長嶋茂雄は壮絶なリハビリで回復!財産問題で子供達が争い

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元プロ野球選手の長嶋茂雄は立大を経て1958年巨人へ入団。1年目に本塁打王、打点王、新人王。サードの守備でファンを魅了し、王貞治と「ON砲」で1965~1973年の巨人V9を支えた。1974年に引退。通算打率3割5厘、444本塁打。MVP5度、首位打者6度、本塁打王2度、打点王5度。1975~1980年、1993~2001年に巨人監督を通算15年務め、リーグ優勝5度、日本一2度。1988年に野球殿堂入り。2013年に国民栄誉賞を受賞。

長嶋茂雄

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ミスター長嶋家の財産問題!長男・一茂と次女・三奈との壮絶な争い

ミスターはどう思っていたでしょうか?まさか自分の残してきた財産で子供達が絶縁状態になるとは思っていなかったはず。ミスターこと長嶋茂雄氏が脳梗塞で倒れてから、長嶋家では長男・長嶋一茂が勝手にお父さんの記念トロフィーやユニフォームなどをコレクターに売って収入を得ていたという。それに怒っていたのは、次女・三奈で、一茂を裁判で訴えるという情報も当時あったようです。

長嶋茂雄ゆかりのグッズを売り払ったことで、長男・一茂と次女・三奈兄弟間の骨肉の争いはさらに激化することになった。
福井県・福井市にある「スポーツミュージアム山田コレクション」には、一茂が売ったとされるミスターゆかりの品々が1000点以上も展示されているという。
「ユニフォームや新人トロフィーといった選手としてのものだけではなく、亡くなった亜希子夫人のポスターやノートまで飾られていました」(訪れた人) 

一茂がミスターグッズの売却を持ちかけたのは今から2004年頃のことだった。
「茂雄さんが脳梗塞で倒れた3ヶ月後に一茂さんが山田氏に電話で、買って欲しいといって、呼び出したそうです。売却後、これに怒ったのが妹の三奈さんでした」(スポーツ紙記者)
2004年3月、長嶋茂雄が脳梗塞で倒れた。
入院した当初は兄弟姉妹4人で一致団結し、24時間態勢で看病をするほど仲が良かったが、退院後、長嶋茂雄の仕事への復帰やメディアへの露出を巡り、一茂と三奈が対立していった。 

長嶋一茂

ふたりの不仲が決定的になったのは、2009年の夏「長嶋茂雄」の登録商標を巡っての一件だった。
「そもそも亜希子さんが代表を務めていたオフィスエヌが商標登録を取得していたのですが、2009年2月にその期限が切れると、なぜか一茂さんの妻・仁子さんが代表を務めるナガシマ企画が商標登録を取得しました。ミスターの楽しみはいまや孫だけです。一茂さんが孫を週末のたび連れて行くのを心から楽しみにしていましたが、そんな一茂さんの行動も他の兄弟からすれば、孫を利用して父親をうまくまるめこんでと見ていたようです。もちろん兄弟には相談せずに話しを進めてしまったようです。これに三奈さんが猛反発したんです」(長嶋家を知る知人)

「三奈さんは一茂さんが実家に立ち寄れないように実家に戻ってミスターの世話をしているんです。三奈さんはミスターの看病や一茂さんの問題でテレビの仕事を辞めようとまで考えていました。でもミスターが続けなさいと止めたんです。それで高校野球のレポーターだけ続けています。恋愛に関しても、共演していたスポーツキャスターの栗山英樹さんと局内で噂になったりもしましたが、最近はそんな話も一切聞かない。恋愛を含めた自分の私生活を犠牲にしてでも父を守ろうとしたんでしょう」(長嶋家を知る知人)
国民的英雄の長嶋一家は崩壊寸前だった・・・

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国民栄誉賞の裏で壮絶なリハビリをしてきた長嶋茂雄

2013年4月、長嶋茂雄と松井秀喜のふたりが、国民栄誉賞を受賞しました。受賞には賛否両論があるものの、ふたりとも日本プロ野球界ではスターなのは間違いありません。ミスターの愛称で親しまれている長嶋ですが、2004年に脳梗塞で倒れました。リハビリの結果、公の場に姿を現し、自力で歩けるまで回復をしましたが、そこにはとても大変なリハビリ生活があったようです。

2004年3月4日に、自宅で脳梗塞で倒れた長島茂雄。
脳梗塞の中でも後遺症が大きいとされる心原性脳塞栓症だった。
当時の主治医は、「寝たきりも覚悟して下さい」と告げるほどだったという。

脳梗塞で倒れた後遺症で、右半身の麻痺と言語障害が残り、誰もが現場復帰はできないと思っていたが、長嶋さんは諦めることはしなかった。
1週間で立ち上がると、2週間目には支えながらもベットの周りを歩いた。
そして、すぐにリハビリを開始した。

「本格的なリハビリに入ってからのメニューは、週に4日、1~2時間を予定してたそうですが、長嶋さんは毎日午前と午後2時間ずつのメニューをしたそうです。ジャージ姿で顎を引いて苦痛に顔を歪めながら、右腕、右脚と上下する懸命な姿は、壮絶だったそうです」

退院後も、毎朝45分の散歩とマシーンなどを使ったトレーニングを欠かさない。
9年間で休んだのは、大雪の日と風邪の2回だけ。
これはリハビリじゃなくて、筋トレだと力強く記者に言っていたようだ。

現在は、体重もベストの73キロまで戻り、行きつけのレストランにも足を箱に、病気を患う前と同じ量の食事をしている。
「国民栄誉賞の授与式では、松井さんとの始球式もありましたから、長嶋さんはどうしても打ってやろうと素振りをしてたそうです」(球界関係者)
後、1年あったら、ちゃんと打てたと周囲に語っていた長嶋さんの表情は輝いていた。

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