市川染五郎は舞台から転落事故で重症も!結婚した嫁や子供は

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歌舞伎俳優の市川染五郎は、9代目松本幸四郎の長男として、1979年に歌舞伎座で松本金太郎の芸名で初舞台。同年にNHK大河ドラマ「黄金の日日」でドラマデビュー。1981年10月に7代目市川染五郎を襲名。歌舞伎の他、1997年の映画「ラヂオの時間」に初出演。フジテレビ系「ブランド」、TBS系「ヨイショの男」や、舞台「マトリョーシカ」などにも出演。本名は藤間照薫。屋号は高麗屋。

市川染五郎

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舞台から転落し怪我が思っていたより重症

市川染五郎が、2012年8月27日に舞台から3メートルの下へ転落し、病院に運ばれ入院に。当時、意識もあり命に別状はなかったというが、もう少しで命の危機だったようです。右手は複雑骨折していたそうです。

「染五郎さんは、稽古にいかなければと体を起こそうとするのですが、医者が慌てて止めている状況です」(ある歌舞伎町関係者)

3メートルの高さから落下し救急車で病院に運ばれた染五郎は入院していた。
一時は命の危機さえも聞こえてきた。
この事故は多くの歌舞伎ファンの目前で起きただけにしょの衝撃はあまりにも大きかった。

午後5時、国立劇場の大ホールは1000人の観客で埋め尽くされていた。
この日は、松本幸四郎の古希を祝う第十回松鸚(しょうおう)会の初日。
さらに染五郎の長女・美瑠ちゃんのお披露目台ということもあって、多くのマスコミが駆けつけていた。

午後6時、舞台中央のセリが上がり開演。
染五郎が舞台上に登場した。
「あーちゃんでござりまする。何が起きるかわからない歌舞伎の踊り。隅から隅までご覧下さりましょう」
自らの愛称あーちゃんをタイトルにした創作舞踏を披露する染五郎。
続いて、セリから美瑠ちゃんが登場し、愛娘の手を取り、華麗に踊る染五郎の姿に客席からは惜しみない拍手が送られた。

開演から30分過ぎた第一幕終演近くのこと。
踊る染五郎は少しずつ後ろにさがりながら、「でん、でん、でん」と叫び、そして右手を大きく振り、勢いをつけるために体を後方にのけぞらせた次の瞬間、その姿が突然舞台から消えた。
「最初は演出だと思ってました。でも袖から舞台監督が走ってきて、奈落を覗いていました。そうしたらスタッフに手でバツ印をだして」(観客のひとり)

血相を変え、舞台に駆け上がる数名のスタッフ。
「救急車!救急車!」と叫び、客席からは悲鳴が・・・。
そしてどん帳が下り、公演中止のアナウンスが流れた。

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先にセリフを降りていた共演者の尾上菊之丞が、染五郎に真っ先にかけつけていた。
「血だらけの染五郎さんを抱きかかえながら、頭を動かすなよと叫んでいました」(劇場関係者)
染五郎は、意識がないままに手足を動かしまるで踊り続けているかのようだったという。

抱きかかえられた染五郎は楽屋に運ばれた。
「父である幸四郎さんは、てるまさ!(本名)で何度も大声で叫び続けていました」(同上)
運良く、客席の中にふたりの医師がおり、楽屋にやってきた彼らは、救急車が来るまで適切な処置をしてくれていた。
そして20分後に救急車によって染五郎は運び出された。
酸素マスクを付け、ベルトで担架に固定された。
そんな父の姿を見た長男・金太郎くんと美瑠ちゃんはショックで泣いていた。

当時、染五郎の怪我は、右側頭部と右半身の打撲だったが、右手の骨折も判明した。
「幸四郎さんは多くは語りませんでしたが、右手は複雑骨折だそうで、復帰には時間がかかるようです。歌舞伎の踊りは腕、そして指先の動きが重要だから、復帰したとしても元の動きが取り戻せるかどうか・・・」(歌舞伎関係者)
役者人生に危機が迫るほどの怪我なので心配する声もあった。

染五郎は父は歌舞伎俳優の松本幸四郎、姉は女優の松本紀保、妹は女優の松たか子という役者一家。1997年7月に18歳のときに舞台で知り合ったという6歳年上の元女優との間に隠し子いたことが発覚。すでに認知しているが子どもには一度も会ったことはないという。

その後、女優の寺島しのぶとの交際も報道されたが、2003年11月に高校時代の友人だった関園子と結婚。2005年3月に長男・齋(いつき)、2007年2月に長女・美瑠が誕生。2009年に長男・齋が4代目松本金太郎を名乗り初舞台。2012年には長女・薫子が松田美瑠を名乗り初舞台を踏んだ。

そして、2013年2月に日生劇場で開催されたた公演で歌舞伎舞台に復帰しています。

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