでも1時間半ほどを過ごし店を出る。
すっかりムードのできあがったふたりは、広尾方面へと歩き始める。
吉田氏の手が米村の濃しに触れた。
スイッチが入った吉田氏は、米村の背後に回り、両手を肩に置いて歩き出す。
まるで電車ごっこをしているような姿だった。
じゃれながら移動するふたりは、大通りに出ると、道に面した大きなビルの柱の陰に隠れた、
すると吉田氏が米村の肩をマッサージ。
2~3分ほど、手や肘を使ってマッサージすると冒頭の焼き鳥屋を目指した。

それにしても4時間で4軒もハシゴとは、気持ちいいほどの飲みっぷりである。
11時過ぎに焼き鳥屋を出ると、吉田氏は米村のためにタクシーを停め、見送るのだった。

実はこの半月ほど前にも写真週刊誌フライデーはふたりのデートを目撃していた。
2013年5月中旬の日曜に、ふたりは千葉県でインテル・テニス部の面々とテニスを楽しんだ後、吉田氏の運転する車で都内に戻った。
中華料理店で昼食を取り、ふたりはテニスウェアのまま米村の住むマンションへ。
4時間後、カジュアルウェアに着替えた吉田氏は一人で部屋を後にする。
どうみても恋人同士である。

この件について、米村は、「レッスンをする講師と受講生の関係であり、男女の仲ではありませんと答えたが、なぜ吉田さんが部屋に入ったのかと質問をすると、お答えすることはできません」と言葉を濁したそうです。

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