今井メロは父親の教育でスノーボード五輪出場も現在までの転落人生
元スノーボードハーフパイプ選手の今井メロは兄の成田童夢と同じように競技を始め、12歳で史上最年少プロスノーボーダーに認定。2002年に世界ジュニア選手権で優勝。2006年のトリノ五輪にも兄とともに出場したが予選敗退。2012年9月に自叙伝「泣いて、病んで、でも笑って」を出版しています。
今井メロが過去を認める!豪遊で500万使い返済のためお水で働いた
2006年のトリノ五輪スノーボード女子選手として一時話題になった今井メロ。兄は元スノーボード選手の成田童夢。今井メロは、引退後は荒れた生活を送っていたようです。2012年には結婚をし生活保護を受けているとも報じられました。
そんな今井メロが堕落していった原因をなぜなのか告白をしています。
今井メロは幼少期に兄・童夢とともに父親の成田隆史氏の指導を受け、ウェイクボードを始める。その後、スノーボードを始め、12歳で史上最年少プロスノーボーダーに認定。2002年に世界ジュニア選手権を制覇し、2004~2005年シーズンで種目別総合優勝を果たす。
2005年9月にスノーボードメーカーとスポンサー契約にこぎつけたが、父親の成田隆史氏と指導方法の違いなどから離別。母親の成田多美江さんは隆史氏と離婚した事もあって、今井姓とし今井メロに改名。
2006年にトリノオリンピックに出場。オリジナル技のメロウ・セブンで攻めたが競技二本とも転倒し予選敗退しバッシングを受け引退に。
2010年8月に1歳年下の一般男性と結婚と男児を出産していたことを公表も、のちに離婚。2011年9月2度目の夫と再婚するも、2012年8月に離婚。2012年9月に自叙伝「泣いて、病んで、でも笑って」を出版した。
スポーツ紙の取材にメロは。
記者:メロさんは、トリノ五輪で競技中に転倒し減りで搬送されるなどして、予選敗退をしました。以来、ずっとバッシングをされ続けていましたが、なぜ今回本を出そうと思ったのですか?
メロ:五輪でバッシングされてしまった私は、様々な疑惑が報じられてきました。疑惑を疑惑のままにしていると何かあるたびに蒸し返されおびえながら生きるぐらいならここでケジメをつけたいと思いました。
本の内容は、襲われ、未遂、お水(風俗)など書かれていた。
メロ:確かに最初は複雑で戸惑いました。このほか生活保護の問題、異常妊娠、子供を児童相談所に預けた話など・・・全てのことを書きました。
現在、私には長男と長女のふたりの子供がいます。
この子供達がいつか私の本を手にして読む日が来る。
それでもお母さんは恥ずかしくない生き方をしたと堂々と話したいんです。
メロ:トリノ五輪後に母と喧嘩して家出したんです。向かった先は大阪ミナミ。何かあるわけじゃなかったんですが、夜の世界に飛び込んだのは憧れからでした。
お金目的ではないそうだ。
メロ:練習が厳しくて遊ぶ暇がなかったのでスポンサーからの収入は手つかずでした。小学校、中学校なんて午前4時に起きて午後10時まで練習をしていました。学校もほとんど行った記憶がありません。
それがなぜ風俗嬢に?
メロ:ホスト通いが原因です。キャバに勤め始めて、ある日、ミナミを歩いていたらホストに声を掛けられて、それでついていってお店でお酒を飲むうちにのめり込んだ。総額で500万は使ったと思う。金遣いが荒くなって当然貯金も無くなります。そんな時に友達の結婚士気があって、10万円は包みたいし、ドレスも必要やなぁと思っていたら、同僚の子に風俗を紹介されて働くことにしました・・・
これまでの反動で遊びにはまり、お水の仕事をすることによって体験を得て、ホスト遊びにはまる。
連日ホストクラブで高額なお酒を飲み続け、お金がなくなり、結婚式などのお金を早急に工面するために風俗で働くことになったとのこと。
本の出版も経済的事情の可能性が高かった。ふたりの子供を育てるのは大変ですからね。
今井メロは彼氏から金をゆすられていた
どこで人生の歯車が狂ったのでしょうか。風俗で働く、生活保護、2度の離婚。そして薬物使用疑惑まで浮上していたという。本人のブログでは、娘・真里愛ちゃんは療養施設に預けられていると告白しました。そして、薬の関係で彼氏からお金をゆすられていたと2013年7月に報じられました。
今井メロに薬物疑惑が浮上していた。
そして交際相手からそれをダシにお金をゆすられていたというのだ。
競技を離れてから、風俗、全身整形、自ら命を絶とうとするなど衝撃な過去を告白することで、第二の人生を歩もうとしたはずが、再び暗転。
芸能活動の危機に瀕している。
週刊誌によると、Aという男性と交際していたメロが、薬物を使用している際の写真や動画で脅されていたという。
メロはこの件について否定をしていた。
しかし、薬物を使用した動画をばらまくと言われ、500万円を渡したことを告白。
だが、一方でメロ自身言ってることが支離滅裂だったとも。
しかも、Aの言い分とは異なっており、対応に苦慮した事務所はメロを見放すまでになっていたようだ。
メロは、自伝「泣いて、病んで、でも笑って」で波乱の反省をすべて打ち明け第二の人生を歩もうとしていたはず。
2013年4月には写真集も出版したのに、なぜまた転落へと進んだのか・・・。
あるテレビ関係者はこう話す。
「もともとメロさんは非常に精神的に不安定で、こちらとしても使いにくかった。例えば出演がまとまっていたのに、それをキャンセルしたりするんです。言動もおかしな点が多く、収録する時、危なっかしいんです。事務所は契約違反になることを恐れて2013年5月に解雇したと聞きました」
メロは過去に自ら命を絶とうとしたことも告白していて、普段から精神が人より不安定なので難しいかもしれない。
しかし、それ以外にもメロが転落する契機となった出来事があった。
「実は写真集と同時に主演映画の話があったんですよ。メロとしては映画を成功させるための起爆剤として写真集を出す決意をした。子供もふたりを抱え、母として賭けだった。ところが、映画の話が消滅してしまったことで、行き場がなくなってしまったんです。その頃から精神的にかなりやばくなり始めた」(大手芸能プロ幹部)
そんな時に現れたのがAだったそうです。
メロは現在シングルマザーとなり、バラエティ番組などにも出演したり、2人の子供のために奮闘しているようです。