吉田麻也のサッカー日本代表選手の強さの裏に隠された難病少年との約束

プロサッカー選手の吉田麻也は2001年から名古屋ユースに所属。2007年に名古屋グランパスに昇格。2009年にオランダ1部VVVフェンロに移籍。2009年12月に日本代表に初招集されセンターバックのレギュラーに。2012年にイングランドのサウサンプトンFCへ移籍。2008年の北京、2012年のロンドンの五輪代表。2012年9月に名古屋時代から交際していた1歳年上の一般女性と結婚。2014年のW杯ブラジル大会代表。

吉田麻也

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吉田麻也は難病の子供とその家族へ夢に協力を続ける

2012年7月、ロンドン五輪でサッカーは男子日本代表は大健闘してた。残念ながら準決勝でメキシコに敗れたが、韓国との3位決定戦が決まり銅メダルをとれる可能性があった。その原動力のひとつになっていたのが、吉田麻也選手と難病少年との約束だった。

「出会いを大切にしたい。少しでも勇気づけられるように頑張ります」
五輪直前、こう語ったのは、サッカー男子日本代表の吉田麻也選手だ。優勝候補のスペインを破り快進撃を続けていた日本代表。惜しくも準決勝では敗れたが、3位への望みはあった。

吉田麻也

そんな彼が語った出会いという言葉。そこにはある少年との交流があった。吉田は社団法人・難病の子供とその家族へ夢に協力を続けてきた。
代表理事が語る。
「吉田選手から社会貢献をしたいと2011年10月にお話をいただきました。そこでクリスマスに初めてお会いし、東京の国立がん研究センターの小児科病棟を慰問しました。この時、大阪在住の難病の当11時歳の少年・Aくんと家族も上京し、吉田選手と対面するはずだったんです。しかし、Aくんは移動が負担になり途中で発作を起こして病院に搬送されてしまったんです」

会う夢は、かなわなかったが、吉田は、Aくんの兄にサインTシャツやサッカーボールをプレゼントした。
「それ以来、AくんはこのTシャツを毎日着て、吉田選手に本当にあった気がすると明るくなって過ごしています。五輪も応援しているようです」(同上)

Aくんの病名は、先天性の完全大血管転位症という難病。完全大血管転位症は、先天性の心臓疾患で早期手術しか治療法がない。体は常に酸欠状態で、肝臓障害や多くの臓器不全を併発する。小学校6年まで成長したのは幸運で、再手術をしても繰り返すことがある病気のようです。

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「難病の子供達は、Aくんに限らず、みな余命宣告に逆らうように懸命に生きている。今日、目が覚めて、またサッカーが見れるのは奇跡だと思いながら。Aくんは吉田選手が自分を応援してくれていると元気をもらっているのです」(同上)

吉田がここまで難病の子供を支援したいという思い。そこには、彼のサッカー人生が背景にある。吉田は17歳以下代表も20歳以下代表も候補止まり。悔しい思いをしてようやく手にした代表の北京五輪で3戦全敗という苦い経験がる。
「彼はよく、僕はサッカーはうまくないと言うんです。いつも周りに支えられ、たまたまここまで来られたと。だからこそ今度は、自分が病気で苦しむ子供を支援する番だと話してくれました」(同上)
Aくんは、この2012年8月に手術を受ける予定だった。吉田選手と絶対に会うんだと約束の日を楽しみにしていた。

準決勝のメキシコ戦に敗れた日本代表は、3位決定戦で韓国と対戦。結果は敗れ4位に終わりメダル獲得には届かなかった。結果は残念だったが、吉田選手の活躍にAくんは満足していたと思う。

吉田は2014年5月のW杯ブラジル大会の日本代表メンバーに選出。ザックジャパンのセンターバックとして全試合にスタメン出場するも、惜しくもグループリーグで敗退してしまいました。

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