三谷幸喜は元妻・小林聡美と離婚を後悔!再婚したyumaとは
脚本家、俳優の三谷幸喜は大学在学中の1983年に劇団「東京サンシャインボーイズ」を旗揚げ。1991年に三谷脚本の映画「12人の優しい日本人」がヒット。1994年からドラマ演出、映画監督としても活躍。ドラマでは「古畑任三郎」「王様のレストラン」「新選組!」、映画では「ラヂオの時間」「THE 有頂天ホテル」が代表作。
三谷幸喜と小林聡美が離婚
1995年10月、電撃入籍した三谷幸喜と小林聡美が都内で会見をした。
「どんな家庭にしたいですか?」との質問に「友達が寄りつかない家庭にしたいですね」と三谷が答えると小林も同じですと笑いながら会見をした。
当時、ふたりの会見は終始和やかな雰囲気だった。
結婚後もそれぞれ書いたエッセイには、お互いに「オット」、「妻」として登場し、おしどり夫婦ぶりは何も変わらないように思われていた・・・・。
しかし、2011年5月23日に離婚した。
マスコミ各社に送られたファックスには、こんな心境が綴られていた。
「これといったはっきりした理由があるわけではありません。ただ長く生活をともにしている間に、考え方や価値観の小さな違いが積み重なり、それがどんどん大きくなってしまったようです」
ふたりの出会いは1988年に放送されたドラマ・やっぱり猫が好きで、脚本家と主演女優としてだった。
結婚当時の三谷の課題は、小林が連れて来た2匹の猫に気に入られることだった。
そのころの三谷は、猫アレルギーで、猫が歩き回った部屋にいるとくしゃみが止まらなくなった。
でも、「アレルギーごときで、このご縁がなかったものになるのは非常に悔しい」と、ひたすら猫との時間を共有したのだった。
努力の甲斐があってアレルギーは克服したものの、人見知りの彼らはなかなか心を開いてくれず、引っかかれる毎日だったようだ。
そして、ついに奇跡が起きた。
結婚して半年ほどたった時に、小林が仕事で海外に出掛けている時に、三谷がいきなり呼吸ができなくなって目を覚ますと、それまで一緒にいてくれなかった猫が、目の前に寝そべっていたそうだ。
その時のことをエッセイでこう語っている。
「あの時は本当に嬉しかった。奥さんの連れ子が初めてお父さんと呼んでくれたあの思い」
夫婦には子供はいなかったが、ふたりにとって猫は大事な家族であり子供だった。
離婚原因は女性問題だった
一家が暮らした家は、会見で三谷がいっていたように「友達がよりつかない家庭」だった。三谷は売れっ子脚本家で仕事は家こもっていていたので、何時から何時までという区切りもない。
そして、仕事モードに入ると独特のピリピリ感があった。
「一度、彼女の留守中に彼女の父親が訪ねたことがあったんですが、三谷さんは家に入れなかったそうです。約束をしていた親しい舞台仲間だって家にいれない。そんなんだから彼女も友達を呼べなかった」(小林の知人)
三谷が仕事に入ると、小林は家であまり話しかけないし、近寄らない。
台所に彼が何か飲みに来たときも見ないようにしていたという。
「御飯をつくるのもいつの間にかやめてましたね。ちゃんと作って用意しても、仕事で行き詰まっていると、今日は食べれないとかいうようで、お互い嫌な気分になるからいっそやめちゃおうって」(小林の知人)
何があっても三谷に合わせてきた小林だったが、彼女が許せないことが05年に発覚した。
「三谷さんの女性関係について周囲から聞くようになったそうです。一時は別居状態ともいわれました。そのとき、実はネコのおとっつぁんの具合が悪くなっていた。老衰だったんです。でもそれが夫婦としてもう一度やり直すきっかけになったようです」(芸能関係者)
しかし、2008年の夏、17才でネコは死んでしまった。
結婚13年、夫婦にとっては、一緒に暮らす家族との初めての別れとなった。
2008年11月に公演された舞台・グッドナイト スリイプタイトでは、30年連れ添った夫婦の出会い、冷め切った夫婦生活、夫の浮気、ペットの死をリアルに描いた。
三谷は決して認めてはいないが、モデルは小林と三谷自身の関係ではないかと誰もが思っていた。
ネコのおとっつぁんが無くなってから、もう1匹飼っていたネコのおっしーにも異変が生じた。
物心ついたときから一緒に暮らしていたパートナーを失ったからか?食欲がなくなり、夜になると切ない声で鳴くようになった。
18才の老猫は日増しに衰弱していった。
そして、2010年4月におっしーは、三谷が他の猫や犬の夕食の支度をしているわずかな間に眠るように息をひきとった。
その後、近所では小林の姿を見られていない。
三谷がひとりで散歩をしている姿は目撃されているのに・・・。
離婚届けを提出した小林は「これからの時間は、好きな人たちと好きなことをするために費やしたい」と言っていた。
猫の死で期するものがあったのだろうか?
ネコで始まった縁がネコで終わったようですね。
見えない力でふたりが守られていたのかも知れませんね。
小林聡美は近所に住んで愛犬に面会
16年間の結婚生活に終わりを告げ、突然の離婚発表。離婚の理由は、「これといったはっきりした理由があるわけではありません。ただ、考え方や価値観の小さな違いが積み重なり、それがだんだん大きくなってしまった」と言っていました。しかし、離婚してもふたりは仲がいいようで、三谷の近所に小林は住んでいて、離婚後もよく会いに行っていたようです。
「いまは彼が唯一の家族。この前、彼にずっとぼくと一緒ににいるけど、どんな時が楽しいって聞いたら、散歩の信号待ちっていってました」
三谷幸喜はインタビューでそのように語っていた。
唯一の家族の彼とは、ラブラドール・レトリーバー(犬)のとびのことだ。
子供がいなかったふたりの間には、いつも子供のように可愛がっていたとびがいた。
離婚後、三谷はとびとそのまま家に残り、小林は猫のホイとペーパーを連れて出て行った。
しかし、それから7ヶ月、三谷の自宅近くの公園や商店街では、離婚前と変わらず、とびと小林が散歩している姿が目撃されていた。
さらに、小林が新居として購入したマンションは、三谷の家から徒歩5分のところにあった。
もともと、三谷は猫アレルギーで、猫が歩き回った部屋に入るとくしゃみがとまらなかった。
でも、ひたすら我慢して、一緒にいたら、奇跡的に猫アレルギーが解消。
さらに、それまで寄りつくことがなかった猫までもが心を開いてくれるようになったという。
「とびは三谷さんが引き取りましたが、小林さんにとっても子供同然。車が苦手なため、遠くまでは移動できないとびにいつまでも会えるようにと、小林さんは三谷の近くに新居を構えたんですよ」(小林の知人)
ペットは離婚をしても子供のように親権はないそうです。
あくまで財産として分配されてしまう。
そのため、ふたりは話し合って、このように飼っていくことに決めたようです。
小さなずれが蓄積されていくことはそんなにも我慢ができないことだったのでしょうか・・・。
小林聡美と別れてよかった!今は絶好調
夫婦関係は冷めていて、価値観の違いで別れたと報告していた三谷幸喜と小林聡美。はっきりとした理由はわからずの離婚でしたが、三谷幸喜には女性が何人もいるとも報じられました。三谷の方は、離婚をしてよかったと周りの人に明かしていたそうです。
「三谷さんは、小林さんとの離婚後の方が仕事は順調のようです。遅筆で有名でしたが、映画・ドラマ・舞台と並行して書けるほど絶好調のようです」(映画関係者)
2011年5月に三谷幸喜は小林聡美と離婚。
「三谷さんは家庭生活よりも、仕事が最優先でした。小林さんにも妻より女優であることをずっと望んでいたといいます。彼女のことを最高のコメディアンと評価をしていましたから。しかし、小林さんは自分を女優としてみてくれない夫に不満で喧嘩が絶えなかったそうです」(舞台関係者)
離婚から1年経った2012年5月、ふたりは徒歩5分の距離に住んでいた。
離婚後の三谷の私生活に変化があったようだ。
「友人の山本耕史さんや石田ゆり子さんたちと飲みに行く回数が増えたそうです。石田さんは、三谷作品に何度も出演しているお得意女優です。結婚した時は飲みに行くのを控えていたそうですが、今は自由に満喫しているみたいです」(映画関係者)
三谷は飲み会の席でこのようなことを言っていたという。
「三谷さんはかなりご機嫌だったようで、離婚後の近況を聞かれると、僕は結婚生活に未練はない。いまでは煩わしいことはもうないし、離婚して良かった!と言ってました。この発言を聞くと、小林さんとの結婚生活そのものには、あまり興味がなかったんだと感じましたね」(舞台関係者)
小林聡美が三谷幸喜にイライラ!犬の散歩のたびに立ち寄らないで
離婚後も小林は三谷と同居し、2012年7月、徒歩でいける範囲の同じ街に住んでいたふたりですが、ここに来て小林が三谷にいらだちが募っていると報じられました。どうやら原因は、犬の散歩のコースが小林の家に通うことのようです。そして三谷は小林にまだ未練があることも原因のようです。
「小林さんと三谷さんは、随分前に離婚したはずなのに、今でもそれぞれが、時々同じ犬を散歩に連れている姿を見かけるんです」(近所の住民)
ふたりが離婚してから1年2ヶ月。
小林は三谷と同じ街に住んでいる。
そして、結婚してから飼っている12歳の愛犬のとびを交代で散歩している姿が目撃されている。
「離婚を希望していたのは小林の方でした。しかし、離婚届けを提出する際、三谷が強く希望したことがある。ふたりの幸せだった日々を知る愛犬のとびが生きている間は、可能な限りそばにいてあげてほしいということでした」(芸能関係者)
なぜ、三谷はこんなお願いをしたのだろうか?
「それは、やっぱり三谷の方に、少なからず小林に未練があったからだと思います」(同上)
三谷がとびを連れて散歩するコースがあるという。
「途中でコンビニに寄るんです。ここでお茶を買って一服するのですが、実はこのコンビニの目と鼻の先に、小林が住んでいるマンションがあるんです。三谷は犬を連れてない時も、ここで総菜を買ったりしています」(同上)
三谷はここで妻に偶然出会うことを期待しているのだろうか?
「小林は、あくまでも三谷が家を空けた時だけ、代わりに散歩を引き受けるということで納得しているそうです。それなのに、彼女は家の目の前のコンビニの店長に、今日も三谷さんが深夜に買い物に来ていましたよなどと言われて、ドキッとすることがあると言ってました」(別の芸能関係者)
「いまだに自分に付きまとう元夫の行動に、小林は、もう、うんざりと知人に苛立ちの言葉を漏らしていたようです」(同上)
ふたりの接点はいまではとびだけだが、とびも高齢だ。
さらに小林がここに住んでいるのもとびのためで、とびがいなくなったら引っ越しを考えているとのこと。
三谷が望む復縁はあるのだろうか?
三谷幸喜が離婚を後悔!元妻・小林聡美に未練
結婚生活16年、2011年5月に離婚してから1年半が経過。当初離婚が決まった時には、三谷は「僕は結婚生活に未練はない。いまでは煩わしいことはもうないし、離婚して良かった!」とまで言っていましたが、いまでも元妻・小林聡美に付きまとっているようで・・・、小林が住む近くのコンビニに出没したり、犬の散歩で小林の家に寄ったりと復縁を試みるような行動を取っていました。離婚をはしてしまったけど、未練があるようです。
「この年になって人生初の1人暮らしなので、凄く大変です。飼っている犬と会話しますけど、そんなのひとり芝居のようなものじゃないですか。家族がいるありがたみは、離れてみて初めてわかりました。会話のある時間が大事だったんだと今では思っています」
そう語るのは三谷幸喜。
小林聡美と離婚してから2012年11月、1人暮らしをしていた。
ふたりは離婚をしてから1年半になる。
離婚の原因は、はっきりした理由があるわけではないとコメントしていた三谷。
離婚理由について今振り返る。
「凄くいい距離感だったのが、だんだんその距離が離れすぎてしまったというイメージですね。僕は本当に妻には申し訳ないと思ってます。自分は面倒を見てもらいたがってるくせに、本人はあまり家庭的ではない。きっと彼女はもっと夫婦で遊びに行ったり旅行したりすることをイメージしてたと思う。でも僕はそういうタイプじゃなかった。当時、いろんな女性と付き合っていたと報じられましたが、女性関係で彼女とトラブルになったことは一度もありません。鈴木京香さんとは同じジムに通っていて、楽しそうに話しているのを報じられました」
「今の状態で、20年、30年、夫婦としてやっていけるのかとお互い幸せかと考えた時、ちょっと違うんじゃないか?となって。そこから離婚という形になっていきました。決まったら早かったですね。彼女は即決な人なので、あれよあれよという間にそうなりました」
三谷は長く夫婦でありながら小林のことを「小林さん」と呼ぶ。
彼にとって16年間の結婚生活はどんな日々だったのか?
「僕は本当に彼女にお世話になったと思います。恥ずかしい話、結婚するまでずっと実家暮らしだったので、他人と暮らすことがどういうことかわからなかった。彼女もびっくりしていました。結婚する時にズボンを2本しか持っていなかったんです。結婚後はそんな僕を毎日、彼女がコーディネートしてくれていました。今の自分があるのも彼女がいたからだと感謝しています。楽しい思い出は、彼女が旅行が好きなので、新婚当初は海外にも行きました。ただ、僕があまり旅行で観光地などを回るのが好きじゃなくて、それほど楽しそうにできなかった。彼女はそのことを敏感に察知したみたいで、結婚生活の後半は旅行にもいかなくなりました」
離婚が決まった際、ふたりでじっくり話し合ったという。
「僕はあなたに出会えてよかった。この十数年間は無駄ではなかったと感謝の気持ちを伝えました。その後、そっちは僕のことをどう思っている?と聞いてみたんですが・・・流れ的に私もあなたを感謝していると言われることを期待していたのですが、彼女の口から出て来た言葉は、変わった人だと思ってたというものでした。なんだか結婚生活のすべてを象徴しているような気がして、あぁ、そう思われていたんだと納得しました」
小林聡美を生かせることができるのは僕だけだ
ふたりは、猫2匹と犬1匹を飼っていた。
最終的には犬は三谷の元に、猫は小林が引き取った。
「どちらが引き取るかでは、ちょっとだけ揉めました。僕達にとっては子供と一緒ですから。ふたりとも猫も犬も引き取りたかったのですが、最終的な判断は彼女に任せました」
離婚後は、連絡を取り合っているのだろうか?
「メールのやり取りはあります。共通の知人の清水ミチコさんとは、結婚していることから定期的に集まっていたので、そろそろ集まらない?と言ってくれました。でも、今度、小林さんに会ったら別々の所に帰るわけになるじゃないですか。それを考えると何か胸が苦しいんです。いろいろ考えてしまうんです。会ったら、第一声をなんて言うおうか、なんて呼べばいいのかってね」
次のステップまで行くにはまだ時間がかかりそうだ。
2012年7月には、小林は乗用車でタンクローリーと接触。
さらに10トントラックに追突される事故にあっていた。
幸い無傷だったが、三谷はニュースを見てすぐに連絡を取ったという。
「携帯のニュース速報に小林聡美が・・・と出たので、最初は再婚かな?と思いました。事故なのでびっくりしました。すぐにメールをして着信があったので安心しました。離婚後は主に、犬や猫の近況報告をしています。お互いの近況報告などはしていません。ただ、ペットシッターさんが同じなので、その人を介して彼女の様子を聞いたりはしています。彼女は僕のことをかなり心配してくれているみたいで、あの人は、1人暮らしに向いていないから、早くいい人を見つけて欲しいと言っていると聞いたので、はいと伝えてもらいました」
三谷は再婚についてどう考えているのだろうか?
「母も高齢でこれ以上心配をかけたくない。ご縁があればとは思います。ただやはり慎重になりますね。彼女の再婚ですか?そうなったら嬉しいですよ。本当に幸せになって貰いたいですから。彼女はひとりでも生きていける人だと思います。彼女との復縁はないと思います。彼女の方が嫌がると思います。僕もストーカーみたいになりたくないし、こっちから復縁をお願いすることはないだろうし。気になりますけど・・・・。ただ、僕は彼女のことを日本一のコメディ女優だと今も思っています。それに彼女を一番生かせる、良さを引き出せるのは僕だと思っています。彼女次第ですが、またいつか一緒に仕事をしたいと思っています。今回の清須会議も彼女に出演してほしかったんですが、オファーして断られたらショックだったので言えなかったです」
まだ小林聡美のことは気になるようです。
たぶん好きなのでしょう。
相手のことを考えて?自分のプライドが邪魔をして?
復縁したいとは言えないようです。
三谷幸喜が前妻・小林聡美と似ている女性と同棲
離婚して寂しかったんだと思います。三谷は小林と復縁を望んでいましたが、叶わず・・・。50歳になって独り身の寂しさを愛犬で紛らわせることができていましたが、その愛犬が急死したそうです。そのような哀しいこともあり、一人の寂しさが辛かったのでしょう。そして、小林に似ている女性と交際するようになったそうです。
2013年6月中旬の夕方のことだった。
駅前商店街を三谷はスラックスにワイシャツ姿で息を切らしながら早足で歩いていた。
誰かの待ち合わせなのか?周囲をキョロキョロしている。
そして、ひとりの女性の元へと駆け寄った。
えっ?小林聡美?と思わず見てしまうほど、元妻にそっくりな女性だった。
三谷は彼女が手にした大きな買い物袋を持ってあげると、そのままふたりで4階建ての豪華なマンションへと入っていった。
実は、こういうシーンは地元住民の間で何度も目撃されていた。
「そのマンションは三谷さんが小林さんとの離婚後に購入したものですよ。1億円以上はしたんじゃないでしょうか?小林さんと住んでいた時の一軒家は今は事務所として使っていますね。今は1億円のマンションで元妻に似た女性と同棲をしていますよ」(演劇関係者)
2011年5月に小林と離婚をした三谷。
三谷が新生活を始めたのは、最愛の母と愛犬の存在があった。
10歳の時に父をがんで亡くしている。
そんな三谷は、「母に怒られたことがない」というほど、母は三谷を褒めて育てた。
三谷もそんな母のことが大好きだった。
1995年10月に小林と結婚し、実家を出て行った三谷。
寂しくないわけではなかったが、母は心底喜んだ。
「三谷さんがいつでも好きなことができるように、独身時代、お母さんは身の回りのことを全てやってあげていました。でも、そのせいで三谷さんは洗濯さえ一度もしたことがなかったんです。だから自分がいなくなったらどうするんだろうと心配していて、結婚したことに安心をしていたんです」(三谷家を知る知人)
しかし、小林との結婚生活は16年で終わる。
「離婚後に一番ショックを受けていたのは三谷さんの母でした。離婚の少し前に体調を壊したこともあって、三谷さんのこれからのことが不安になったようです」(同上)
三谷は小林と離婚をして寂しかったのだろう。
小林への未練たっぷりなインタビューが話題にもなった。
そんな時、心の穴を埋めてくれたのが、愛犬・とびだった。
とびは、大工だった父にちなんで、鳶職から取っている。
しかし、このとびも11歳になる。
人間の年齢でいうと60歳を超える老犬。
2013年1月まで元気だったとびに異変が起きる。
食事を取らなくなってしまったのだ。
検査結果は、リンパ腫いによる肝硬変だった。
そして、それからわずか数日後にとびは旅だってしまった。
そんな時、三谷の前に現れたのが小林とよく似ている女性だった。
「彼女は一般の方で、三谷さんの身の回りのお世話をしているそうです」
この女性との関係を三谷に週刊誌が取材。
記者:今、同棲されている女性とはどんな関係ですか?
「同棲ではないです。お付き合いはしています。もう、付き合うようになってからしばらくになりますね。向こうの家族にもお会いしていますし、もちろん、うちの母にも会っていますし、家族くるみのお付き合いをしています」
いずれは、今住んでいるマンションで母と一緒に暮らすとのこと。付き合いが長いということは、小林と離婚前からの知り合いだったのでしょうかね?三谷の女性関係が離婚の原因とも報じられましたね。
三谷幸喜が元女優のyumaと再婚
前妻とそっくりな女性と同棲をしていると報じられ、この女性とそのまま結婚をしました。女性は一般の方と報じられていましたが、どうやら元女優・yumaという名前で活動していた同じ業界の人間だったことが分かりました。英語が話せたりキャリアウーマンのように報じられていますが、過去には不倫で話題にもなったことがあるようです。
「三谷さんは、ハリウッドで作家活動はしたくないけど、日本から作品を持っていって、勝負する形でなら挑戦してみたいと常々言っています。次回作は、もしかすると海外を視野に入れたものになるのではないでしょうか?」(映画関係者)
三谷が海外進出に頼りにしているのが、2013年7月に再婚した19歳年下の新妻だ。
「三谷さんは、英語が全然しゃべれないんです。でも、再婚した奥さんは英語が堪能で、元女優で、その後は映画のキャスティング会社で働いていましたよ。結婚を発表した時は、一般の女性で今年33歳になると言っていましたが、彼女は映画業界では有名な、仲間由紀恵に似た美人です。奥さんの人脈と後押しがあれば、ハリウッド進出もかなり近づきますよね」(別の映画関係者)
これだけで話が終われば、すばらしい女性だったのですが・・・。
過去には不倫をして週刊誌にも掲載されたことがあるようです。
三谷幸喜 ひた隠す再婚妻は辻仁成の秘蔵女優yumaだった!
三谷の新妻は、かつて辻仁成の初監督作品『千年旅人』(1999年公開)にヒロインとして抜擢された女優yumaだったというのだから。
興行的には泣かず飛ばずだった『千年旅人』での唯一の話題、それが監督辻とyumaとの関係だった。
当時の辻は、自身の作品などよりも何百倍もそのプレイボーイぶりが有名だった。
しかも職権乱用的というか、仕事でお近づきになった女性に入れあげ、手を付けるのが早いと。
辻がこの映画を監督をした時期、辻には95年に結婚した南果歩という妻が存在した。
しかし辻はyumaに相当入れ込んでいた様子だった。そのため映画の内容などそっちのけで「2人は不倫関係」と芸能界、そして文壇でもまことしやかに囁かれたものだった。
映画公開後も辻はyumaの歌をプロデュースしCDを出した。
世俗に疎そうな三谷といえども、同じ映画業界にいる(三谷に失礼か!)のだから、辻の女癖の悪さくらいは聞き及んでいてもおかしくはない。
再婚によって辻の存在がクローズアップされることを嫌った、新妻と辻の関係を再び引っ張りだされたくない、そう考えると頑なに「一般女性」と言い張り、素性を明かさなかった三谷の心情がよくわかる。
三谷幸喜が一般人と強く主張し隠し続けたのはこのような理由があったからのようです。
三谷幸喜が52歳でパパに!妻のyumaは辻仁成と不倫の過去が発覚
2013年7月に一般女性と再婚をしたと報じられた三谷幸喜ですが、実は元女優のyumaだったことがわかっています。三谷は前妻・小林聡美と復縁することを望んでいたのでyumaとの再婚は驚きましたね。
そして、三谷は52歳で2014年パパになることが決まった。
しかし、三谷が喜んでばかりいられない情報が。yumaについては情報がほとんどありませんでしたが、yumaは中山美穂の夫・辻仁成と過去に長きにわたり不倫をしていたようです。このことについて三谷は知っているのでしょうか?
「とうとうパパになるようですよ。奥さんをしばらく前にみかけた人によると、鞄にマタニティキーホルダーをつけていたそうです」(舞台関係者)
三谷幸喜に、2014年子供が誕生するという。
三谷は1995年10月に小林聡美と突然結婚をするも、2012年に離婚をする。
離婚の原因ははっきりしていなかったが、三谷の女性問題という憶測が飛び交った。
そして、2年後の2013年7月にまた電撃再婚をする。
「お相手は前年から交際していた一般女性と発表されていましたが、彼女は元女優のyumaさんでした」(芸能記者)
yumaは1999年11月に公開された映画「千年旅人」で、当時高校生ながらヒロイン役に応募してきた1200の中から選ばれた。
この映画の監督は辻仁成だ。
「yumaが三谷さんの奥さんです。本名はKさんというのですが、Kさんは辻の恋人としても有名でした」(映画関係者)
その頃、辻は南果歩と結婚をしている。
「まだ18歳だったKさんに惚れこんだ辻は、地方ロケの時からべったりで、映画スタッフの結婚披露宴には南ではなくKさんと出席をしたり、海外の映画祭にその映画の主役だった豊川悦司や大沢たかおではなく彼女だけを同伴したり。さらに一時期は所属事務所の社長とタレントの関係で、辻がプロデュースして歌手デビューをさせたりしていましたよ」(同上)
そうしているうちに辻と南は2003年3月に離婚。
その後Kさんは、yuma名義で辻の映画に1本、さらに本名でもう1本の映画に出演して、07年頃に女優を引退しました。
その後、yumaは映画製作会社に勤務し、三谷映画のスタッフになったことがきっかけで交際から結婚へとなったそうです。
辻仁成とyumaはこういう関係だったそうです。
過去のことなので、三谷もこのことでさすがに離婚とはならないと思います。