浅田真央の彼氏がいない理由は!激やせや恩師タラソワコーチとは

フィギュアスケート選手の浅田真央はトリプルアクセルを武器に15歳だった2005年にグランプリファイナル優勝。初出場の2010年バンクーバー五輪で銀メダル。2008年に世界選手権初制覇し、2010年に日本人初となる2度目の優勝を果たした。

浅田真央

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専属トレーナーが語った極秘トレーニング

世界女王として2008年~2009シ-ズンを迎えた浅田真央は、2008年11月13日から開催の『フランス杯』で始動。フィギュアスケートのグランプリ(GP)シリーズはすでに3大会を終え、真央ちゃんは第4戦からの登場だった。

「2008年~2009シ-ズン、真央ちゃんは荒川静香も手がけたロシア人のタラソワコーチと契約しました。2008年10月5日から13日までは、このタラソワコーチがベースとするモスクワで、バレエのレッスンに大きく時間をとり、表現力にさらに磨きをかけたそうです」(フィギュア関係者)
2007年は、練習の拠点だったアメリカの食事が合わないという問題もあったが、2008年~2009シ-ズンは日本に長くいたことでその悩みも解消。

大好きな焼肉やスイーツを満喫できたという。
「2007年は、高校にもほとんど通えなかったのですが、2008年はときどき同級生たちと話ができたり、女子高生らしい時間ももてたようですよ。
『久しぶりに充実したオフ・シーズンが過ごせた』と本人も満足そうに言ってました」(地元スケート関係者)

そんな真央ちゃんに、関係者の間からこんな声が上がっていた。
「ルックスがさらに洗練されたというか、スッキリ小顔になったんですよ!」
真央ちゃんの個人的なトレーナーで、名古屋にある『龍生堂』の呉藤龍生院長が、その小顔の秘密を明かす。
「顔のむくみをとり、ゆがみを矯正すれば顔は小さくなります。
真央ちゃんは、2007年後半くらいから『先生、顔が小さくなる治療もお願いします』といって、体の治療と一緒に、いつも小顔の治療を受けています。いまでは姉の舞ちゃんも小顔の治療を受けていますね」
院長が、その具体的な治療法を解説してくれた。

「まず、頭全体をマッサージしてから、顔のゆがみをチェック。
顎関節に炎症がないかチェックしたら、顎関節と耳の前の部分にお灸をします。
このお灸は日本のお灸と違ってまったく熱くありません。
次に、吸玉(ガラス玉)を頬、顎につけ、リンパや血液の流れをよくします。
そして、当院オリジナルのクリームを顔に塗って、マッサージ。
時間をかけて顔の筋肉をリラックスさせ、代謝、循環を改善するツボを中心に揉みほぐしていく。
最後にパックをしたあと、熱いタオルで蒸し、改めてクリームを塗って小顔治療は終了です」
真央ちゃんは来院すると、この小顔治療だけで1時間から1時間半ほどかけているという。
ちなみにこの治療は60分で6千円だそう。
「治療が終わるといつもすぐ、鏡を見て『わあ、顔が細くなった』と大喜びしていますよ」(院長)
小顔になった女王は、最大のライバル、キム・ヨナと競い合う。

浅田真央

右手薬指の指輪は誰からもったの

浅田真央に初のスキャンダル?これまで男性とのスキャンダルが一切報じられたことがない浅田真央に異変が。右手の薬指にピンクの指輪がつけられていることがわかりました。贈り主は誰だったのでしょうか。

「2011年明けから、アイスショーなどで真央ちゃんのある変化にファンは敏感に気づいています」(スケート関係者)
20歳になった浅田真央に女性らしい変化がみられるというのだ。
「これまで、リンクの上で決してアクセサリーをつけなかった真央ちゃんが、右手薬指にピンクゴールドの指輪をつけるようになったんですよ」(同上)

男性からプレゼントされたのだろうか?
気になる指輪は誰から?
おしゃれに関心を持つ年ごろなので心の表れなのかも?
「もちろん、真央ちゃんはおしゃれに関心のある年ごろですが、あのリングはお守りの意味が強いですね。右手の薬指につけているリングは、お母さんとお姉さんがふたりである思いを込めてプレゼントしたようですよ」(中京大学関係者)
真央ちゃんへの愛が込められた家族の絆を象徴した指輪のようだ。 

「真央ちゃんは、2011年前半、不調でジャンプに苦しみました。そんな苦境の真央ちゃんを勇気づけようと、いつも3人一緒にジャンプしているようにと、演技中でも身につけられる指輪を贈ったのでしょう」(フィギア関係者)
恋人ができたと思われていた指輪ですが、家族からプレゼントされたものだったようです。良い家族ですね。 

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東日本大震災でのPTSDが原因でスケートの不調に

2011年8月、不調だった時期から徐々に自分のスケートを取り戻してきていた浅田真央。しかし、2011年3月11日起きた東日本大震災の影響で、2011年世界フィギュアスケート選手権が延期され、同年4月25日に開始された。結果は大惨敗の6位。浅田真央を心配する声がたくさんきかれましたが、大惨敗の原因は震災が原因で負ってしまったPTSDがあったという。

「真央ちゃんのお母さんが全日本の強化合宿に参加できない。体の疲れがとれないんですと、連絡してきました。合宿当日の朝のことでした。とてもリングにあがれる状態ではないんですということだった」(スケート連盟関係者)
どうやら浅田は体調不良を起こしていたようだ。 

体調不良にはある理由があるという。
「ハードなスケジュールをこなす真央ちゃんですが、自分の目で震災の現場を見たいと言い出したのです。それで7月27日、スケート選手も含め、数人のスタッフでタクシーで津波被害を受けた所へでかけました」
着いた場所は八戸市の市川町だった。
「まだ瓦礫の片付いていない道を走っている間、真央ちゃんは茫然と外の景色を眺めていました。真央ちゃんは弱々しい声ですごいですね・・・ともらしていました」(連盟関係者) 

真央は放心したよう表情だったという。
メンタル面で繊細な浅田。
どうやら生々しいつまみの爪痕を目の当たりにしたことで、PTSDになってしまったようだ。
「強化合宿を休んだのは、被災地を訪問してから5日後のことです。訪問直後のスケートでは笑顔を見せていましたが、日が経つにつれ、衝撃の光景を思い出しメンタル面で限界になってたのかもしれません」(別の連盟関係者)
2011年11月にはNHK杯が控え、それまでにPTSDを克服しなければならなかった。

浅田真央

浅田真央がタラソワコーチに裏切られた

2011年11月、スケートで思うような成績が残せなくなってきていた浅田真央。2014年のロシアで開催されるソチ五輪で金メダルを目指して調整を続けていましたが、それもいきなりの黄色信号が。恩師のタラソワコーチが、浅田真央に宣戦布告の裏切り行為にでていたという。

「2011年~2012シーズンはミドルティーンの若手選手の台頭で、新旧の交代の年だといわれています」(スケート関係者)
2010年~2011シーズンはGPファイナル不出場と世界選手権6位という不本意な成績に終わってしまった浅田真央。
このシーズンは2011年11月11日のNHK杯から幕を開けた。 

そんな浅田の前に立ちはだかるのが、2014年2月のソチ五輪のライバルになろうと言われている、アデリナ・ソトニコワ選手だった。
「キムヨナ、安藤美姫が欠場しているこのシーズンは、世界最高何度のトリプル・ループのコンビネーションを跳べる選手は、現役ではソトニコワ選手しかいません。実は彼女は真央ちゃんにとって因縁のある選手なんです」(同上)
2010年~2011シーズンの世界ジュニアとジュニアGPファイナルで頂点にたったソトニコワ選手。
彼女の総合コーチを務めるのが、浅田の恩師であるタラソワコーチなのだ。 

「2009年、タラソワコーチに指導を受けていた真央ちゃんは、名古屋とロシアを往復する生活を続けていました。その同じ、ロシアのスケートトレーニングセンターで一緒に練習を受けていたのが当時13歳だったソトニコワ選手です」
そしてふたりの初顔合わせが今季見られるという。
「2011年~2012シーズン、ソトニコワ選手は、2011年11月25日からのロシア杯にエントリーしています。そのロシア杯には真央ちゃんも出場します。初の直接対決になります」 

そして、タラソワコーチは、ふたりの愛弟子にまったく同じ曲で勝負をさせるという奇策に出た。
「信じられないことに、タラソワコーチは、ソトニコワ選手に今季のフリープログラムとして、真央ちゃんと同じ愛の夢を選曲したんです。その裏には、憧れの先輩に勝つことで少しでも自信をつけさせてあげたいという思いがあるようです。ロシアでは真央潰しだと言われていますよ」(同上)
ついに始まった世代交代をかけた対決だった。

タチアナ タラソワ

浅田真央の実は21年間恋人がいない理由とは

2011年5月にフィギアスケート男子・高橋大輔との熱愛が報じられた浅田真央でしたが、交際はしていなかったという。21年生きてきて恋人を作ったことがないようです。すべては2011年12月に肝硬変のため亡くなった母が娘の恋人として条件が原因だったようです。

母の急逝を乗り越え、2011年12月23日からの全日本選手権に向けて練習を頑張っていた浅田真央。
母の死のショックを感じさせないほどの滑りを見せていた。
練習を共にする小塚崇彦といった男子達とも親密な浅田。
母は生前、知人にこのようなことを漏らしていたという。
「真央も年ごろだから恋人を作ってもいいんじゃない」という話を笑いながらしたことがあるんです。 

真央ちゃんはずっとスケート一筋で、異性に対しての免疫もほとんどありません。
「彼氏いない歴は21年なのよと話していました」(母の知人)
そこで、この知人が高橋選手とかは恋人にはどうなの?と聞いたところ、こんな回答があったという。
「真央ちゃんのお母さんは、真央と彼らはすっごく仲がいいけど、小さい頃からずっと一緒だから恋愛感情とかは育たないだろうねといってました」(同上) 

匡子さんは、恋人の条件を挙げたという。
「その条件は、背が高くて、面白くて、優しくて、でも男っぽくて、包容力があって、どこでも生き続けていけそうな生命力がある男性が理想ねと話していました。
真央ちゃんの周辺で、この条件に当てはまるのは、彼女の父かもしれません。匡子さんは、真央ちゃんの理想の恋人に夫のような男性を思い描いていたのかもしれませんね」
母の死を乗り越え、どんな彼氏を作る?

浅田真央

浅田真央がGPファイナルで優勝した秘訣とは

2012年12月、4年ぶり3回目の優勝をした浅田真央。2011年はこの大会は母の容体が急変したので出場することはできませんでした。そのためなんとしてもこの大会は勝ちたかったようです。体調はあまりよくなかったようですが、見事に優勝しました。

「姉の舞ちゃんが真央は、ソチのリングに立つことを本当に楽しみにしていました。ママにも見せたかったなぁって・・・と話していましたね」(スケート関係者)
2014年五輪の開催地であるソチで行われたグランプリファイナルで見事に優勝した浅田真央。
2011年は、この大会は母の容体が急変し、急遽帰国したから参加できなかった。

それからちょうど1年だった。
「匡子さんは、バンクーバー直後から体調を崩し、療養を余儀なくされていました。真央ちゃんには、バンクーバーであれだけ頑張ったんだから、あとは楽しく滑ってほしいと話していたそうです。それでもソチ五輪での演技を母に見せたいと思い続けていたようです」(フィギュア関係者)

母が亡くなってから、浅田が必ずバッグに忍ばせている物がある。
20歳のお祝いに、母と姉からプレゼントされた指輪だ。
浅田は大会に出場する際に、いつもこのピンクのリングをバッグに入れて、「このリングを持っていると落ち着く」と口にしているという。

「彼女は母の形見の指輪を肌身離さず持つことで、ママとはいつも一緒だから、もう泣かないと自分に誓ったのでしょう。14年のソチ五輪で、真央ちゃんは母への思いを込めて、形見のリングをつけて滑りたいと思っていたそうです」(別のフィギュア関係者)

浅田真央

浅田真央が激やせ!何があった

2012年2月、また不安な材料が・・・浅田真央が激やせ。母が亡くなってから、心配されていましたが無事に全日本フィギア選手権では優勝し精神的な強さをみせましたが、疲れがでてるのでしょうか、激やせしてたという。

「四大大陸選手権で話題になったのは、真央ちゃんが突然衣装をチェンジしてきたとこですね。ショートプログラムではシーズン当初話題になったパンツからスカートの衣装に替わりました。フリーで使われる衣装も胸を強調する衣装になりましたね」(スケート関係者)
2012年2月中旬の四大大陸選手権は2位で終わった浅田真央。
演技以外でも気になったところがあった。 

「気になったのは、彼女の体形の変化ですね。本来スケートの衣装は体にぴったり合っているはずなのですが、背中から腰にかけての部分に、体が細くなったことによる隙間ができていました。真央ちゃんのベスト体重は48キロと言われていますが、今回は43~44キロくらいまで落ちてたみたいです」(同上)
浅田はなぜ痩せたのだろうか? 

2011年12月に母を亡くしてから、大会が終わった後、彼女が楽しみにしてたことがなくなっているという。
「それはご褒美の食事会です。元気だった頃のお母さんの口癖は、大会で頑張ったらお腹いっぱい焼肉やデザートを食べていいからねというものでした。母が死んでから食生活に変化があったのが原因でしょう」(浅田家の知人)
2012年3月末にフランスでの世界選手権があるが、体重を元に戻す事はできるのか。

浅田真央

浅田真央に熱愛発覚!フィギュア男子・日野龍樹がお気に入り

ソチ五輪で引退することを告白した浅田真央。当時22歳と若く引退を惜しむ声が多かった。引退の理由に、結婚をして子供が欲しいとも言っていたようです。22歳と言えば、恋愛をしてもおかしくない年頃ですね。

小さい頃からずっとフィギュアスケート漬けだった浅田選手なだけに、普通の女の子に戻りたい気持ちも理解できます。そんな浅田選手ですが、片想いの男性がいるようです。お相手はフィギュア男子・日野龍樹で父がロシアで母が日本のハーフだそうです

「2013年に入って引退を徐々に思い始め、気持ちのなかで引退が大きくなったときがありました」(浅田真央)
そう話す浅田の表情は吹っ切れているように見えた。

突然の引退発表は波紋を呼び、2013年4月14日に改め記者会見が行われた。
「将来的には子供が欲しいです。よい旦那さんとめぐり合って家庭を築きたいと思います」と語った。

浅田は5歳から17年間スケート一筋に邁進してきた。
15歳でシニア参戦してからは、日本フィギュア界を背負ってエースとして頑張ってきた。
22歳になった彼女にはどんな心境の変化があったのだろうか?
「中京大学の同級生たちは、デートや合コンを楽しみ、キャンパスライフを存分に謳歌しています。そんな同い年の女子達を横目に、真央ちゃんはひとり黙々と練習に励みながら、うらやましい気持ちになったと思います。子供の頃のスケート仲間が結婚したといった情報も自然に入ってきますし」(浅田の知人)

日野龍樹

私生活もスケートに捧げてきた。ここにきて、乙女心が芽生えてきたという。
「20歳を過ぎた頃でしょうか?しきりにスケジュールを気にしないで自由に旅行がしたい!というようになりました。もうひとつは、やっぱり年頃ですから、恋愛願望ですね。普通の女の子のようにデートしてみたいという憧れは強いと思います」(スケート関係者)

浅田は現在付き合っている彼はいないようだが、理想の彼については理想をふくらませているようだ。
年上がいいという浅田だが、実は年下ながらちょっと気になる男の子がいるようだ。
2013年4月から浅田と同じ中京大に入学し、同じリングで練習していた4歳年下の日野龍樹。

村上佳菜子選手とは高校・大学の同級生で、2011年と2012年の全日本ジュニア選手権を連覇している。
「真央ちゃんと日野くんは同じリングで練習することもあり、ほかの選手仲間と一緒にランチになることもあります。真央ちゃんは彼の事をかっこいいねと笑顔で話していましたよ」(大学関係者)

当時、浅田は自ら音頭をとって、日野とカラオケに行くこともあったという。
「練習が終わった後などに、仲のいい選手でカラオケに行くこともありますが、真央ちゃんは佳菜子ちゃんを誘うと必ず日野くんも呼んでねとリクエストするそうです」(別の大学関係者)
ソチ五輪が終わると浅田は本格的に普通の女の子に戻る予定だった・・・

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