片山晋呉は女性問題で妻と泥沼離婚も慰謝料8000万円で和解

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プロゴルファーの片山晋呉は、実家がゴルフ練習場を経営しており2歳でゴルフを始め、5歳でラウンドデビュー。1995年にプロテストに合格。1997年に初の賞金シード獲得。1998年のサンコーグランドサマーでツアー初優勝。2000年から賞金王を4度獲得。2001年の全米プロ、2009年のマスターズで日本人最高の4位に入っています。

片山晋呉

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片山晋呉が妻に慰謝料5億円を要求されていた

国内では圧倒的な強さで賞金王に何度も輝き2011年、全米で活躍していた片山晋呉選手に泥沼の離婚問題が浮上していた。しかも、妻は5億円の慰謝料を求めていたという。離婚の原因は何だったでしょうか?

妻・みち代さんとの泥沼離婚が発覚した片山晋呉。
夫人から5億円の慰謝料を要求されたという。
みち代さんと出会ったのは中学3年のゴルフ大会だった。
そして、片山が大学に進学すると本格的に交際をはじめた。 

1999年に結婚をした。
しかし、8年後、片山には愛人がいると報じられた。
「その際、みち代さんのお父さんは、片山さんに愛人がいることを認め、ふたりは2005年から別居しているとも明かしている」(スポーツ紙記者)
みち代さんは、彼には少なくとも3人の愛人がいると語っていた。 

2010年12月には離婚について話し合い、みち代さん名義の口座に入っている片山の収入6000万円とさらに1億4000万円を要求し、片山もこれには合意をしていたという。
しかし、その後、片山が母や妹ら家族と話し合うと状況は一転。
「1億4000万円は払いすぎ。調停に持ち込んだら0円になる」と慰謝料の支払いを拒んできた。
みち代さんは弁護士と相談することになる。
改めて試算したら5億円を片山側に請求すべき調停の申し立てを行った。 

片山晋呉

片山晋呉の浮気が原因で泥沼離婚

一度は離婚の慰謝料2億円で合意したけど、片山家側の高すぎるということで、片山は支払いを拒否。そして、押さえていた怒りが爆発した妻・みち代さんは弁護士に慰謝料を査定してもらい5億円を要求したという。

「結婚生活10年間で、夫の不倫の証拠がある場合、慰謝料の相場は300~1000万円ほど。5億というのは、夫の試算に応じた財産分与を含めての数字じゃないでしょうか」(離婚問題に詳しい弁護士)
「財産分与は同居期間中に夫婦が貯蓄した財産をおよそ半分に分配するというもの。別居期間は含まれません。しかもこの場合、同居期間は5年前までなので、その時の資産の証拠が必要になる」(同上) 

さらに浮気による慰謝料を請求する場合は、明確な証拠も必要。
「浮気してるでしょ?と問い詰めて、証拠を隠されてしまう前に、夫の財布から愛ホテルの領収証、携帯のメール、写真などの浮気の確証をまず集めること。近所の人や知人たちからも、夫の行動の様子や他の女性の動きはないかといった話をとっておくことも必要です」
実際に、みち代さんは、片山の自宅近所に住む知人から、別の女性が洗濯物を干したり、一緒に帰宅する様子を教えてもらっていたという。 

しかし、これだけ証拠を集めても、不倫の場合は、肉体関係があった証拠も必要だということです。
例えば、ホテルにふたりが一緒にいた。
あるいは、彼女の部屋に夫が泊まって、その間に誰も出入りがなかったなど。
一般の人がこのような情報収集をするには、かなり困難なため、調査会社に必要な証拠などを集めてもらう人も多いようだ。
妻のみち代さんは、どこまで不倫の証拠を持っていたのだろうか。

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片山晋呉夫婦が泥沼離婚調停!姑は嫁に慰謝料なんて払うか

学生時代にゴルフがきっかけで交際が始まり、結婚後も片山選手を支え続けた妻。しかし、片山選手は不倫をし、怒った妻・みち代さんは離婚を決意。慰謝料は5億円を要求していると2011年に報じられたりしてましたが、離婚調停では解決しない方向に向かっていたようです。

「ふたりの関係に亀裂が入り始めたのは2007年頃からでした。今はもう修復不可能で離婚調停が続いています」(ゴルフ関係者)
1999年にふたりは結婚をし、怪我などもあって、成績が伸びなかった片山を陰で支えていた妻。
そして、片山は賞金王になる。
しかし、もっとゴルフを極めたいからという片山のわがままで2007年頃にふたりが別居生活を始める。 

「片山は、マンションに複数の女性を連れ込み不倫を繰り返していた。妻にばれてからは、謝罪の言葉はするものの、みち代さんのもとに帰ることはありませんでした」(スポーツ紙記者)
そして、ふたりは3年の冷却期間を経て、離婚の同意が交わされた。
「夫が獲得した賞金は50億円に達することから、みち代さんは常識範囲内での慰謝料1億4千万円を希望しました。片山も一旦は受け入れました」(スポーツ紙記者) 

しかし、母と妹がこのことに激怒し、片山は慰謝料の支払いの拒否をつきつける。
「もともと、この嫁と姑は、結婚当初から折り合いが悪かったようです。片山も2008年の賞金王をピークに、この数年は成績が下降。片山の母は、いまの現状で1億4千万も払えないと思ったのではないでしょうか」(ゴルフ関係者)
2011年CMは7社と契約をしていたが、離婚問題でイメージが悪化すれば契約が減ることは避けられないだろう。
この離婚問題は、嫁と片山ではなく、嫁と姑との争いだったようです。

片山晋呉

片山晋呉の元夫人との離婚問題に決着!慰謝料は8000万円で和解

学生時代からずっと支えてくれていた妻・みち代さん。それなのに、浮気をして妻を裏切った片山晋呉。さらに、愛人は最低でも3人はいると妻を情報を掴んでいたこの泥沼裁判。最初は5億円を要求してましたが、8000万円で決着したという。なぜ、こんなに値切られたのでしょうか?

「2012年4月から始まったツアーでは、片山は好調なスタートを切りました。離婚調停に終止符が打たれ、精神的に落ち着いたのが大きかったようです」(ゴルフ担当者)
2011年11月、12年連れ添った妻。みち代さんとの離婚合意が成立。
しかし、慰謝料の額に夫婦で大きな開きがあり泥沼化していた。 

「もともとプロに入り後になかなか成績をマークできなかった片山を支えたのがみち代さんでした。離婚の原因は彼の浮気です。請求した慰謝料は5億円でした」(ゴルフ関係者)
この慰謝料の額に異を唱えたのは、片山の母・節子さんだった。
「節子さんは、あの女は結婚生活12年と主張するけど、実質的にあのふたりに夫婦生活はなかった。だからあの女には一銭も払わない!と調停の席で主張したといわれています」(同上)

5ヶ月移譲も揉めたため、裁判必至といわれていた離婚調停が、突然終末をみたのは2011年11月だった。
慰謝料8000万円での離婚成立だった。
激安で和解した理由とは何なのか?
「実は、みち代さんは離婚調停がはじまる少し前からリボンティーノジャパンというファッションブランドを立ち上げ、実業家として第一歩を踏み出しています。主な商品は、女性用ゴルフストッキングなどで話題を呼んでいました。」(同上)

慰謝料が大きく抑えられた理由には、彼女の好調な業績もあったようだ。
離婚後もみち代さんは、片山みち代と名乗っており、その効果もありビジネスも成功してるとのことです。
離婚後も片山を名乗ることを許されたのが大幅減額の一因だったようです。

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